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第6話



 あまりの驚きに、口から内臓が飛び出すかと思った。


 ラスボスだ。


 まだ契約すらしていない、冒険にすら出ていない段階なのに、ラスボスの登場だ。


 しかも俺ごとき一般人にあっという間に背後を取られ剣を突きつけられるなんて、ラスボスのくせに弱すぎる。


 さて、これからどうしたものだろう。


 剣身に浮かぶゼクロスの姿と、女魔族の後頭部を見比べながら、俺は素早く計算する。


 このまま有無を言わせず、刃を首筋に食い込ませれば、脅威は消え去る。


 契約やゼクロスの解放云々も関係なくなって、全ての問題も消え失せる。


 契約の交換条件である夢のモテモテ生殺しルートは閉ざされるけれど、俺は本来の平穏無事な商人ライフを取り戻せるだろう。


 一番手っ取り早いのは、今すぐこの場でゼクロスと契約する方法。


 契約が済んだ直後に女魔族の首を斬り落とせば、万事解決。


 しかし脅威が取り除かれる以外のメリットが、俺にはない。


 魔族とはいえ人を殺すという事自体にも、なかなか躊躇いがある。


 モンスターならば数え切れないほど退治してきたけれど、人を殺した事なんて、まだ一度もないのだから。


 答えを出せずに固まっていると、女魔族の華奢な肩が震え始めた。


 怯えて泣いているのかと思いきや、低い笑い声が漏れ始め、しまいには狂気を帯びた高笑いに変わる。


 命を奪われるか否かというこの状況下で、そんな風に笑えるなんて、どうにも薄気味悪い。


 何か企みがあるのだろうか。


 俺は改めて柄を握り直し、気を引き締めた。


「てめぇ、何がおかしい!」


「いやはや、これが笑わずにいられようか。

甘いな、少年よ。乳の輪が見切れていると、妾の動揺を誘ったまでは良かった。

だが人殺しを躊躇っていたら、あっという間に形勢逆転されてしまうぞ?

こんな風にな」


 言い終わらないうちに、女魔族が自らの首を、突きつけられていた刃で鋸引いた。


 握りから伝わってくるのは、山鳥を捌く時に似た、硬い肉を切る感触。


 刹那にぼたぼたと鮮血が滴り、ささくれた板床に染み込んでいく。


 予想外の出来事で頭が真っ白になった俺は、息を吐くのすら忘れ、呆然と立ち尽くしてしまった。


 我に返った時には、もう遅い。


 今度は俺の首筋に、刃物のごとく鋭い爪が突きつけられる番だった。


 瞬く間に形勢逆転を果たした女魔族が、背後からやんわりと俺を抱きしめながら、耳元に甘い吐息を吹きかけてくる。


「一つ勉強になったろう? 少年よ。

魔族の本当の強さは、見た目では測れないものなのだ。

腕力こそないものの、妾はスライムよりも再生能力に特化しておる。一筋縄では殺せんぞ」


 全くもって、おっしゃる通りだ。


 あまり魔族と馴染みのない俺は、「角の大きさで魔力を測れる」という俗説を信じ込み、すっかり油断してしまっていた。


 魔族は特殊な魔法や魔術のみならず、体質なども特異で、一見しただけでポテンシャルまでは分からない。


 それを加味した上で対峙すべきだったのだと、身をもって学ばされた。


 果たしてこの教訓を生かせる次の機会が訪れるのだろうか。


 それとも乳の柔らかさを背中に感じたまま、なおかつ半勃ちチェリーボーイのままで幕を下ろされるのか。


(それは……清いカラダのまま殺されるのだけは、勘弁してくれ!)


 苦悩する俺を拘束したまま、女魔族はのんびりと剣に向かって語り掛けた。


「久しいな、ゼクロス。

今回の契約者は、なかなか弱いではないか。

これなら貴様の後押しがあったとしても、契約者もろとも、貴様を簡単に葬り去れるのではないか?」


『残念だがな、フェリス。

まだ此奴は私の契約者ではない』


「ふん、そうか。だったらなおの事だ。

そのナマクラをへし折れば、貴様の魂は塵芥すらも残らず、この世から消え去るのだからな」


 耳にした内容から、少しだけ裏事情が垣間見えた。


 フェリスと呼ばれた女魔族の本当の狙いは、どうやら俺ではなく、ゼクロスだったらしい。


 しかし二人の間に何があったのか、どんな事情を抱えているのかまでは、おおよその見当すらつかない。


 険悪な空気をはらんだ沈黙が流れた後、なぜか突然、俺の体が解放された。


 慌てて飛び退いて距離を取ると、フェリスは大輪の花が咲き誇るような笑みを向けてくる。


「妾の勘違いから、大変失礼したな、武器屋の若き主人よ。

ここは一つ、平和的に解決しようではないか。

そのゼクロスが封じられている宝剣を、妾が貴様の言い値で買い取ろう。さすれば万事解決だ」


 新たに掲げられた案は、願ってもない大きなチャンスだ。


 ゼクロスを殺したいほど憎んでいるのだから、多少ふっかけてやっても、この女は喜んで飲むだろう。


 なおかつ厄介者のゼクロスを引き取ってくれるなんて、願ったり叶ったりだ。


 モテモテへの道は、金の輝きによって明るく照らされる。


 金さえあれば、愛なんていくらだって買える。


 この世の中に金持ちを嫌う女など、存在するはずがないのだから。


 しかし、騙されたばかりの俺の頭の中で、高らかに警鐘が鳴り響いている。


 この手の腕力のない食人魔族は、幻術なんぞも使ってきそうだ。


 まんまと術中にはまり、偽金を掴まされた! と泣く羽目になるかもしれない。


 注意深くフェリスを観察しながら、俺は恐る恐るかつ大胆に、平均生涯年収をわずかに越える希望金額を提示してみた。


 するとあっさりと頷き返され、直後に何やらブツブツと呪文が聞こえ始める。


 メリッサに魅了の術をかけた時のゼクロス同様、フェリスは赤く光る指で軌跡を描きながら、宙空に窓らしきものを生み出した。


 白魚のような手がそれを押し開き、何やら中をごそごそとまさぐる。


 ややあってからずるりと引き出されたのは、パンパンに膨らんだ皮袋。


 目にするのは初めてだけれど、これは間違いなく、空間操作の高等魔法だ。


 亜空間を倉庫代わりに使ったり、人や物をはるか遠くに転送できる、もの凄く便利な術として知られている。


 もし俺がそれを使えるようになったとしたら、ひと儲けもふた儲けもできる自信がある。


 貸し倉庫に貸し金庫、宅配便や旅行会社なんかもいいかもしれない。


 だがしかし、そんな妄想なんてもうどうだっていい。


 目の前にどんどん積まれていく、金銀財宝がぎっちり詰まっているであろう皮袋。


 これさえあれば働かずとも、人並み以上の生活を一生送れるのだから。


「中をあらためるといい、武器屋よ」


 得意げな微笑を浮かべたフェリスが、目をギラギラさせている俺へと、皮袋を一つ投げてよこした。


 遠慮なく口紐をほどき、いざお宝とご対面した直後、興奮が一気に最高潮まで達する。


 銀貨なんて一枚もない。


 金、金、金。


 袋の中は金貨で埋めつくされている。


 銀貨一枚が千ペス、その十倍の価値を持つ金貨が、優に五百枚は入っている。


 さらに同じ袋が、店の床が抜けそうなほど次から次へと、出てくる出てくる。


 ──いや、さすがにここまでだと、逆に怪しい。


 俺は試しに袋から金貨を一枚取り出し、様々な角度から眺め回してみた。


 どれだけ注意深く観察しても、毎日見て触っているものと寸分違わぬ見た目だ。


「ちょお、ゼクロス、悪りぃ」


 一応謝ってから、床に置いた金貨を、宝剣の柄頭でガンガン叩いてみる。


『ぬおぉぉぉ! うるさいっ!』


「すぐ終わるから我慢しとけ」


 金メッキの偽金貨だったとしたら、表面が剥がれて地金が覗くはずだが、そんな様子もない。


 幻術でもない事を確かめるために、お次は自分の頬を叩いてつねってみる。


 古典的でも、じつはこの「痛みを与える」という方法こそが、最も手軽で手っ取り早かったりする。


 他の皮袋から無作為に取り出した金貨数枚も同じように調べてみた結果、全てクリアー。


 金貨は間違いなく本物だ。


 これでやっと、ぼんやりとしていた悠々自適な生活像に、はっきりと色が付いた。


「さぁ、武器屋よ。

宝剣を渡してもらおうか」


 しなやかな手がこちらに差し出され、売買契約の成立を促してくる。


 俺は納得して宝剣を渡そうとしたのに、


『頼む、後生だ、武器屋よ!

助けてくれたら、私の持てるとびきりの財産を差し出そう!

ここにある金貨なんて鼻くそだと思えるほどの財産を!』


ゼクロスの必死の命乞いが、それを制した。


 これはしめた。


 このままオークション形式で二人に競り合ってもらい、どんどん好条件を出させていけば、俺はとんでもない大金持ちになれるかもしれない!




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