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第5話



 誰もが想像に容易いとは思うが、武器屋の日常はかなり暇だ。


 客は基本的に、武器を買いに来るか売りに来るだけ。


 たまにメンテナンス依頼が入るけれど、手に負えないほどの破損は鍛冶屋の仕事で、俺ができるのは刃物の研磨くらい。


 よって、一人も来客がない日だってある。


 今日はあいにくの雨。


 客足が遠のく事うけあいだ。


「あー、暇だ。恐ろしいほどに暇だ。

これで生活できてるのが奇跡だ」


 孤独をこじらせて、いつものように独り言を呟く俺。


 今までと大きく違うのは、話し相手ができた事だろう。


 ところがこれが、少々面倒くさい。


『だったら冒険に出た方がいいと思わないか?

光り物が好きなモンスター共は、小銭やら拾った貴金属やらを貯め込んでいるから、いい小遣い稼ぎにもなるぞ?

行くのならば、洞窟が刺激的でお勧めだ。

のんびり息つく暇もないぞ、洞窟は。角を曲がるごと穴を抜けるごと、次から次へと襲われるのだからな!』

 壁に飾ってある剣から、ゼクロスの懸命の説得が飛び出してくる。


 「淫魔の宝剣」と手書きした値札は、今や訪問客のいい笑い物だ。


 買い手がつかないばかりか、こいつは未だに契約者と出会えていない。


 世の中には俺以外にも、たくさんのピュアボーイズがいるはずなのに。


 それというのも、冒険者を名乗る荒くれ者共は、おしなべて夜の生活も荒くれているせいだ。


 冒険に出れば、そこかしこにモンスターがいる。


 野営地でケツを丸出しにして行為にふけっていたら、命がいくつあっても足りない。


 そのため必然的に禁欲生活を強いられ、晴れて生還した暁には、「花売り」と呼ばれる商売女のお世話になるのが、奴らのセオリーだ。


 武器屋はそんな冒険者が相手の商売で、冒険者はアッチも手練れ。


 なのでゼクロスが剣を必要とするチェリーボーイと巡り会える確率は、洞窟の中でモンスターが集めたお宝を発見するそれよりも、もっとずっと低い。


 だからやっと見つけた契約者候補を逃すまいと、躍起になるのも頷ける。


 しかしこう毎日毎日、しつこく口説かれるのにも、いい加減疲れた。


「なぁ、このまま誰も契約者が現れなかったら、どうするんだよ?」


 素朴な疑問をぶつけてやると、ゼクロスはぐぬぬと苦しげに唸る。


『それは困る。

この剣の中の亜空間は、刻という概念がないから歳を取る事はないのだが……いかんせん暇が過ぎる。

そこらの武器屋よりも暇だぞ』


「嫌味か、それ。地金リサイクルに出すぞ、コラ」


『それも困る。

だから早く契約を済ませ、私の呪いを解いてくれ』


「やなこった」


 この堂々巡りのやり取りにも飽きてきた。


 もう外も暗いし、ぼちぼち店じまいの頃合いだ。


 なおもブツブツ言い続けるゼクロスを無視して、俺は店の鎧戸を閉めようと、カウンターをくぐる。


 窓を開けたついでに何気なく通りを眺めてみて、ぎょっとした。


 舗道に点々と配置されている、背の高い広葉樹。


 その枝の下に、黒いフードを被った子供が、ずぶ濡れでぽつんと佇んでいる。


 俯いているため、顔はおろか性別すらも分からない。


 周りには誰もいないので、もしかしたら迷子かもしれない。


「……おい、チビ。どうした?」


 心配になって尋ねてみても、返事はない。


 商工会の繋がりで、街のどこの家にどんな子供がいるかは、だいたい把握済みだ。


 心当たりの名前を呼んでみても、やはりフードの子供は無反応なまま。


 どうやらこの街の子ではないようだ。


 街の子にしろ他所の子にしろ、困っているちびっ子を放置できるほど、俺は冷たい人間ではない。


 ひとまず鎧戸と窓を閉めてから、俺は出入り口のドアを開けてやった。


「ほらチビ、とりあえず中に入れよ。風邪ひくぞ」


『駄目だ、武器屋!』


 重なるゼクロスの制止に、えっ? と思った直後、旋風が傍らをすり抜けて、店内に舞い込んだ。


 ちびっ子の尋常ならざる素早さに驚愕すると共に、俺は自分がとんでもないドジを踏んでしまった事を悟った。


 こいつは多分──魔族だ。


 俺のひいじいちゃんが生まれた頃、人間と魔族の間に平和条約が結ばれた。


 その中の一つに、こんなルールがある。


 「家人に招かれない限り、魔族は人間の棲家に入れない」。


 種族関係なく貧しかった昔々、魔族が人家を襲い略奪行為を繰り返していたために、制定されたものだ。


 今は個体それぞれの魂に徹底して呪術を施してあるため、ルールは絶対不可侵。


 そのお陰で平和が保たれている。


 しかしまだまだ、たちの悪い魔族は存在する。


 人間の夢を食らう奴、垢を舐める奴、恐怖心を糧とする奴。


 中でも最悪なのは、人間の血肉を主食とする奴だ。


 うっかり招き入れてしまった目の前の魔族がその部類でない事を祈りながら、俺は素早く視線を走らせる。


 幸いここは武器屋。


 あらゆる場所に様々な武器が置いてある。


 一番近くの壁に立て掛けてあるのは、誰が使うんだとツッコミたくなるほど巨大なアックスだが、どんな武器であろうと、この際贅沢を言ってはいられない。


 アックスに向けてじりじりと足を運びながら、俺は隙なく敵を観察した。


 一見すると、びしょ濡れのフードを被った、ただの子供。


 けれど微かに覗くその口元には、不気味な笑みがたたえられている。


 やはり異様な雰囲気だ。


「おい、チビ、何が狙いだ?

あいにくここは武器屋だ。甘いお菓子やら果物なんかは、置いてねぇぞ」


 狙いから外れているであろう言葉をあえて投げかけてみれば、緩やかにかぶりが振られる。


「……そんな物はいらぬ。

妾が欲しいのは、貴様の命だけだ」


 そう言ってフードごとマントを脱ぎ捨てたちびっ子の姿が、みるみるうちに変貌を遂げていく。


 小さく痩せっぽちだった体が肉感的に熟し、特に胸の辺りがパンパンになった。


 青白い肌を申し訳程度に隠すのは、黒いミニ丈ワンピース。


 銀色の巻き毛と蒼い瞳を持つ、美しい女だ。


 頭に角こそないが、口元に覗いている牙が、血肉を食らう性質の魔族である事を示している。


 どうやらこいつは、最悪なたちの魔族のようだ。


「へぇ……それが本来のお前の姿か。

性格悪りぃんだな、子供の姿で人を騙すなんて」


 軽口を叩きながらじりじり進み、俺は何とかヘビーアックスの前まで辿り着いた。


 気取られないようゆっくりと背後に手を伸ばせば、冷たい金属に指先が触れる。


 柄をしっかりと握ったら、一撃必殺の準備は完了。


 あとは隙を作るのみだ。


「やい、チビ……もとい、元チビ。大きくなったせいで、服がピチピチじゃねぇか。

ほら、乳の輪が見切れてんぞ」


 魔族といえども、女は女。


 恥ずかしい箇所が見えているとあらば、当然慌てる。


 例え嘘だと察していても、確認せずにはいられないはずだ。


 果たして狙い通り、こちらを蛇のように凝視し続けていた蒼い瞳が、ぱっと下を向いた。


(今だ!)


 せっかく作ったチャンスを逃すまいと、ヘビーアックスを振り上げ──ようとしたが、見た目通りの重量感に拒まれる。


「ぐ……ぬぉぉぉぉぉぉ‼︎」


 尻の穴から内臓が飛び出しそうなほど力んで力んで、俺はやっとの思いでそれを持ち上げた。


 ヘビーアックスは、よほどの力持ちでなければ制御不能。


 俺のような一般人が使う場合、武器の自重を利用して振り下ろすのが精一杯だ。


 なるべくなら殺生は避けたい。


 腕の一本でも斬り落とし、脅して追い払うのが理想的ではある。


 けれどこの落下軌道では、間違いなく敵を脳天から真っ二つに分断してしまうだろう。


『待て、武器屋!』


 惨劇を覚悟し、神に祈ろうかという時、再びゼクロスの鋭い制止命令が飛んだ。


 理由も何も分からないけれど、殺生を避けたい俺からしてみたら、天の啓示に近い。


 勢いこそ止まらないものの、背骨が軋むほど体を捻ったら、僅かに刃の軌道がずれた。


 ガキン! と大きな音と、痺れにも似た衝撃が手の平に広がる。


 ヘビーアックスは何物をも斬らず、板床にザックリと深く突き刺さった。


 まさに間一髪。


 尻もちをついた女魔族と凶刃との距離は、冷や汗なくして見られないほどに近い。


 紙一重の威嚇攻撃で敵を怯ませたとて、脅威はまだ目の前にあるのだから、安堵している余裕はない。


 俺はヘビーアックスの横を素早くすり抜け、壁に掛けてあった淫魔の宝剣を乱暴にひっつかんだ。


 振り返ると同時に抜剣して、女魔族の背後から、細い首筋にひたりと刃を当てがう。


 これでやっと、ゼクロスを詰問してやる余裕ができた。


「ゼクロス、お前、どうして止めたんだよ?

こいつは俺を殺すつもりなんだぞ!」


『殺すのはいいが、まだ早い』


「早い遅いの問題なら、俺が攻撃する前に止めろよな!」


『すまんすまん。

鞘に収められていると、外の音は聞こえても、映像は見えないのだ。

聞き覚えのある声に驚いて、貴様の視覚映像をこちらに転送する術に、ちと手間取ってな。

いや、契約さえしてもらえれば、こんな面倒な制約はなくなるのだがな?』


 ゼクロスにかけられた呪いにそんなルールがあったなんて、初耳だ。


 遠回しにさり気なく契約を促してくるのも鬱陶しい。


 何はともあれ、新たに得た知識についてどうこう考えている場合ではない。


 この女魔族をどう成敗してくれるかが、最優先事項だ。


「どうするんだよ、こいつ。

無罪放免で解放なんて、あり得ねぇぞ」


『殺す殺さないは、貴様次第だ。

だがもし殺すのであれば、契約が済んでからにしてもらえまいか。

今殺してしまうと、ここから永遠に出られなくなってしまうからな』


 さらりと吐かれたゼクロスの言葉に、自分の眉がピクリと吊り上がるのを感じた。


 魔族との契約にルールがあるように、呪術にもルールがある。


 解除の条件を決める事。


 呪いの依代が破壊されれば、呪いをかけられた者の魂が生滅する事。


 呪いをかけた術者が第三者の手によって死亡した場合、その効力が永続する事。


 最後の項目を当てはめて考えると、つまり──。


「お前に呪いをかけたのって、この女なのか!」




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