最悪だ。
朝っぱらから嫌な奴に会ってしまった。
「別に俺、ウンコをつついて遊んでるわけじゃねぇぞ、メリッサ。
スライムを一体、始末してやったんだ」
「あーら、ごめんあそばせ! ウンコと真剣に戯れてるのかと思ったわ。
あんまりにも、あんたに似つかわしいからね」
顔を合わせれば睨み合い、口を開けば嫌味の応酬。
俺とメリッサは、自他共に認める犬猿の仲だ。
武器屋と防具屋という相反する職業なのに、住居兼店舗は隣同士で、おまけに幼馴染みだなんて、何の因果だろう。
口が達者なメリッサには、言い合いでは敵わない。
だからといって腕力にものを言わせるほど、俺は下衆な男ではない。
よって毎回、やり込められっぱなしだ。
今日こそはどうにかこいつに一矢報いてやれないだろうかと考えて、はたと閃めいた。
すぐに俺はメリッサに背を向け、小声で剣に語り掛ける。
「なぁ、ゼクロス。お前の魔力が本物かどうか、見せてくれよ。
いざ契約して大嘘だったら、お前は俺に魂を奪われる羽目になるだろ?」
『むぅ? それは契約を前提とした発言と考えていいのだな?』
「そうだな……。本物だったら、かなり前向きに検討してやる」
『いかんせんはっきりしない答えだが、まぁいい。
あの小娘に魅了の術を施せばいいのだな?
契約を交わしていない時分は、魔力に制限がかかっている。だからキュンとさせるくらいしかできんぞ?』
「上等。さんざん馬鹿にしてた男にキュンなんて、あいつ自己嫌悪で寝込むぞ」
提案にニヤリと頷いてから、ゼクロスは指先を赤く光らせ、宙空に印を記し始めた。
魔術を発動させるための儀式の一つだ。
赤い軌跡はやがて凝縮され、豆粒ほどの小さな球体へと形を変えて、剣の切っ先から飛び出していく。
メリッサにはそれが見えていないのだろう。
避けられる事もなく、無駄に立派な双丘の間に、光球が吸い込まれていった。
──今の所、見た目には何の変化もない。
五歩分ほど離れた位置で、小鼻を膨らませて腰に手を当てる威嚇ポーズのままだ。
リアクションから効果のほどを探るべく、俺は思い切ってメリッサとの距離をぐっと詰めてみた。
「なっ、何よ、急に近付いてきてっ!
ぶん殴るわよ?」
返されたのは、いつも通りの反応。
頬を染めるどころか、こめかみに薄っすらと血管まで浮いている。
(もう一歩、踏み込んでみるか)
さらに前進すると、メリッサまでは半歩分。
よほど親しい人間でなければ、不快感を催す近さだ。
実際に俺は、若干不快だ。
昔から顔を突き合わせているとはいえ、至近距離で改めて観察すると、新たな発見がある。
防具屋ならではの松ヤニの匂いやら、丸出しのおでこにできた小さなニキビやら。
さらに視線を落としていくと、薄っすらそばかすの浮く頬に、抜け落ちたまつ毛を見つけた。
恐る恐る手を伸ばしてみても、メリッサは俺の顔を凝視したまま動かない。
これは新しい反応だ。
今までだったら髪の一本にでも触れようとしたら、容赦なくビンタが飛んできていたのだから。
指先が頬に到達した途端、メリッサはぎゅっと肩をすくめ、強く目を瞑った。
残念ながらキス待ち顔ではないものの、怯えた女の子らしい新鮮なリアクションで、何だかこっちまでドキドキしてきてしまう。
緊張による震えを堪えながら、俺は当初の目的通り、頬についていたまつ毛を摘み上げ、
「ほら、別に何もしねぇよ。
まつ毛取ってやっただけだ。感謝しやがれ」
なんて、ぶっきらぼうに言ってのける。
次の瞬間、きつく瞑っていたメリッサの瞼が上がり、そばかすの頬がブワッと一気に赤く染まった。
何なのだろう、この甘酸っぱいやり取りは。
これがゼクロスの魔力によって引き出されたキュンだとしたら、完全に失敗だ。
メリッサだけではなく、俺までもがキュンとさせられてしまったのだから。
(く……ッ!
俺とした事が、メリッサごときにキュンなんて、一生の不覚だ!)
顔と股間に血が上った俺は、目の前にある赤茶けた頭の頂上にズゴンと鋭いチョップを浴びせてから、慌てて我が城へと駆け戻った。
背中にキーキー怒鳴り声がぶつかってくるけれど、構ってなどいられない。
乱暴にドアを閉め鍵を掛けてすぐ、ダメ魔族に吠えかかる。
「どうなってんだ、ゼクロス!
向こうだけキュンとさせりゃいいんだよ! 俺にキュンはいらねぇ!」
『おやおや、何と甘酸っぱい青臭いイカ臭い。
私はあの小娘にしか、術をかけていないぞ?
もし貴様がキュンとしたのだとしたら、それはただの恋の始まりだ。
大事な事だから二度言おう。恋の始まりだ」
「……ぬあぁぁぁぁぁっ!」
あり得ない指摘に、俺は思わず剣を全力投擲した。
壁に深々と突き刺さりながらも、ゼクロスの高らかな嘲笑は止まらない。
(恋? 恋だと? メリッサ相手に?
物心ついた頃から、いがみ合い罵り合ってる女に?)
混乱の渦中にありながら、俺は自分の気持ちを分析してみる。
確かに、奴の乳は素晴らしいと思う。
しかしそれ以外は、そうでもない。
顔立ちも可愛いは可愛いけれど、せいぜい中の上くらいだ。
じっくりしっかり考えてみて、改めて確認できた。
メリッサはないな──と。
どうせモテるのならば中の上などではなく、お伽話の女神やらお姫様やらといった、絶世レベルの美女にモテたい。
絶世美女をはべらかして、メリッサを見返してやりたい。
そのためには契約が必須だ。
『さぁ、武器屋よ。契約するのだろう?
早く宣言して、血判を交わそうではないか』
勝ちを確信したかのように、ゼクロスが声を弾ませる。
この時点で俺の心は、八割方、契約する方向だった。
けれど──。
「やっぱ保留だ。
こういう命に関わるような話は、もっとじっくり考えるべきだ」
やっぱり思い直して、さらりと断ってやった。
お約束のようにゼクロスが悲痛な叫びを上げたのは、言うまでもない。