モテモテ。
それは俺とは縁遠い、けれど一生のうち一度は体感してみたい現象だ。
魅力的なキーワードに揺さぶられた俺に、ゼクロスと名乗った淫魔は、懸命の説得を始める。
『見た限りでは、貴様はどこにでもいる、ごく平凡な脇役キャラだ。
このままだと将来、近所の世話焼きおばさんの仲介で、そこそこ不細工な嫁をもらい、それなりに不細工な子供が生まれて、不細工な家族のために身を粉にして働いて、禿げ上がる運命が待っているぞ!』
「……ずいぶんと具体的に、イヤ~な未来予想してくれやがったな」
『そうならないためにも、だ!
私が貴様のモテ期を約束しよう。
私は上級淫魔だから、異性をムラムラさせるのなんぞ、お手の物だ。
ただし……契約者が清いカラダでなくなった時点で契約が切れるから、気を付けるようにな』
「抜いたら抜けなくなった」とごちていた勇者の姿が、はっきりと思い出される。
謎かけのような言葉は、どうやらこの事を表していたらしい。
けれど何だか矛盾している。
俺はうまい話に騙されないよう、ゼクロスの腹の内を慎重に探ってみる事にした。
「じゃあ何で前契約者のあの勇者は、脱チェリーしたのにモテモテのままなんだよ?」
『それは、勇者の顔面スペックが高いからだ。私との契約前から充分にモテていたぞ。
だから私は彼奴のために魅了術を使った事は、ただの一度もない』
「だったら勇者はお前と契約するメリットなんかなかったんじゃないか?」
『淫魔とて魅了術一辺倒というわけではない。他にも多くの魔法を扱える。
勇者とは簡単に言うと、利害の一致で契約したのだ』
「ふーん」
『親の仇とやらで魔王を倒す事に執念を燃やしてストイックだったが、残念ながら周りの女が彼奴を放っておいてはくれなかったのだ』
世の中、理不尽だ。
喉から手が出るほどモテたい男がいるというのに、女に見向きもしないような冒険馬鹿の方が、ちやほやされるなんて。
そんな奴らを見返すためにも、ゼクロスが鼻先に吊るしてきた有難いニンジンに、今すぐ飛びつきたい気分ではある。
しかしこの手のうまい話には、えてして裏があるもの。
疑り深くなかったら、生き馬の目を抜くこのご時世、あっという間に騙される。
心の半分以上を持って行かれながらも、俺は冷静を装い、剣の住人に問うてみる。
「で? もちろんお前も、タダで俺をモテモテにしてやろうってわけじゃねぇんだろ?」
『ほう、チェリーボーイのくせに、なかなか抜け目ないな。
もちろんこちらとしても、慈善事業でやっているわけではない。だが条件は一つだ。
私と契約して、私にかけられた呪いを解き、ここから出して欲しいのだ』
──やっぱりか。
武器屋という商売上、今までに何振りか、魔剣と呼ばれる珍品を目にしてきた。
そのどれもが魔物を封じられていたり、魔力を込められていたり、はたまた強い怨念によって呪われていたりと、黒いいわくがつきもの。
このゼクロスの剣も、例に漏れずだ。
ほんのちょっと興味をそそられた俺は、興味なさげなスタイルを貫きつつ、質問を続ける。
「念のため訊いてやるけど、呪いを解く方法って?」
『一筋縄ではいかんだろうな。
呪いをかけた相手と姦通を果たすか、さもなくば殺すかの、二者択一だ』
「で? 呪いを解いたその後は?」
『う……っ!』
途端に口ごもるゼクロス。
剣の中で、赤い瞳がおおいに泳いでいる。
お陰で少しばかり冷静になれた。
例え甘い誘惑に乗ってモテモテスキルを手に入れたとしても、呪いを解くか脱チェリーをしてしまえば、契約が解除される。
そうなれば俺は、たちどころに元の平凡な脇役キャラに戻ってしまう。
夢は所詮、夢のまま。
ちょっと期待してしまっただけに、落胆も大きい。
けれどモテモテ詐欺を事前に見抜く勉強になったと思って、良しとしよう。
軽い頭痛を覚え始めた俺は、眉間を押さえて大きな溜め息をついてから、言い逃れできない矛盾点を突きつけてやった。
「いいか、よ~く考えてみろ、男が何のためにモテたいのか。
いい女を、抱いて抱いて抱きまくりたいからに決まってんだろ。
ただモテたって何の意味もねぇ。脱チェリーできなきゃ、抱けなきゃただの生殺しだ」
『例え生殺しだとしても! 触れるのだぞ?
揉める・舐められる・吸える!
それすなわち、揉まれる・舐められる・吸われる、だ!』
快晴の空から俺めがけ、まっしぐらに雷が落ちたかのごとき、激しい衝撃が走った。
視界が急に明るくなったのは、きっと瞳孔がギャン開きしているせいに違いない。
──最後までできずとも、直前までは楽しめる。
女の裸を肉眼に映した経験もない身からすれば、夢物語のような話だ。
湧き上がった生唾を飲み下してから、俺はもう一度インターバルを取って、しっかりと前向きに検討してみる事にした。
魔族との契約は、馬車やら家やらを買うための小難しい書面契約とは違い、お互いの魂同士で交わされる。
一方が不履行を果たせば、もう一方に魂を奪われるという、厄介な決まりだ。
俺とゼクロスの間で契約を交わすとしたら、果たしてどのようなギブ&テイクがあるのだろう。
呪いを解くために働く見返りとして、ゼクロスは俺をモテモテにする──となると、俺は武器屋をたたみ、いざ冒険の旅へと出発しなければならない。
強制契約破棄の逃げ道は、脱チェリー。
いざとなったら適当に済ませてしまえばいい。
もちろん、モテモテに未練がなければの話だが。
どちらかというと、こちら側に優位な条件のように思える。
だがしかし、俺は武器屋をたたむ訳にはいかない。
モテモテ大冒険を終えていざ帰って来たら、ただの無職の非モテモブに成り下がってしまうだろうから。
『ごちゃごちゃと悩んでいるようだが、私には心の声が丸聞こえなのだぞ、武器屋よ。
これは貴様にとって間違いなく千載一遇のチャンス。宣言して血判を交わせば、契約成立だ。
さぁ、始めようではないか』
すっかり乗り気のゼクロスは、こちらの答えを待たずして、角の先で傷付けた親指を差し向けてくる。
さて、どうしたものか。
俺はモテ期と武器屋、夢と現実を天秤にかけて、悩みに悩んだ挙げ句、
「いや、やめとくわ」
さらりと断わってやった。
なぜならばいくらモテたとしても、腹が膨れる事はない。
食べ物を買うためにはお金が必要、お金を得るためには働かなければならないからだ。
これが人の世の摂理。
長い人生、堅実が一番だ。
「やっぱりお前の剣は、地金リサイクルに出す。
そうすりゃ魂ごと消滅して、呪いとかどうでも良くなるだろ」
『そんなっ! 冷たいぞ、武器屋よ!
袖擦り合うも他生の縁、ここで会ったが百年目!
いざ契約を交わそうではないか!」
「断る。俺は武器屋を営むためだけに生きてるんだ」
もうこれ以上、こいつと話す必要はない。
交渉決裂だ。
開店までの貴重な時間をくだらない事に浪費させられた腹いせにと、俺は野生動物の落とし物に、魔剣をくっつけてやろうとした。
憐れっぽいゼクロスの悲鳴が頭蓋の中でわんわんこだましているけれど、関係ない。
溜飲を下げ、笑顔で開店するための、大事な儀式だ。
あともう一指分で、いよいよ汚物とドッキングという時、
「な~にやってんのよ、武器屋!
天下の往来でウンコつついて遊んでるなんて、あんた馬鹿じゃないの?
早く退けなさいよ、それ。じゃないとうちの店にまで匂いが回ってきて、迷惑極まりないのよっ!」
耳慣れた罵声がいきなり降ってきた。
驚き見上げれば、無駄に立派な双丘の向こうから憮然と見下ろす、馴染みの顔があった。