目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第2話



 今日も今日とて、平穏な武器屋の一日が始まる。


 毎日の開店前ルーティーンとして、店の前を掃除しようとドアを開けると同時に、それが俺の目についた。


 風邪っぴきの鼻水に似た、薄黄緑の半透明ゲル状モンスター。


 スライムと呼ばれるそいつは、動物の死骸を好んで食べ、なおかつ排泄物も食べる。


 人を襲ったりはしないから、基本的に害はない。


 けれどどうしようもない嫌悪感が、本能的に湧いてくる。


 石畳みに残された野生動物の落し物に覆い被さり、ぷるぷる身を震わせながら食しているスライムに背を向け、俺は店内へと急いだ。


 スライムはいわゆる、ザコモンスターだ。


 中心に透けて見える核を壊せば、液体状になって土に還る。


 だが面倒な事に、その核が硬い。


 しかもきちんと破壊しないと、再生してしまう仕様だ。


 幸いこいつは。まだ片手鍋一杯分ほどの大きさの幼体なので、それほど手間はかからないだろう。


 成体ともなると、槍で突かなければ核まで届かないほど、厄介な大きさになってしまうのだから。


 俺は地金リサイクル用の樽から適当な剣を見繕い、踵を返した。


「あー、きったねぇなぁ……」


 改めて観察してみれば、いや増す不快感。


 動物の落し物が細かくすり潰され、半透明の体内を巡っているのが見える。


 放っておきたいけれど、店の真ん前にこんな汚物がいたら、商売あがったりだ。


 街の景観を損ねると、商工会のジジイ共にも叱られてしまう。


 めちゃくちゃ気乗りしないが、片付けるしかない。


 やれやれと剣を抜いてから、ようやく気付いた。


 これはつい先日、勇者から買い取ったばかりの、例の宝剣だ。


『やーいやーい、チェリーボーイ!』


 俺を嘲笑う勇者一行の姿が目裏に浮かび、こめかみに青筋が走る。


「チェリーボーイで……何が悪いっ!」


 八つ当たりの一撃を叩き込まれたスライムは、核を割られ、みるみるうちに萎んでいった。


 後に残るのは小さな水たまりと、場末の酒場の便所を思わせる不快な芳香だけ。


 口の中に滲んだ気持ちの悪い唾を吐き捨て、剣を鞘に収めようとした時だった。


『チェリーボーイは悪くない。

悪いのはこの世界なのだ……!』


 どこからか、恨みがましい声が聞こえてきた。


「……誰だ?」


 辺りを見回しても、早朝の街中には人はおろか、モンスターの一匹もいない。


 おかしい。


 幻聴と呼ぶには、あまりにもしっかりと聞こえた。


 そう、まるで頭の中に、直接響くような。


『その通り。私の声は、貴様にしか聞こえていない』


 心の声に答えるような言葉を掛けられ、肌がゾクリと粟立った。


 この世界に死霊だ精霊だのという、不可思議な者が存在する事は知っている。


 しかし今まで生きてきた中で、そういった類とは全く縁がなかった。


 だから余計に気持ちが悪い。


 怖い想像を振り払うために、俺はわざと大声を出した。


「だから誰なんだよ!

おかしな魔法使って、こそこそ以心伝心してねぇで、出てこい!」


『死霊でも魔法でもない、呪いだ。

そのせいで私は、ここから出られないのだ』


「ここって、どこだよ?」


『まだ分からないのか。没個性なばかりか、勘まで鈍いのだな、貴様は。

ほら、ここだ。

さっきから貴様が手にしている、剣の中だ』


剣の中とは、これまた珍妙な。


 恐る恐る覗き込んだ剣身に映るのは、訝しげな表情を浮かべる俺の顔だけ。


 美男美女は三日で飽きると言われているが、俺は一生相手を飽きさせない自信がある。


 なぜならば、どこにでもいるような黒髪黒眼で、これといった特徴も黒子すらもなく、会った数分後には忘れてしまうような、印象の薄い顔だからだ。


 こんな風に意図せず不意打ちで自分の没個性な顔と向き合うと、ほんのり暗い気持ちになる。


(何だよ……何もいねぇじゃんか。

やっぱり幻聴か? 疲れてんのかな、俺)


 目の下のクマを確認せんと剣身を近付けた途端、見慣れた顔が、いきなりぐにゃりと歪んだ。


 水面を揺らす波紋のようなノイズが立ち、それが消えた後、なんと剣の中に綺麗な男の顔が現れた。


 長い銀髪の間から生えた二本の立派な角は、魔族の証だ。


 一般的に「角の大きさと魔力の強さは比例する」と言われているから、こいつはなかなか強力な魔族なのだろう。


 鏡のように向き合っているくせに、俺と相反する個性的で整った顔立ちをしているのが、たまらなく腹立たしい。


 しばらく見つめ合った後、剣の中の男はニヤリと口元を歪めた。


『私の名はゼクロス。

世界を統べる、魔王の中の魔王だ』


 ──誇大表現もいいところだ。


 それに初対面の相手にそんな自己紹介なんて、厚顔無恥も甚だしい。


 昨日の勇者といい、こいつといい、頭が沸いているのだろうか。


 頭が沸いているからこその美男仕様なのだろうか。


 だったらいっそのこと、俺の頭も沸いてくれないだろうか。


 恨みがましく剣身を睨み付けてから、俺はスライムが食べ残した野生動物の落し物の上に、そっとそれをかざしてやった。


「何たわけた事ぬかしてやがる。

どう見たって、魔王の風格じゃねぇだろ。ちょっと顔がいいだけの、上級魔族だろ。

本当の事言わねぇと、お前の住処をウンコまみれにすんぞ」


『わわわわわっ! 待て待て!

確かに、魔王は言い過ぎた! だが私は、そこそこ魔力の高い魔族で、先代の魔王の弟の娘の姪っ子の』


「はい、そういう長い説明、めんどい」


『ごめんなさいごめんなさい!

一介の淫魔ですっ!』


 だったら初めから素直に申告すればいいものを、この無駄美青年め。


 改めて柄を握り直し、俺は再び冷ややかな視線を投げかけてやる。


「で? 何なんだよ?

いちいち俺に話し掛けてくる必要があったのか?」


『ありもありの、大ありだ。

貴様は我が魔剣に選ばれたのだから、光栄に思うがいい』


 種族で差別するつもりは毛頭ないけれど、どうも魔族という奴は人間を見下したがって、いけ好かない。


 昔ながらの悪しき風潮だ。


 上から目線の偉そうな物言いに大いに苛立った俺は、やっぱりウンコまみれの刑を執行してやろうと、剣を下ろした。


『待て待て待てっ!

モテモテになりたくはないか、少年よ⁉︎』


 魅惑的な色をたたえた問いかけに、溶けたスライムの痕跡の上で開こうとしていた指が、ギクリと止まった。




コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?