【20××年 7月18日】
「最悪だ……」
朝から僕は深いため息をついては、重い足取りで通学路を歩く。
僕がこんなにも憂鬱な原因、それはただ一つ。
「どうしたの、名倉くん? ︎︎そんなんだと、幸せが逃げちゃうぞ!」
「僕の幸せという安らぎはお前がいる限り、当分の間訪れることはないよ……」
小さく呟いたつもりだったが、灯山にはしっかりと聞こえていたらしい。後ろから「ひっどーい!」と言う大声が聞こえ、僕は再びため息を着いた。
……正直、あの後のことはあまり覚えていない。ただ言えるのは、酷く心配した姉さんが慌てて僕を病院に連れていき、目が覚めたらベッドの上だったということだ。
僕が眠っている間、色々と精密検査をしたようだが、やはりと言うべきか……脳や身体には以上は見られなかった。
今まで見えていなかった灯山が、急に見えるようになったということは……。
――――あの伝承は、本物だった……?
灯山が見えるようになったのは、あの泉を見つけたあとだ。
偶然と言うにはあまりにも都合がよすぎる。だからといって全てを鵜呑みにするには、あまりにも非科学的するぎる。
……結局、なんだかんだと考えすぎた結果。高校生にもなって僕は、知恵熱を出した。なんとも不甲斐ない……。
「僕がもう少し頭が良ければ、この非現実的な状況を打開できたのかな……」
「名倉くんは十分頭いいよ! 学年最下位争いの私が保証します!」
「最下位争いしているお前に言われても、嬉しくも説得力の欠けらも無いよ」
そうこうしているうちに、学校へと着いてしまった。
僕は上履きに履き替え、教室へと静かに向かう。
その間、灯山はというと、僕がスルーしスルーされているすれ違う生徒たち一人一人に挨拶をしている。
「おっはよー! おはよー! お・は・よー!」
正直うるさいとは思うが、これは生前のアイツがよくやっていたことだ。
灯山は誰彼構わず、挨拶したり話しかけていた。
僕みたいに戸惑う人間もいたのはもちろん、灯山に話しかけられた生徒たちは皆どこか嬉しそうに……気づけば楽しそうに話していた。
――――それは、僕も……。
「おい、灯山。いくら周りに見えないからって言っても、うるさいぞ」
僕が耐えきれずに指摘すれば、灯山は「ゴメーン、名倉くんとまた一緒に登校できるのが嬉しくて。ついはしゃいじゃった」と笑った。
「頼むから、授業中は静かにしててくれよ。集中できな……」
教室のドアを開けて、僕は思わず立ち止まる。
一番後ろの、窓際の席。
その隣の席には、一輪の百合の花――。
――――そうだ、その席は……。
僕が思わず立ち止まるのとは裏腹に、その席の主はスタスタと歩き――。
「ほら、名倉くん! 早く、早く!」
何事もなかったかのように、百合の花が入った花瓶の置かれた席へと座った。
僕はなんとも言えない気持ちを押し殺して、普段通りに席へと着く。
「へへっ。この百合、すごく綺麗だね」
「そう……」
僕はいたたまれなくて、窓の外を見ながら答える。
一番後ろの、窓際の席。
その隣はずっと空席で、花が置かれていたのは……。
そこが灯山の席だったからだ。