先日買ったばかりの浴衣に、袖を通す。
あまり派手ではない浴衣の柄に合わせ、化粧をし、髪を結い、髪留めをつける。
着付け終わり、自分が映った鏡の前で回ってみる。
「うんうん、いい感じ」
合わせて買った巾着袋に、貴重品を入れる。
下駄を履いて、玄関のドアを開ける。
はやる気持ちを抑え、私は今日という日を、楽しみにしていたのだ。
******
それは数日前の事だ――――。
私はいつものように、喫茶店『ボヌール』へと足を運んでいた。
理由は大きく分けて二つ。
一つ目は、このお店の落ち着いた雰囲気に癒されながら、カウンターでコーヒーを飲むこと。
二つ目は……この店主である青山さんと、何気ない世間話をすること。
青山さんと出会ったのは一年ほど前。
仕事帰りに見つけた白猫の後を追った際、たまたまこのお店を見つけたのだ。
青山さんはとても優しくて、爽やかな好青年。
私の好みドストライクであり、私は密かに青山さんへ恋心を抱いているのだった。
しかし、私の性格上。ここぞという所で自分から踏み出すことが出来ないところがあり、特に進展もないまま一年が経過した。
(今年こそ、進展したい気持ちはあるけど……この何気ない会話をする関係も、結構好きなんだよね)
本音を言えば、今の関係を壊したくないということも、進展しない原因の一つだ。
「はぁ~……」
私はカウンターに突っ伏しながら、盛大なため息をつく。
「えっと、夏風さん。何か悩み事ですか? 僕でよければ、相談に乗りますけど……」
心配そうに眉根を寄せる青山さん。私は慌てて顔を上げて、手を振る。
「何でもないです! 大丈夫です! ありがとうございます!!」
私の返事に「それならいいんですけど……」と、まだ少し心配気味に笑って、カウンターから出る。
ふと見た青山さんの手には、花火のポスターが入った。
「夏祭り、ですか?」
青山さんは入り口にポスターを張りながら、「そうなんです」と答える。
「町内会の方に、夏祭りの宣伝ポスターを張ってもらえないか頼まれたので」
「そうなんですね」
「夏風さんは、夏祭りには行かれますか?」
青山さんの質問に、私は考えながら、コーヒーを一口飲む。
「ここ数年は仕事が忙しくて、全然行けてないですね。青山さんは……」
私はそこまで言葉を発すると、内心考える。
(待てよ、碧? この流れで青山さんを夏祭りに誘うのは、ごく自然な流れでは……? 上手くいけば、今年こそ青山さんとの進展が見込めるのでは……!?)
「あ、青山さんは! 夏祭りはどうですか!?」
下心満載で、青山さんへと聞いてみる。すると青山さんは「うーん」と小さくうなると、軽く苦笑いする。
「僕もお店があるので、なかなか行けてないですね……夏祭りなどイベントの時は、少しですが普段よりもお客様も来られるので……。多分、今年の夏祭りもいけないでしょうね」
「ですよねぇー……」
それはそうだ。私と違って、青山さんは個人経営なのだ。こういうイベント事こそ、お客さんの書き入れ時。常連さん以外にも多く来ることだろう。
私はカウンターに再び突っ伏す。元が下心だったとしても、恋する乙女として一瞬でも淡い期待をしたのだ。青山さんは全く悪くはないが、多少なりともダメージは受けた。
「あの、夏風さん。本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫です……」
すると、入り口のドアが開く音と共に、店内にベルの音が響き渡る。
「ただいまー」
「あ、陽ちゃん。お帰り」
入って来たのは、少し長めで明るい髪をハーフアップに結び、紙袋を持った青年。
「あ、碧さん、来てたんだ。こんにちは」
「今日も来ちゃいました。
陽太くん……
「買い出しありがとう、陽ちゃん」
「いいよ、これくらい。今の俺は涼ちゃんの下で働く、真面目で勤勉で勤労な若者です」
「自分で言っちゃうのそれ?」
青山さんの苦笑いにつられ、私も笑ってしまう。
すると陽太くんは、先程青山さんが貼ったポスターに気づく。
「あれ? そろそろ夏祭りだっけ?」
「そうだよ、陽ちゃん。今年はお友達と行くの?」
陽太くんは「うーん」とうなる。こういう仕草がそっくりな二人は、血縁なのだとしみじみ思う。
少し考えた陽太くんは、首を横に振る。
「いや、皆旅行とか行ってるし。一人で行っても面白くないから。というか虚しいだけだし、俺は行かないかな」
陽太くんの「虚しい」という言葉に、地味にダメージを受ける。
「涼ちゃんは行かないの?」
「僕はお店があるから行かないよ」
「ふーん……」
ふと、陽太くんがこちらを見る。すると近づいてきた陽太くんが、そっと私に耳打ちする。
「ねー、碧さん。俺が『真夏のキューピット』になってあげようか?」
「え……?」
聞き返えそうにも、陽太くんは直ぐに離れていく。そしてカウンターを挟んで、青山さんに向かってこう言ったのだ。
「涼ちゃん、今年は俺が店番するからさ。久々に息抜きに夏祭りにでも行って、碧さんをエスコートしてきなよ」
「えっ?」
「えぇっ!?」
私は陽太くんの腕を掴んでしゃがみこむ。
「ななな、何を言ってるの陽太くん!?」
小声だが、青山さんに聞こえないギリギリの大きさで陽太くんを問い詰める。
「いや、碧さん。涼ちゃんの事気になってるでしょ?」
「なっ、何で……!?」
「だって碧さんわかりやすいもん。……てか多分だけど、涼ちゃん以外の常連さんたちも、碧さんの気持ち気づいてるよ?」
「なっ……!?」
離れたテーブル席に座っている、優しそうな初老の女性に視線を向ける。女性は頬に手を当てながら『うふふ』と笑う。
「あの、二人とも。どうかしたんですか?」
カウンターがあるので、青山さんからは私たちの姿は見えてはいない。
「大丈夫だって碧さん。『愛のハンター』……いや、『愛のヨウター』とは俺のことだから」
「そんなの初めて聞いたんだけど……」
陽太くんは「まぁ、任せてよ」と立ち上がると、青山さんへと向き直る。
「と、言うわけで。今年の店番は俺がやるので、涼ちゃんは気にせず夏祭りを楽しんできてよ」
「何が『と、言うわけで』かは分からないけど……普段より忙しいし、陽ちゃん一人じゃ心配だよ」
「大丈夫。俺、涼ちゃんのところでバイトさせてもらうまで、一日中ホールとかキッチンを一人で回してたことあるから。それに比べたら全然余裕だって」
本当に大丈夫なのかという心配の前に、その以前勤めていたバイト先は大分ヤバくないだろうか?
「それに助っ人も呼ぶから大丈夫」
「え? お友達は皆出かけてるんじゃ……」
青山さんの言葉を完全に無視して、陽太くんは電話をかける。そして一分ほど会話をすると、電話を切った。
「うん、完璧。めっちゃ大丈夫。むしろ鬼に金棒くらいだよ。と、いうわけで安心して」
「何が安心なのか、全く分からないよ陽ちゃん!?」
珍しいくらいに、青山さんのペースが崩されている。
「まー後で面接に来るから。会えば涼ちゃんも安心するって」
「ほ、本当に大丈夫なの陽太くん?」
青山さんではないが、私も不安になって陽太くんに聞いてみる。
「碧さんも涼ちゃんも心配症だなー。大丈夫だって。碧さんは新しい浴衣でも見に行って来なよ」
そして陽太くんに乗せられるまま、私は気づいたら会計を済ませてドアの前に立たされる。
「じゃあ詳しいことは後ほどー」
そう言ってドアを閉めれる。
一時呆然と立ち尽くした私は、大通りに向けて歩き出す。
「……とりあえず、浴衣でも見に行こう」