狂っている。
勝ち誇ったお祈り地蔵を見た清歌の感想だ。
明らかに今までと別人。
ここまで感情を剥き出しにしていたことはなかった。
綾音と話していた時も、ここまで感情を出していなかった。
いや、そもそも感情が薄かったのだ。
「ずいぶんな豹変ぶりだな。狂ったのか?」
清歌はお祈り地蔵に指摘する。
本当にコイツは自分の知っているお祈り地蔵だろうか?
清歌の中で疑念が膨らみ続ける。
「狂った? 我が? 馬鹿を言うな! 我は神ぞ?」
お祈り地蔵の全身から妙な圧を感じた。
神々しい感じではなく、もっとドス黒い嫌な圧力。
裏山に来る際、たまに感じていた不気味な感覚に似ている。
本当に神様なのか疑わしいほどだ。
「合田義人、貴様が神の座に行かぬのならば、この小娘がどうなっても知らぬぞ?」
お祈り地蔵の声は頭の中に直接響いてくるようだった。
それは義人も同じらしく、怪訝な様子でお祈り地蔵を睨んでいた。
「ふざけるな!」
義人はお祈り地蔵に向かって走り出す。
力づくで霧子を助け出すつもりだ。
走り出した義人を見て、お祈り地蔵の体が宙に浮き始めた。
「なに!?」
義人は驚きのあまり走るのをやめてしまう。
いままで喋っていただけでも異常な光景なのに、ついにはお祈り地蔵が浮き始めたのだ。
普通の反応だ。
いたって普通の反応。
だが清歌は違った。
いまさらお祈り地蔵が動いた程度では動じない。
「義人!」
清歌は彼の名前を呼ぶ。
しっかりしろと声をかけて走りだす。
目標は地面に横たわる霧子だ。
「無駄だ!」
お祈り地蔵が叫んだ時、清歌は急に動けなくなってしまった。
突然訪れた硬直に、バランスを崩してそのまま地面に突っ伏してしまう。
異常な力だった。
一切体が動かせない。
指一つ、口さえも動かせない。
呼吸だってギリギリだ。
「清歌! どうしたんだ?」
義人が清歌に駆け寄ろうとするが、義人も同じく不思議な力によってその場に縛り付けられてしまう。
異質な力、異異様な光景。
お祈り地蔵の前に三人の少年少女が倒れこんでいる光景。
他の住民が来たら騒ぎになるだろうが、生憎と真夏にお祈り地蔵の元に訪れる者はそうはいない。
清歌は全身を縛るものの正体に気づいた。
これは鎖だ。
綾音の足を縛っていたのと同じ。
神の鎖。
全身に絡みつく鎖の感触。
この異常な圧力は鎖から伝わっている。
こんなものをずっと足に付けられていたのか……。
清歌は綾音の姿を思い浮かべる。
いつも涼しい顔をして窓の外を眺めていた彼女。
話をした時の、何でも知っているようで意外と純粋な彼女。
霧子が攫われたことを話したときの頼りがいのある彼女。
告白をした時の恥ずかしそうな彼女。
清歌の頭の中でさまざまな綾音の姿が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。
本当に苦しい時に浮かんだのは、結局のところ綾音だった。
もうダメかもしれない……。
あまりの圧力に意識が朦朧としてきた清歌は、諦めかけていた。
仕方のないことだ。
相手は神様で、いまこうして身動き一つできない状態で寝そべることしかできない。
一切の抵抗は叶わず、どれだけ気持ちを強く保ったとしても、感情だけではどうにもならない世界を知ってしまった。
義人と霧子は大丈夫だろうか?
ちょうど角度的に二人の姿を視界にとらえることができない。
だがさっきから声がしないところを見ると、意識を失ったか声すら出せないほどの圧力をかけられているかだ。
「私の清坊に何をしているの?」
冷たいゾクりとするような声。
聞き覚えのあるはずの声。
しかし聞いたことのないほどに恐ろしい声色。
「……バカな! 一体どうやって!?」
指を鳴らす音がしたかと思うと、清歌たちを縛りあげていた鎖は一瞬で消え失せ自由を取り戻す。
痛む体をなんとか奮い立たせて顔を上げて、首を動かす。
声がした方へ、声がした方へ……。
清歌は自分たちが登ってきた方向に視線を移す。
そこには思っていた通りの人物が立っていた。
いつも通りの白いフリルのついたブラウスに紺色のスカート。
普段は鎖に縛られていた足元は、鎖の代わりにミュールを履いていた。
はじめて外にいる姿を見た気がする。
しかしいつもの柔和な雰囲気は微塵もない。
凍てつくような迫力を湛えて立ち尽くす彼女の姿は、人間ではないみたいだった。
「綾音さん……どうして?」
清歌は信じられないと言いたげだ。
どうやって彼女がここに来られたのか?
鎖はどうやって外した?
疑問は尽きない。
「清坊はそこで見てなさい。あとは私がやる」
綾音は一瞬だけいつもの優しい表情を浮かべた。
清歌を安心させるために作った顔だ。
本心では、綾音は怒り狂っていた。
大切な清歌をあの鎖で縛りあげるなど、許されることではない。
綾音は冷たいオーラを放ちながらゆっくりとお祈り地蔵に近づいていく。
「質問に答えろ! どうやってあの鎖を外した!? それに、なんだその力は! それではまるで……」
「まるで神そのものとでも言いたいのかしら?」
お祈り地蔵の言葉を綾音が引き継ぐ。
そうだ。
いま彼女が言った通り、この違和感の正体はそれだった。
いまの綾音はまるで人間離れしているのだ。
その姿や態度がという話ではない。
発しているオーラが、同じ人間とは思えなかった。
「そうよ。今の私は一時的に神に戻っているの」
綾音の一言に、清歌とお祈り地蔵は驚く。
清歌に至ってはそんなことができるのか? という驚きだが、お祈り地蔵の場合は少し違う。
堕天した元神がもう一度神に戻るには”他の神様”の助けがいる。
そのことを知っているお祈り地蔵は、綾音の背後に潜む存在に目を潜めた。