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第四十話 お祈り地蔵の罠


「きっとお祈り地蔵のところじゃないかしら?」


 綾音は確信をもって答えた。

 この空神町にこんな強引な手段をとる神なんて彼しかいない。


「行かなくちゃ……」

「義人?」


 うなだれていた義人はよろよろと立ちあがる。

 さっきまで悲嘆していたとは思えないほど、その目には光が宿っていた。


「先に行く!」

「おい、義人!」


 義人は清歌の制止を振り切って動き出す。

 階段を駆け下りて玄関のドアを開け放ち、裏山に向かって走っていった。


「ありがとう綾音さん。僕も行くよ」

「気をつけてね清坊。あいつ、何をしでかすか分からないよ?」

「大丈夫だって。必ずあいつをなんとかして、綾音さんの鎖を断ち切ってみせるよ!」


 清歌の言葉に、綾音は思わず自身を縛り付ける鎖に視線を移す。

 これさえなければ、自分も清歌と一緒に裏山に行けるのに……。

 そうすればもしもの時に清歌を守れるかもしれないのに……。

 だけれどここで彼の無事を祈るしかない。


 これこそが神罰なのかもしれない。

 綾音はふとそう思った。

 助けたい人間を助けられない。

 助けたい人間を助けた罪で堕天した綾音に対する罰としては、このうえなくお似合いだ。


「無理だけはしないでよ」


 いつの間にか家を飛び出していた清歌のうしろ姿に投げかけた言葉は、思った以上に弱々しく町の喧騒に消えていった。




「待ってよ!」


 途中に転がっていた自転車を拝借したおかげで、清歌は裏山に到着する前に義人の背中をとらえることができた。

 裏山のふもとで呼吸を整える義人と清歌。

 視線は遥か高く山の頂上を睨む。


「行くぞ」

「こんなに緊張感のある登山は初めてだよ」


 義人と清歌は覚悟を決めて登りだす。

 すでに太陽の位置が低い。

 もうじき夕暮れだろうか?


 この先に神がいる。

 しかも明確に敵と決まった神がこの先に構えているのだ。

 霧子という人質を手中に収めて……。

 超常の頂点ともいえる神と敵として対峙するのだ。

 底抜けの恐怖が全身を支配し始めた。

 最初こそ勢いでここまでやって来たが、いざもうすぐ対面となると恐ろしく感じた。


 義人はどうだろう?

 清歌は一歩先を行く義人の背中を見る。

 一定のリズムで上下に動く背中からは一切の恐怖を感じなかった。

 いざという時の男らしさや度胸は、やはり彼の最大の才能なのだと思った。

 どんな天賦の才を持っていたとしても、大一番でやり切る度胸がなければ何も成し遂げられない。


「義人」

「なんだよこんな時に」

「怖い?」


 清歌が一言たずね、一瞬の静寂が訪れる。

 答えに迷っているのか、それとも考えがまとまらないのか。


「怖いさ。当たり前だろ? でも行くしかないんだ。清歌だって同じ気持ちで前にここを登ったんじゃないのか?」


 ああやっぱり義人も怖いのか。

 清歌は少し安堵した。

 彼も自分と同じ人間だ。


 義人は素直に怖いと答え、それでも登るしかないだろうと続けた。

 その気持ちは少し前の清歌の中にあったものだった。

 綾音の解放を願って、単身で裏山を登った時だ。

 お祈り地蔵に宿る神と対峙する覚悟で登った感覚。

 清歌は義人の言葉でその時の気持ちを思い出した。

 本当に大切な人のためならば、相手がなんであろうと立ち向かう強さと勇気。

 二人にはそれがあったのだ。


「あそこ!」


 階段を登り切った義人は、お祈り地蔵の目の前で横たわっている霧子を指さす。

 とりあえずホッとする。

 ここから見ている限りでは、無事そうだ。

 呼吸をしている証拠に、わずかだが肩が上下に動いている。

 問題はこれからどうするべきか。

 いまのところお祈り地蔵は二人に反応していない。


「行こう義人、行くしかない」


 清歌が義人に耳打ちし、義人は黙ってうなずく。

 ここからは清歌が義人を引っ張る番。

 神に慣れているというと語弊があるが、超常的な存在と接するのが初めてな義人よりは、冷静にことを運べるだろう。


 清歌が義人の半歩前を進み、霧子とお祈り地蔵の前までやってきた。


「これはどういうことだ?」


 清歌は義人の気持ちを代弁しつつ、お祈り地蔵に話しかけた。

 あってはならないこと。

 これはルール違反だ。

 清歌とお祈り地蔵のあいだで完結すべきことであって、他人を巻き込んでいいような話ではない。


「アンタは僕に条件を満たした人間を連れてこいと言ったな? いいか? ”連れてこい”だ。勝手に攫ってくるなんて、とても神の所業とは思えない」


 清歌はだんまりを続けるお祈り地蔵に詰め寄る。

 いままで見たことがないほど、清歌は怒りに震えていた。

 恋愛の話はさておき、家族以外ではもっとも大切な人の一人である霧子が狙われたのだ。

 到底許せるようなものではない。


「ずいぶんな物言いじゃないか。いかにも我は条件を出した。それに連れてこいとも言った。そして貴様はちゃんと”連れてきた”」


 しばしの沈黙の後、お祈り地蔵は清歌の言葉に反論する。

 そして確かにこの神は言ったのだ。

 清歌が”連れてきた”と。


「僕は霧子を連れてきてはいない! お前が攫ってきたんだろうが!」


 清歌はお祈り地蔵の言っている意味が分からず叫ぶ。

 そうだ、連れてきてなどいない。

 霧子は確かに攫われたんだ。


「いい加減気づけ馬鹿どもが。神に攫われた人間が、メールなんて送る余裕があるとでも思うのか?」


 お祈り地蔵の言葉に二人は固まった。

 いまなんて言った?

 メールを送る余裕なんてないって言ったか?


 確かに言われてみればそうかもしれない。

 家もなかったことにされ、人間として生きた痕跡すら消そうというのに一通のメールを許すだろうか?

 メールそのものも消せばそれで済むはずだ。

 家や記憶、記録まで消せるのだからなにも難しくないはず。

 なのになぜ霧子のメールは義人に届き、綾音を含む清歌たち三人の記憶をすぐに消さないのか。


「まさかこのメールは……」

「察しが良いな小僧。それは我が送ったメールだ」

「そんな!?」


 送り主は霧子と表示されているが、実際の送り主はお祈り地蔵。

 さらった本人がわざわざ清歌たちにメールを送ったのだ。

 しかし一体なんのために?


「理由は簡単。お前たちをここにおびき寄せるためだ」


 お祈り地蔵は不敵に笑っていた。


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