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第三十五話 それぞれの告白


 花火が夜闇に打ち上がり、歓声が響く。

 夏の夜空に輝く色鮮やかな花火たちは、見るものすべての心を奪う。

 霧子と義人も同じく花火に心を奪われ、派手に爆発して儚く消え去る夜の花を見上げていた。


 ドギマギしながらそっと手を霧子に近づけた義人、そんな彼の手を霧子はぎゅっと握りしめた。

 ハッとする義人と、何事もなかったかのように花火を見続ける霧子。

 対象的な二人だが、内心は同じく焦っている。

 義人は告白するタイミングをうかがい、霧子はいつ告白が飛んでくるのかと身構える。

 義人は花火を見上げるふりをして霧子を盗み見た。

 鮮やかな浴衣に身を包んだ霧子。

 髪を結び、普段の制服姿とはまた違った魅力が溢れ出ていた。

 整った顔立ちに、すっとした首筋。

 やや汗ばんだその表情。

 それらすべての要素が義人を惑わす。

 しかしこのまま時間が経過してしまっては、花火が終わってしまう。


「霧子……」

「なに?」


 花火の音に邪魔されないように、耳元で彼女の名前を呼ぶ。

 霧子はついに来たかと振り向く。

 二人の視線が絡み合う。

 喧騒が遠ざかっていき、花火の音でさえ離れていく。

 完全に二人だけの世界。

 義人は緊張で乾いた口を精一杯動かした。


「霧子、俺と付き合ってほしい!」


 思いのほか大きな声が出て、二人は慌てて周囲を見渡す。

 幸い、誰もが花火に夢中になっていて二人のことなど眼中にないようだった。

 ホッとした二人はそのまま花火会場から移動し、十数メートル離れた大木の陰で向かい合った。

 ここなら誰も来ないだろう。

 今度は霧子が決心する番だった。


「よろこんで! これからもよろしくね義人!」


 霧子は返事の気持ちのまま、義人の両頬を掴んで引き寄せた。

 義人の唇に柔らかい感触が広がる。

 そのまま抱き合う形となった二人。

 お互いの体温を感じる。

 近いようで遠かった二人の体温。

 義人は喜びと驚きで思考が停止してしまう。

 溢れ出る衝動を抑えつけ、霧子の両肩を掴んで体を離した。


「良いんだな?」

「もちろん!」


 二人は潤んだ瞳で向かい合い、先程までの勢い任せではない優しいキスをした。




 遠くで花火の音が響く。

 高い建物がない空神町では、どこからでも花火を拝むことができる。

 それは花火大会の会場から抜け出した清歌にも平等にやってくる権利だった。

 いまごろ告白は上手くいっているだろうか?

 清歌は夜闇の中を静かに歩く。

 時折見える花火に心を躍らせながら、霧子と義人のことを考える。

 事前に霧子に聞いた時には、告白を受け入れると言っていた。

 それを聞いて安心したのはなにより自分だった。

 霧子から清歌への告白。

 それのせいで義人の告白が、変な形で失敗に終わることが怖かった。


「まあでも、二人なら大丈夫でしょ」


 清歌は両手を天高く伸ばす。

 緊張で縮こまった体を解放する。


 彼らの想いはこの花火のように打ちあがるだろう。

 だけど決して散らないように、二人はうまくやっていくはずだ。

 残ったのは僕だけ。

 僕の問題だけだった。


 清歌はあえて避けていた場所に向かっていた。

 あれだけ足繫く通ったはずなのに、正解が見えないというだけで避けていた場所。

 いまの斎藤清歌をつくりあげたといっても過言ではない場所だ。

 花火が終わるにはまだ時間がある。

 清歌は目的地に到着して顔を上げる。


「お久しぶりです綾音さん」

「清歌……」


 綾音は清歌が久しぶりに姿を現したことと、自然に話しかけてきたことでついつい返事をしてしまった。

 清歌に神罰が下ることを恐れて関わらないようにしていたというのに、理性が働かなかった。

 好きな人と話したいという、人間が持つ当たり前の感情だった。


「あれからお祈り地蔵といろいろありまして、いまさら僕が綾音さんと話した程度で何かしてくるとは思えないので安心してください」

「まったく安心できないんだけど。それ以上になにかしてしまったってこと?」


 綾音は呆れたように頭を抱えた。

 相変らず二階の窓から外の世界を見続ける彼女は、ここ数週間、清歌の姿だけが足りないと思って過ごしてきた。

 いつもは視界に入るはずの清歌、話しかけられないと分かっていてもその姿を目で追っていたのだ。

 そんな清歌がいなくなった途端、綾音の視点は対象を失ってしまった。

 焦点がどこにも合わない。

 あんなに色鮮やかに写っていた人間たちの等身大の風景が、一気に灰色の世界に見えてしまったのだ。

 興味は色味なのだと綾音が知ったのはその時だった。

 綾音は人間の世界に興味があったわけではなかった。

 清歌の暮す世界そのものに興味があったのだと実感した。


「ねえ部屋にあがらない? 清坊が何をしてしまったのか聞いておきたいの」


 綾音は大胆な提案をした。

 たったいま清歌が言ったのだ。

 もう過度に恐れる必要はないと。

 それにもう自分の中の気持ちを抑えることはできそうになかった。

 清歌と話したいという感情が綾音の中で荒れ狂う。


「綾音さん!」


 綾音が部屋に上がるように促してからほんの一分ほど。

 清歌が勢いよく部屋のドアを開けた。

 綾音と清歌の視線が交差する。

 あれだけ話したいと思っていた二人なのに、声がまったく出なかった。

 聞こえてくるのは花火の音だけ。


「ねえ綾音さん」

「なに?」


 本当は話すべきことはたくさんあり、聞き出すべきこともいくらでもあるのに、綾音は清歌の次の言葉を待つことしかできなかった。

 しかもきっと、いま綾音が聞き出そうと思っていることとは別のこと。


「僕さ、やっぱり綾音さんが好きなんだ」


 清歌の告白は花火を背景に打ちあがった。

 綾音は目を丸くする。

 もちろん彼の気持ちは痛いほど分かってはいたけれど、きっといろいろ上手くいかなくて最近姿を見せていなかったはずなのに、それでも彼は諦めていなかったのだ。


 遠くで響く花火の音に支配された綾音の部屋で、綾音は静かに息を飲んだ。


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