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第三十話 想いは裏山へ


「ねえ清歌」


 裏山の入口で、霧子は改まった様子で清歌に向き合う。

 神秘的な雰囲気だった。

 彼女の背後から夕日が顔を出し、神々しく彼女を演出する。

 二人にとっての思い出の地で、霧子は精一杯の勇気を振り絞る。


「私が清歌のことを好きって言ったらどうする?」


 霧子は普段の様子が嘘みたいにたどたどしく告白した。

 セミの声が響く中、二人しかいない空間で告げられた好意。


「好きって……人としてとかじゃなくて?」

「うん。異性として好き」


 清歌は胸の中がざわついた。

 ずっと家族のように一緒だった霧子の新たな側面。

 異性としての顔を見せられ、清歌は素直に混乱した。


 いつも隣りにいた霧子。

 自分のために料理をしてくれた霧子。

 一緒に義人の試合を見に行った霧子。

 そして、自分が綾音さんに夢中だった時にもとなりにいた霧子……。


 すべての事柄が一度に脳内に去来する。

 さまざまな感情が胸の中心でぐちゃぐちゃに混ざり合う。

 嬉しさもあるし、戸惑いも恐怖すらも……。

 霧子を好きだと言った義人の照れくさい表情。

 綾音の家にいたときの霧子の表情。

 二人の親友の気持ちが、感情が、濁流のようになだれ込んできた。


 何か……何か答えなくちゃ……。

 清歌の中で焦りが生じた。

 相手を大切に思うからこその焦り。

 勇気を振り絞って告白してくれた彼女の気持ちを無下にしてはいけない。


「僕は……」


 清歌は答えようとして言葉に詰まる。

 頭の整理がついていない。

 考えがまとまらない。

 霧子の緊張した顔を真っすぐに見ることができなかった。


 しかしここで回答を後回しになんてできない。

 結局ここで逃げたって、なにも変化はない。

 義人の顔が脳裏に浮かぶ。

 霧子のことが好きだと語った彼の表情が忘れられない。

 自分はいったいどうなのだろう?

 僕は霧子を……?

 好きというのは少し違う気がする。

 彼女はあくまで幼馴染み。

 いい意味で気を使わなくてもいい関係。

 家族のような関係。

 だけれど、霧子を一度も異性として意識したことがないとは言い切れない。

 迷いとは、こういう時の心境をさすのだろう。

 ほんの十数秒しか経っていないはずなのに、空が少しづつ暗くなっているように感じる。

 酷く時間の経過が早く感じる。


「ごめん霧子……僕は君を異性として好きだとは言い切れない。歯切れの悪い答えになってしまうけれど、僕は君に嘘がつけない。今まで一度も異性として意識してなかったとは言わないし言えない。だけど今の僕の中にはやっぱり綾音さんがいて、霧子の気持ちに半端な覚悟で答えられない」


 清歌は一息に言い切った。

 妙に息苦しく感じるこの気持ちはなんだろう?

 胸のあたりがキュッと苦しくなるこの感覚はなんだろう?


「そっか……そうだよね。分かってた、分かってたよ清歌。だけどなんでだろう、なんでこんなに……」


 霧子の言葉はそこで途切れてしまった。

 ポツリポツリと、土にこぼれる霧子の涙は、やがて夕立のように溢れ出る。

 両手で自分の顔を隠す。

 普段の彼女からは、想像もできないほど感情を剥き出しにして涙は流れ続ける。


 清歌はそんな霧子をただ見ているしかできなかった。

 どうしていいか分からない。

 慰めるのもなにか違う気もするし、ごめんと謝るのも違うだろう。

 ただただ呆然と立ち尽くし、目の前で泣いている彼女に対してなにもできない無力な自分。

 やるせない気持ちが胸中を渦巻く。

 彼女が泣いている理由は自分にあるのだが、何もできない自分。


「……ごめん清歌」


 数分後、泣き止んだ霧子は静かに謝った。


「いや、僕こそなんて声をかければいいか分からなくて」


 清歌は素直に話した。

 嘘はつきたくなかった。

 彼女の告白を断って、さらに嘘までつきたくなかった。


「うん。分かってる。いきなり清歌がスマートにフォローして来たら怖いもの」


 霧子はちょっとだけ笑っていた。

 彼女の手の隙間から見える瞼は少しだけ赤く腫れていて、彼女の声はやや震えていた。

 しかしそれでも、普段の調子を取り戻そうとしているのは感じられる。

 これは彼女の意思表示。

 今までの関係が壊れるのが嫌だという、霧子の本心だった。


「もう少し気を使える人間になりたいよ」

「何言ってんの? 望んでそうなったくせに」


 霧子は清歌の子供の頃の願いを指摘する。

 完全に顔から手を放して笑う霧子を見て、清歌は少しだけ安堵する。

 いままでとまったく同じとはいかないけれど、それでもいきなりこの関係が崩れるわけではない。


「それもそうだね」

「私を振ったんだから、絶対綾音さんをものにしなさいよ!」


 霧子は清歌の背中を手のひらでパシッと叩いた。


「じゃあね清歌。言いたいことは言ったから、私は帰る」


 霧子は大きく手を振って、背中を見せて歩き出す。

 いよいよ本当に日が沈んできて、夕方から夜に代わる時間帯。

 遠ざかる霧子のうしろ姿は、やがて夕闇に紛れて消えていった。


「もう覚悟を決めなくちゃ」


 霧子に背中を叩かれた瞬間、背筋がピンと伸びた気がした。


 霧子の言った通り、彼女を振った以上、その理由として名前を出した綾音を諦めるわけにはいかなくなった。

 正直なことをいえば、綾音のことを清歌は心のどこかで諦めかけていた。

 心から諦めることはないと思いながらも、心の奥底、人間の本能的な部分で諦めていたことは否めなかった。

 立ち塞がる障害は神様だ。

 人間である自分が神様に勝てるイメージが湧かない。

 でも、そんな言い訳はもう捨てなくてはいけない。

 少なくとも、霧子の思いを振ったのだ。

 綾音が好きだという自分の気持ちを優先させたのだ。

 だったらやはり彼女を諦めるべきではない。


「覚悟を決めたよ霧子」


 清歌はもう見えなくなった霧子の背中に誓った。

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