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第二十一話 あの時の少年


「義人……」


 突然姿を見せた義人に驚いて、清歌は数歩下がった。

 まだまだ心の準備ができていなかった。

 空神町のシステムによって将来を奪われた少年。

 正確に言えば、将来が奪われたいまの義人の状態はなんらおかしいことではない。

 もともとの運命という観点からすれば、これはごくごく自然な流れだ。

 空神町のシステムによって、他の人間に不幸が移され、彼のポテンシャルが発揮される未来も得られたかもしれない程度のもの。

 だから清歌が罪悪感を抱く必要はまったくない。

 義人の代わりに彼の不幸を浴びそうになっていた清歌の祖父母を、綾音によって阻止されて本来の運命に不幸が帰っていっただけだ。

 決して清歌が悪いわけでも、彼が気まずく感じる必要はないのだが、それでも清歌は義人の存在に後ずさった。

 彼のサッカーの才能。

 彼の強気のパーソナリティー。

 清歌にないものを持っている彼に対する劣等感と、彼と自分の関係が明らかになったが故の後ろめたさが同時に胸をかきむしる。


 一体なにを話せばいいのだろう?

 清歌は言葉に詰まった。

 頭がうまく働かない。

 彼はいまなんて言った?

 「なんでこんなところに」だっけ?


「特に変な理由は無いよ……そういう義人こそここで何をしてるのさ?」


 何かは答えなければと咄嗟にひねり出した言葉は、なんとも味気ない一歩下がった言葉だった。


「俺か? 俺はサッカーの練習さ」

「義人が? 部活もいかなくなったのに?」


 清歌はまさかの答えに驚いた。

 義人はてっきりサッカーを諦めていたと思っていた。


 今までだって、義人と日本代表の試合をテレビで応援したことはあったし、サッカーの話だってちょくちょくしてきてはいた。

 しかし彼があの事件から一度でもサッカーボールを蹴っているのを見たことがなかった。

 部活に参加していないのは当然知っているし、学校から帰る時も僕と霧子と一緒に帰っていた。

 てっきり彼はサッカーを捨てたのだと思っていた。


「なんだかさ……お前らと一緒に帰る時とか、校庭のあいつらを見ていてずっとモヤモヤしててさ。満足に動けなくなった俺だけど、やっぱりサッカーがしたくなったんだ」


 義人はやや迷いながら独白する。

 普段迷わない彼だからこそ、初めての感覚に戸惑っている。


「それで練習を?」

「いや、練習なんて大層なものじゃない。ただのボール遊びさ……せっかくだからさ、混ざってけよ」


 義人は少し距離をとってボールを清歌めがけて蹴った。

 運動神経の悪い清歌に配慮してか、ごろごろ転がるボールだ。

 清歌はいとも簡単にトラップすると、やや強めに蹴り返す。


「もう少し強くても大丈夫」

「言ったな!」


 義人は笑顔を浮かべながら再びボールを蹴った。

 十数分経過したところで清歌が片手をあげてギブアップした。

 ボールの速度は平気でも体力が平気ではなかった。

 息を切らした清歌を見て、義人はゲラゲラ笑っている。


「体力なさすぎだろ清歌」

「うるさいよ筋肉バカ」


 清歌は息を切らしながら言い返す。

 両膝に手をつきながら、汗を垂らしながら、それでも久しぶりに運動をした清歌は清々しい気持ちになった。

 いろいろ考え過ぎていたのだ。

 一気にいろんなことがあって、清歌は冷静な思考力を失っていた。

 だからこそ普段こない公園に足を運んだのだろう。


「すっきりしたか?」

「ありがとう」


 義人は清歌の顔を見て察していたのだろう。

 何か思い詰めていることに気がついていたのだ。


「そういう義人はどうなの?」


 呼吸を整えた清歌は汗を拭う。


「練習にはならないさ」


 義人は何かを誤魔化すように笑った。

 清歌はそんな義人をじっと見つめる。


「部活に戻る?」

「……まだ答えは出てねえよ」


 義人は背中を見せてボールを抱える。

 静かなその一言に込められた思いは、一体どれだけだろう?

 葛藤の二文字が義人に絡みついている気がした。


「答えはさ、焦らなくていいんだよね?」


 清歌は思わずたずねた。

 義人を元気づけるとかではなく、自分に向けた言葉のようにも思えた。


「期限のない問題なら焦る必要なんてないだろう?」


 義人はちらりと清歌を振り返って答えた。

 彼の答えもまた、自分に向けた言葉だろう。


 お互いに相手のことを考えながらも、いまはまだ人に手を差し伸べられる心境ではなかった。

 余裕が無いのだ。

 二人の葛藤は、それぞれにとって大きすぎた。

 人生を左右する葛藤……。


「それもそうだね」


 清歌も義人の答えに納得する。

 心が少しだけ落ち着いた気がした。

 やはり答えをくれるのは彼なのだ。

 自分の思い悩みがバカみたいに思えるほど、単純で決断力のある彼が羨ましかった。

 合田義人は斎藤清歌にとってのあこがれだ。

 こんな風になれたら……。

 そう思わせるぐらい、隣にいて尊敬できる存在だった。


 彼の言う通りだ。

 何を焦っていたんだろう?

 焦ったって答えは出ない。

 お祈り地蔵の言っていた交換条件は、すぐに答えの出る問題ではない。

 すぐにでも綾音さんを助け出したいが、相手は神様。

 昨日の今日でどうこうできる相手ではない。


「僕も帰るよ。義人また来週」


 清歌は義人の後ろ姿に手を振って家路につく。

 気づけば日も暮れてきた。

 お祈り地蔵の件は一度忘れよう。

 どうせすぐに答えなんて出ないのだから。



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