綾音は静かに告げた。
まさかの答えだったのか、清歌は固まってしまった。
「選ばれたのは君の祖父母。理由は年齢と、その少年の才能が将来的にこの町の発展に大きく寄与するものだから」
「だから先の短いばあちゃんたちを身代わりに?」
清歌の脳内には、ばあちゃんたちとのたくさんの思い出が浮かび上がった。
清歌が小学二年生のころ、この空神町の祖父母の家にやってきた。
理由は両親の事故死。
他に引き取り手がいなかった清歌は、祖父母に引き取られて育った。
二人とも体が衰えているはずなのに、まるで本当の両親かのように遊びに連れて行ってくれたり、面倒を見てくれた。
その記憶が、思い出が、清歌の中で渦巻く。
窓の外からは喧騒が届き始めた。
もう時間帯的に町の人たちが活動し始める頃合いだ。
「じゃあ綾音さんが堕天した理由って……」
「清歌の想像通り、清歌の祖父母に不幸の矛先が移った時に、全力で邪魔した。この町の管理システムもよくよく理解したうえで、納得したうえで、私の君個人への感情を理由に邪魔したんだ。他の人間のときは見て見ぬふりをしていたのに、たった一人のために普遍のルールを破った。神としてやってはいけないことをしてしまった。だから、あのお祈り地蔵の言っていたことは間違っていないんだよ」
綾音は一息に堕天した理由を吐き出した。
頭ではわかっているのだ。
神という立場でやっていいことではないということぐらい。
しかし初めての感情が邪魔をした。
神のくせに一人の少年を贔屓してしまった。
初めての少年。初めて神のことを気にかけた少年。
そこに心を、興味を奪われたのだ。
しかしやってはいけないことだ。
堕天は当然の処理だ。
頭ではわかってはいるが、納得はできない。
そもそもこの町のシステム自体に問題があると今では思っている。
だから天に戻るつもりはない。
一人の神道綾音としてこの町で生きていきたい。
「……じゃあ祖父母が身代わりになる予定だったその少年はどうなったんですか?」
清歌は、恐る恐るたずねた。
もしかしたら死んでしまった可能性だってある。
「別に無事よ。彼の命が奪われるなんてことはない」
「でも、僕のばあちゃんたちの命が引き換えになるんだったら一体どんな不幸が?」
清歌はたずねた。
人間二人の命が交換対象になったのだ。
本来の不幸対象だった少年の身に、一体どんな不幸が訪れるか考えるだけでも恐ろしい。
「その不幸が彼の身に起きたのはつい最近よ。でもきっと清歌の想像しているようなものではないわ」
「最近? でも綾音さんがルールを破ったのって、もっと前でしょ? そんな時間差があるものなの?」
綾音は町のシステムに逆らった罪として堕天しているのだ。
彼女がこの家に現れたのは、清歌が中学にあがったあたりからだ。
少なくとも三年以上前の出来事ということになる。
「神たちにとって、人の一生というスパンでの話になるから、数年のずれは普通のことよ」
「……じゃあ最近その少年に起きた不幸ってなに?」
清歌は再び問う。
自分に非があるわけではないが、自分の祖父母が助かったかわりに不幸に見舞われた人がいるのなら、知っておきたい。自分になにかできるとか思いあがっているわけではないが、知っておきたいのだ。
「その少年はつい数か月前にケガをした。今後一生に関わる怪我。日常生活に問題はないが、彼の将来の夢を潰してしまう程度には深刻なものよ」
綾音の答えを聞いた時、清歌はまさかと思った。
どこかで聞いた話だ。
それも最近身近で……。
嫌な汗が清歌の額から滴る。
こんな話、清歌は身近で聞いていた。
目眩がするぐらい近くで、似たような話を知っている。
”頼むから違っていてくれ”。
清歌は天に願った。
あれだけ神が意味をなさないと知ったばかりでも、長年の習慣というのは変えられない。
「綾音さん、その少年の名前って……」
清歌は恐る恐るたずねる。
違っていてくれという答え合わせのような問いかけ。
綾音の口から息を飲む音が聞こえた。
「本当に後悔しない?」
「しないよ。覚悟はできてる」
後悔しない? だなんて、半分答えを言っているようなものだ。
「少年の名前は清歌もよく知っている、合田義人よ」
綾音の答えを聞いて、清歌は天井を見上げた。
嫌な想像は当たってしまうものだ。
義人の怪我のことは当然本人から聞いていた。
それが原因で思ったようにプレーができなくなっていることも、思うようなプレーができなくなってから、彼がサッカーから離れていることも知っている。
こんな近い関係値の人間が関係していることにショックを受けつつ、清歌の中に一つの疑問が浮かび上がる。
確かに義人の怪我は彼にとっては大きな出来事だ。じゅうぶん不幸と言える。
だが、どうしてこの怪我の回避のために、自分の祖父母の命が天秤にかけられたのだろう?
義人には悪いが、とても人間二人の命と引き換えにするような不幸には思えなかった。
現に義人はサッカーをやめてしまった今も、それなりに楽しそうに過ごしている。
「こんなこと言うべきじゃないんだろうけど、義人の怪我とばあちゃんたちの命の重さが一緒なの?」
驚きと少しの怒り。
自分の大切な祖父母の命が、友人のとはいえただの怪我と同じ価値というのは納得できない。
「納得がいかないのは理解できるわ。それもあって反対したし……だけど彼の怪我はこの町の発展という点においては大きな分岐点なの」
義人の怪我がこの町の発展に関係している?
清歌は綾音の言葉の真意が分からなかった。