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第十三話 清歌への執着


「私が清歌に執着している理由ですか?」

「そうだ。不思議でしかたない。ただの市民だろう?」


 お祈り地蔵は首を綾音に向けてたずねた。

 この神は知らないのだ。

 綾音の中で納得がいった。

 彼女からすれば、どうして他の神たちが彼に執着しないかがわからなかった。

 でもようやくわかった。

 そうか、気がついていないのだ。


「いまはそこまでではないにしろ、昔はたくさんの人が毎日毎日飽きもせず拝みに来てくれていました。憶えていますか?」

「当然だ。我ら神にとって記憶とは記録だ。忘れるなんてことはない」


 お祈り地蔵は矜持をもって答えた。

 きっと神としての矜持。

 彼らは記憶を持たない。

 記憶の代わりに記録として保存される。

 感情もあるが、全体的に乏しいのはそのためだ。

 記憶がないから、感情が乗らないし動かない。


「私は毎日たくさんやってくるお祈りの全てを知っている。それこそ記録として持ち続けた。しかし彼の願いだけは違った。正確に言えば、ある時変わったお願いをされた」

「変わったお願い? そんなものあったか?」


 お祈り地蔵は分からないと言いたげだ。


 ああそうか……。

 きっと彼は気がつかなかったんだ。

 全ての記録を持っていたとしても、それを識別する感覚がないのだ。

 だから気がつかない。

 空神町の住人をただの数字として下に見ている証拠だ。

 いけ好かない奴……。


「誰もかれもが、自分の欲望を吐き出す中、清歌だけは違った。最初こそ自分のお願いだった。まだ小学生だったから当然。だけどある日、突然別の願いを口にした」

「なんという願いなんだ?」

「神様たちの願いを叶えてくださいって願いよ。憶えていないの? 記録にないの?」


 お祈り地蔵は、綾音の答えを聞いて失望したような目を彼女に向けた。

 思っていたのとは違っていたのだろう。


「検索すれば確かにあったなそんな願い。だがこれがどうしたというのだ? 何の意味もないお願いだ」


 お祈り地蔵は本当に理解できないといった様子だ。

 ある意味神としては正しいのかもしれない。

 全ての人間を平等に扱う。

 神というポジションの善悪だけで言えば、この神の振る舞いはひどく正しい。間違っているのは綾音のほうになるのだろう。

 しかし彼女は違った。

 何の因果か、他の神よりも感情を強く持ってしまった。

 数多の欲望にまみれたお願いの中に、たった一つだけこちら側を心配する願い。

 それがこんな小さな少年の口から出てくるとは思わなかったのだ。

 きっと彼が両親を失っていることに起因しているのかもしれない。

 幼くして何かを失った経験が、彼を他の人間たちとは別のものにしたのだ。


「あの願いを聞いて何も思わないのなら、きっと私たちは分かりあえないわね」


 綾音はもう無駄だと言いたげに首を振る。

 もう意味がない。

 話し合いとはお互いの落としどころを探る作業だ。

 しかしまったく価値観が違うのなら、そもそも落としどころなんてものは存在しない。


「そのようだ。つまりお前は天に戻るつもりはないのだな?」

「ええ、ないわ。いまあなたと話して決意が強まった。私は人間として生きていく」


 綾音は言い切る。

 もう天には戻らない。


「そうか、だがお前がこの町のルールを破って堕天した事実は変わらん。その鎖が解かれることはない。お前に自由などないのだ」


 お祈り地蔵はそう言い捨てて光を放った。

 目のくらむような輝きと共に、お祈り地蔵は忽然と消えていた。

 朝日が道路を照らす中、綾音は盛大にため息をついて床に座り込む。


「緊張した……」


 いつものように窓から外の景色を見ていたら、突然お祈り地蔵が家の前に現れた時はどうしようかと思った。

 心臓が飛び出るかと思った。

 普段何が起きても動じない自信はあるが、さすがにお祈り地蔵の本体が出張ってくるのだけは覚悟していなかった。

 毎日やってくる清歌の願いをやめさせてほしいのだろう。

 案の定というべきか、清歌はずっと私の解放を願い続けているらしい。

 お祈り地蔵として、この町のシステムとして、住人の願いを無視し続けることはできない。

 たとえ祈った本人の意図とは違っていたとしても、なんらかのかたちで叶えなければならない。

 あの神はそうなるのを避けたかったのだ。

 罰として堕天させている私が、少しでも自由になって人間らしく暮らすことが許せないに違いない。


「だけど清歌になんて言おうかな?」


 綾音は昨日に引き続き頭を抱えた。

 昨日の話でも納得してもらえず、昨日の今日でお祈り地蔵が直接苦言を呈しに来る始末。

 もしもまた清歌がお祈り地蔵に祈ったら、それこそ本当に清歌に災いの矛先が向くかもしれない。

 それだけは避けなければならない。


「おわ!?」


 外で声がした。

 しかも聞き覚えのある声。

 いま一番聞きたくなかった声。


「そんなところでなにしてるの?」

「ごめん綾音さん。盗み聞きするつもりじゃなかったんだけど」


 窓の外には、電信柱から飛び出てきた清歌がいた。

 どうやら何かに足を取られたらしい。

 綾音は再び頭を抱える。


「盗み聞きするつもりじゃなかったってことは、さっきまでの話を全部聞いてたってこと?」

「は、はい」


 清歌は初めて綾音が怒っているように見えたのか、緊張した面持ちで答えた。

 綾音はため息を漏らして考える。

 もしかしたらこれは好機かもしれない。

 今度こそ彼に自分を諦めてもらうしかない。

 さっきまでの話を聞いていたのであれば、こちらの本気度が伝わるかもしれない。


「ちょっと話があるからまた上がってきなさい」


 綾音は決意を新たに、清歌を部屋にあげた。







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