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第十一話 消えたお祈り地蔵


 清歌は走っていた。

 なぜなら綾音に自分のことを諦めるように言われたからだ。

 あんな辛そうな表情で、自分の気持ちを偽った顔で。

 元神だったせいだろうか? 人間の表情を作るのが下手過ぎる。

 あれでは誰だって彼女の言葉を嘘だと見抜けるだろう。


 もうほとんど日が沈んでしまった細い道を走っていく。

 行き先はもちろんお祈り地蔵のところだ。

 裏山に向かう道中には街灯がほとんどなく、真の暗闇に包まれている。

 清歌は時々足元を掬われながら懸命に走り続けた。

 町の外れにたどり着き、舗装のされていない田んぼ道を転ばないように気をつけながら走破する。

 裏山の入り口にやってきた清歌は一度立ち止る。

 呼吸が乱れすぎて灰が痛い。

 滝のような汗が額から顎までなぞって地面に落ちていく。

 手を膝について呼吸を整える。


「もう少し……」


 裏山の鳥居を見上げて清歌は決意をした。

 ハッキリとお祈り地蔵様に願うのだ。

 綾音さんを自由にするように、願うのだ。

 そして心の内をぶちまけよう。

 いい加減に彼女を解放しろ! という怒りにも似た感情が清歌の内に渦巻く。


 鳥居の前で一礼した清歌は今までの勢いが嘘かのように、慎重に階段を登っていく。

 ここ最近毎日通った道なのに、時間帯と覚悟が違うせいか違ったものに感じる。

 町はずれにある裏山には、本当に明かりという明かりがない。

 清歌は携帯のライトで道を照らし、すっかり日の暮れた階段を登っていく。

 夏だというのに肌寒くすら感じるこの山は、やはり普通ではないのだ。


「お化け出そう」


 清歌は震えながら階段を登る。

 神が宿るこの山でお化けなどそうそう出やしないのだが、それだけこの山を恐ろしく感じている証拠だった。

 普段とは違う。

 たったそれだけで物事の見方は変わってくる。

 神聖だった裏山がいつの間にか心霊スポットに早変わりだ。


「やっと着いた」


 清歌が階段を登り切った頃には、月が天高く上がっていた。

 ばあちゃんに怒られそうだ。

 清歌は家でぷんすかしているであろうばあちゃんを頭に思い浮かべながら、携帯のライトを頼りに前へ進みだす。

 妙に広いこの空間に、お祈り地蔵がポツンと立っているはずだ。


「あれ?」


 清歌は自分の目を疑った。

 なぜなら本来そこにあるはずのものがないから。

 具体的にいえば、お祈り地蔵が消えていた。

 あり得ない話だ。

 昨日までは確実にここにあった。

 昨日もここで祈りをささげていたのだ。

 なくなるなんて考えられない。


 誰かが盗んでいったのではないかと一瞬疑ったが、今までこの空神町で生きてきて、お祈り地蔵が盗まれたなんて話は一度たりとも聞いたことがない。

 だけど確かに昨日までここにあったものが無くなっている。

 誰かが持ち去っていったとしか考えられない。

 もしかしたら場所が変わった?

 いやいや、それこそ聞いたことがない。

 お祈り地蔵のために裏山の入り口に鳥居なんて用意するぐらいだ、それを急になんの告知もなく移動するとは思えない。


「なんなんだ……?」


 夜の裏山の頂上で、清歌は一人途方に暮れる。

 そんな清歌の全身を怪しい風が撫でた。

 ブルっとした寒さが再び訪れる。

 ここで立ち尽くしていても意味はない。

 そろそろ帰らないとばあちゃんが心配する。


 清歌の脳内に帰宅の二文字が浮かび上がる。

 一応最後に全方位に携帯のライトを向けたが、お祈り地蔵は見つからなかった。




 翌朝、清歌は汗だくで目を覚ます。

 嫌な夢を見た。

 綾音さんが消えてしまう夢。

 彼女を縛る鎖が真っ白に発光したかと思うと、その光が彼女自身を飲み込んでしまう夢。

 あまりにも不謹慎でタイムリーな夢だ。

 これはただの夢だろうか?

 もしかしたら何かの暗示?

 いやいや、昨日あんなことがあったから夢にまで出てきただけだ。

 大丈夫。


「今日は土曜日か」


 カレンダーを見て気がついた。

 早起きする必要がなかった。

 綾音さんに声をかけられてから、彼女の置かれた状況を知ってからというもの、どうにも曜日感覚が薄れていた気がする。

 なんなら来週末で一学期が終わって夏休みだ。


 清歌はもう一度寝ようかと無意識に目を瞑るが、すぐに跳ね起きる。

 もう一度裏山に行こう。

 そう思った清歌は、急いで着替えてこっそり家を出る。

 時計は午前七時を指していた。

 なぜこっそり出るのかといえば、案の定連絡もよこさず遅くに帰宅した清歌はそれはもうばあちゃんとじいちゃんにこっぴどく叱られた。

 滅茶苦茶怒っていたというより「心配で死んだらどうするつもりだ!」という実に愛に溢れた理由だった。

 清歌は両親を事故で失ってこの家にやって来た。

 その経緯を知っている祖父母からすれば”もしかして”が常に脳裏をよぎるのだ。


「行ってきます」


 小声でささやきながら玄関を閉める。

 急ぎ足で昨夜帰ってきた道をたどっていく。

 夜と違って視界が良いせいか、昨日の夜の半分の時間で裏山に到着した。

 相変らず怪しい空気感が蠢いているように感じる。

 一昨日まではなかった雰囲気。


「あったらあったで怖いんだよな」


 清歌は深呼吸をして裏山に足を踏み入れる。

 まだ朝が早いせいか、暑さはそこまでではなく、小鳥の鳴き声が清歌の歩みを後押しする。

 そして再びやってきた裏山の頂上、お祈り地蔵の領域。

 しかしやはりお祈り地蔵は存在しない。

 領域主が存在しない。


「そらそうか」


 清歌はどこかホッとした。

 昨夜消えていて朝になって戻ってきている方が恐ろしい。

 正直その不安を解消するためだけにここに来たまである。


「綾音さん、起きてるかな?」


 清歌は裏山の頂上から、綾音のいるであろう家の方向を見る。

 夢の中の彼女がフラッシュバックした。

 光の中に消えてしまう彼女の幻影が頭から離れない。

 言い知れない不安が清歌の全身を支配した。


「……行ってみようかな?」


 清歌は静かに歩き出した。

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