目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第十話 想いのぶつかり合い


「清坊、もう私のことは諦めて」


 綾音の放ったこの一言に、清歌は目を見開いたまま固まってしまった。

 あまりに予想に反した言葉。

 あまりに残酷な言葉。

 清歌の心を抉るにはじゅうぶんな威力だった。


「え……一体どういう」

「ごめんね。清坊が混乱するのも無理ないよね」


 綾音は狼狽える清歌の姿を見て心が痛かった。

 小さいころから見守っていた彼の気持ちを踏みにじる行為に、綾音の心は耐えられなかった。

 耐えられるほど人間として成熟していない彼女の心は、初めての痛みに堪え切れず涙をこぼす。

 彼女の心の痛みはそのまま彼女の両目から静かにこぼれだした。


「なんで綾音さんが泣き出すのさ」


 清歌は自分以上に狼狽えている綾音を見て涙が引っ込んだ。

 なんで言われた自分より、彼女が泣いているのか理解ができなかった。


「ごめん。本当はもっと冷たく言い放つつもりだったんだけど……私にはできなかったみたい。でも今の言葉は本当だよ。私のことは諦めて、私は人間じゃないの。君たちのような純粋な人間じゃない。だから私には君と一緒に歩く未来なんて許されない」


 綾音はなんとか気持ちをぶつける。

 本音と建前が半分ずつ……。

 自分でも笑っちゃうぐらい下手な言い訳。

 こんなの通用しない。


「関係ないよ! 本当に綾音さんが元神様だったとして、いまはこうして僕の前に立っているじゃないか!」


 清歌は必死に抵抗する。

 こんなふざけた理由で三年以上も想い続けた気持ちを捨てるなんてできるわけがない。


 毎日毎日、飽きることなくずっと彼女のことを見てきた。

 最初はただ綺麗な人だな~なんて気持ちでチラチラ見上げる程度だった。

 だけどいつしか彼女目当てに下校のルートを変更し、遠くから眺めているうちに憧憬は恋心へと変わっていった。

 三年間も声をかけられなかったのは、自分のふがいなさだ。もしも自分に義人のような決断力と男らしさがあればもっと早くに声をかけていただろう。


「綾音さんからしたら僕なんてただの子どもだろうけど、僕は本気なんだ!」


 涙を流す綾音に清歌は宣言した。

 本気だと。遊びじゃない。

 自分がどう思われていても構わないと。

 清歌がめずらしく自分の意思を貫いた瞬間だった。


「待ってて綾音さん! きっとその鎖が外れないから不安になっただけだよ」


 清歌はそう言い残して逃げるように部屋を出ていった。

 綾音が止める間もなく、階段をバタバタと駆け下りる音が響いた。


 綾音は頭を抱える。

 どうすればよかったんだろう?

 自分に迷いがあったから失敗したのだろうか?

 それとも本当に正直に、神の災いが自分だけじゃなくて清歌にも及びかねないから自分には関わらないでほしいと言えばよかっただろうか?

 いや、絶対にそんな理由では諦めない。

 下手したら彼の想いが強くなるだけかもしれない。

 清歌は基本的には引っ込み思案だが、こうと決めたことはやり通す頑固さは持っている。

 もしも自分の本当の気持ちを伝えて、外的な要因で関わるなといったら絶対に逆効果だっただろう。


 綾音は窓から夕日を見上げた。

 頼むから何も起きませんように。

 お願いだから清歌本人に災いが及びませんように……。

 彼の未来が末永く明るいものでありますように。

 綾音は自分が神だったころと同じように祈りを捧げた。


「きっとまたお祈り地蔵の元に行ったんだよね?」


 徐々に暗くなる夏の夜、綾音は静かにつぶやいた。

 あのお祈り地蔵は神に直結している。

 お祈り地蔵に祈れば、それは本当に空神町の神様の元へ届くようになっているのだ。

 この町はそういうシステムで運用されていて、必ず清歌の願いは天に届いている。

 私を堕天させた神の元へ。

 かつて清歌に害をなそうとした神の元へ。


 綾音は窓を締める。

 そろそろ来るはずだ……ほら、来た。

 神罰が私に下る。

 鎖を通じて自らの肉体に神秘が走るのを感じた。

 全身が熱く息苦しい。

 きっとこれが人間でいう”熱”なのだろう。

 私が清坊と接触すれば必ず起こる現象だ。


 あまりの苦しさに視界がゆがむ。

 朦朧とする意識の中、綾音はなんとか自分のベッドまでたどり着く。


 これで済んでいるうちは大丈夫。

 でもいつ清坊にまで神罰が及ぶかわからない。

 もう一度しっかりと拒絶しよう。

 できるかな?

 でもやるしかない。

 だってそうでなければ、清坊にどんな災いが及ぶかわからない。


「ああ、熱くて寒い!」


 不思議な感覚だ。

 皮肉なことに、こうして神罰を受けているこの瞬間がもっとも”生”を実感する。

 神だった頃、たくさんの子どもたちが自分のベッドで軽はずみに熱が下がるようにお願いしてたっけ?

 確かにこれは神にでもすがりたくなる苦しさだ。

 子どもならなおさら……。


 綾音は記憶の中にある、子どもの頃の清歌の顔を思い出した。

 お祈り地蔵に必死にお願いをし続ける彼の姿を、綾音はお祈り地蔵越しにずっと見てきた。

 そんな彼とももうお別れ。

 次こそちゃんと伝えなきゃ。

 彼が自分のことをしっかりと嫌いになるように……。


 ベッドの上で覚悟を決めた綾音の頬を、一筋の涙がこぼれ落ちた。

 望んでいた訳では無いにしろ、地上に降り立ったというのに彼と関われない。

 もう姿を見ることすら叶わない。

 この知り合いもいない世界でただ一人、元神として生き続ける。

 人間にはなりきれず、神としての権能も失った中途半端な存在。

 そんな綾音にとって心の支えは清歌だけだった。


「もうお別れね清坊……」


 綾音は記憶の中の彼に手を振った。

 記憶の中の小さな少年の清歌は、自らの願いを祈るのではなく神の幸福を祈ったのだ。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?