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第九話 願いは空に


 開けた空間の中心にお祈り地蔵がポツンと立っていた。

 草木が一切生えていない空間は、まるでなにもなかったかのように綺麗に円形に広がっている。

 およそ半径十メートルぐらいだろう。

 それだけの空間が用意されているのに、鎮座しているのはお祈り地蔵ただ一つのみ。

 清歌は久しぶりに訪れた空間に息を飲みつつ、ゆっくりとお祈り地蔵に向かって歩き出した。


 初めてこの場所に訪れた時は気がつかなかった。

 この空間の異様さに気がつかなかった。

 子供の頃の話なので気がつかなかくても仕方がない。

 気がつかないまま通い続けたせいで、いつしか当たり前となって疑問なんて出てこなかった。

 それが数か月間通わなくなって、久しぶりに訪れたら違和感がすごい。

 これだけの空間の中心に、自分の膝くらいの高さしかないお祈り地蔵がポツンと置かれているだけ。

 不思議に思わないほうがどうかしている。


「神秘的といえばいいのかな?」


 清歌は額から溢れる汗を拭う。

 夏とはいえ気温はだいぶ下がっている。

 暑くなんてないはずなのに、なんでこんなに汗が流れ出るのか。

 それはきっとこの場所のせいだ。

 暑くてかいてる汗ではない。

 変な緊張感が、清歌を支配していた。


「お久しぶりです。お願いと言うには変な話ですが聞いてください」


 清歌はお祈り地蔵の正面にたどり着くと、両手を合わせて目を瞑った。

 数か月前までと同じ姿勢で祈りを捧げる。

 願った内容はたった一つ。

 いま一番叶えたい願い。

 ”綾音さんを自由にしてください”

 自分とどうこうとか、そういったことは一切願わなかった。

 シンプルに彼女の自由を願ったのだ。

 清歌が願いを口にした時、お祈り地蔵の目が一瞬だけ光ったのだが、清歌はそれに気がつかなかった。




 清歌が久しぶりにお祈り地蔵に願いを捧げに行ってから、八日が経過した。

 その間、毎日欠かすことなく通い続けている。

 綾音に初めて声をかけられてから十日が経過していた。

 清歌は今日も彼女の家の前を通り「あれからずっと祈ってるから大丈夫! きっといつか自由になれるはずだから!」と伝えてからお祈り地蔵の元に向かう。

 少しでも彼女を安心させたくて、少しでも彼女に気に入られたくて、清歌は最近日課になっている裏山の登山に挑む。

 叶うか分からない願いだが、いままでだって何かしらで叶ってきたのだ。

 いまの自分にできることは何もない。


 最初、警察に通報しようかとも思ったが、こんな田舎町には小さな交番にやる気のないおっさんが一人いるだけで、とてもじゃないけれど神様の鎖をどうこうできるとは思えなかった。

 誰に話してもきっと信じてくれないしバカにされる。

 だから清歌には神頼みしかなかったのだ。

 いつになるかわからないけれど、ほんのわずかな希望を胸に抱いて願い続けるしかない。


 綾音に自由を約束した次の日、清歌が学校帰りにいつものルート(綾音の家→裏山)を歩いていると、普段は二階の窓から外を眺めている綾音が思い詰めたように道路を見下ろしているのが見えた。

 どうしたんだろう?

 清歌は不思議に思いながら彼女の家の前まで歩いていく。

 いつもと同じ夕暮れの帰り道、しかし彼女の沈んだ顔があるだけで普段とは違った雰囲気に包まれている。


「どうしたんですか?」


 清歌は心から心配して声をかけた。

 憧れの綾音がひどく落ち込んだような表情を浮かべていたら、清歌からすれば放っておけるわけがなかった。


 綾音は視線の先で自分に話しかける清歌に気づいて目を見開く。

 あまりにもボーっとしていたせいか、清歌がいることに気がついていなかったのだ。

 でもちょうどいい。

 言わなければいけないことだ。

 綾音は覚悟を決めた様子で口を開いた。


「清坊、上がっておいで。話をしよう」


 清歌は嬉しそうに一度頷いて玄関に消えていく。

 それを上から眺めていた綾音は一度大きく息をはいた。

 十一日前と同じ夕暮れ。

 なんなら昨日の夕方、霧子の話を聞いて一晩考え抜いて決めたことだ。

 考えようによっては最後の勇気を絞るところだ。

 逃げ出すわけにはいかない。


 綾音が覚悟を決めた時、階段をドタドタと上がってくる足音が聞こえてきた。

 昨日の恐る恐る上がってきた霧子とはえらい違いだ。

 綾音は内心、二人の違いにほくそ笑み、深呼吸をして自室のドアが開かれるのをいまかいまかと待ちわびる。

 ドクドクと鼓動を奏でる心音が、綾音の体内を支配した。


「お邪魔します」


 そんな一言と共に、ドアは勢いよく開けられ清坊が姿を現した。

 ずっと遠くから見ていた存在。

 綾音がこの場所に幽閉されてから……いや、それ以前から綾音は清歌という個人を認識し、可愛がっていた。

 そんな彼とも今日でさよならだ。

 綾音は自分の心の中の”好き”に別れを告げる。


「これからについて話そうと思うの」

「これから?」


 綾音の言葉に清歌は胸を期待に膨らませる。

 だってそうだろう?

 年頃の男子が、好意を向けている相手から部屋に上がるように指示されて「これから」なんて言われれば、意識しないほうがどうかしている。


「そうこれから。私と清歌の今後について」


 綾音はやや苦しい表情のまま清歌に向き合った。

 清歌はそんな彼女の表情を見て、一度膨らんだ胸の期待が萎んでいくのを感じた。

 期待しているような事柄を話す顔をしていない。


「清坊、もう私のことは諦めて」


 綾音が沈黙の後に言い放った一言に、清歌は頭の中が真っ白になった。


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