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第八話 お祈り地蔵


「綾音さんが人間じゃない……」


 清歌と霧子が綾音の部屋に初めて上がった日から三日後、清歌は自分の部屋でつぶやいた。

 なんとなく彼女が普通の人間には思えなかったのは事実だ。

 しかし元神といわれてもいまいちピンとこない。

 いまだ半信半疑ではあったが、彼女が普通ではないことはわかった。

 きっと彼女の言葉は真実なのだろう。

 そして彼女はあの部屋から出られない。


 清歌は綾音と初めて言葉をかわし、より綾音のことが好きになった。

 三年間遠くから眺めるしかなかった彼女と言葉をかわしたのだ。

 人間らしいやり取りをしたせいもあって、清歌にとって彼女の存在はよりいっそう大きくなっていた。

 どうにか彼女を自由の身にできないものか……。

 この三日間、そればかりが頭を支配している。

 悩んだ末、一応祖母に相談しようと清歌は立ち上がって自分の部屋を出た。それが意味のないこととは知りつつ……。


 清歌がこの空神町に来たのは小学校低学年。

 もともとは東京で暮らしていたが、交通事故で両親を失った結果、祖父母が清歌を引き取って今に至る。

 この空神町は東京から車で五時間はかかる田舎町で、清歌の祖父母はこの空神町に生まれてからずっと住んでいる。

 清歌の父もこの空神町の出身だが、こんな田舎町は嫌だと高校を卒業して出ていってしまった。

 なぜ清歌の父がこの空神町を嫌がっていたかというと、それはこの町の風習が関係している。


「ばあちゃん」

「どうした清坊? 浮かない顔して」

「ちょっと悩んでてさ……」

「悩んでいるならお祈り地蔵様にお祈りしておいで。私に話すよりよっぽど解決するさ」


 清歌が悩みを打ち解けようとすると、祖母は必ずといっていいほどお祈り地蔵に祈るよう促してくる。

 いつもそう。

 この町の年寄り連中は、なにか悩みや困ったことがあると決まって「お祈り地蔵様に」と口癖のように繰り返す。

 これはこの町独自の風習だろう。

 空神町は山々によって閉鎖された町だ。

 外部との交流が乏しく、他の地域から空神町に引っ越してくる人なんていやしない。

 だからこそ独自の文化体系が確立されている。

 清歌の父親はこのなんでも神頼みな風習を心から嫌っていた。


「お祈り地蔵様か……」


 案の定というべきか、ばあちゃんにお祈り地蔵を勧められた清歌は一度部屋に戻る。

 わかっていたことだ。

 今までだってそう。

 クラスで孤立したときや、なにか困ったことがあると決まってお祈り地蔵様の元に通っていた。

 クラスの他の子どもたちはそこまでしてはいなかったが、やはり空神町で生まれ育ったからか、お祈り地蔵を馬鹿にするような子どもは存在しなかった。


 空神町で生きる以上、この風習からは逃れられない。

 清歌はさっき学校から帰ったばかりだが、もう一度外出することになった。

 行き先はお祈り地蔵がある裏山だ。

 場所は良くわかっている。

 行き慣れた道だ。


 空はやや日が落ち始めていた。

 いくら夏といえど、時計はすでに午後6時を指している。

 昼間のような暑さは鳴りを潜め、肌寒いとまではいかないがヒヤリとした風が肌を撫でていく。

 裏山の入口まで家から歩いて二十分ほど。

 田んぼの脇道を歩いていけばショートカットできると気がついたのは、中学に上がった頃だった。

 ショートカットを使って裏山の入口にたどり着いた清歌は、これから登る山道を見上げた。

 入口は一応というべきか、住民たちの訴えで鳥居のようなものが建てられている。

 神社にしかないはずのそれが、裏山の入口に建てられているのは、それだけ地元民のお祈り地蔵に対する信仰が根強い証拠と言える。


「高校になってからは初めてだな」


 実は高校合格のお願いをして以来、清歌はお祈り地蔵の元に通ってはないなかった。

 特に深い考えがあるわけでもないが、なんとなく神頼みは良くないのではないか? そんな考えが芽吹き出したのだ。

 だからここ数ヶ月の間、一度も裏山には来ていなかった。


 しかしそんな考えを吹き飛ばすほどに叶えたい願いができてしまった。

 三年間眺めているだけだった彼女から声をかけられたのだ。

 届かなければそれは憧憬に終わる。

 だけど声が届けば、言葉を交わせば、それは血の通った恋心となる。

 清歌の中で綾音との未来が膨れ上がってしまったのだ。

 まだ付き合ってもいないのに、二人の未来を夢想する清歌は綾音の解放を願って、数カ月ぶりに裏山に足を踏み入れる。


 裏山は年輩の人も登れるようにと、自治体がお金をかけて道は整備されている。

 石畳の階段と、申し訳程度の細い手すりが左右に設置されていて、道幅はちょうど二人が並べるかどうかだ。

 清歌はそんな永遠に続くかと錯覚するような階段を、一歩一歩登っていく。

 期待半分と疑心が半分。

 清歌だって絶対の信頼を置いているわけではない。

 ただ今は神頼みをする以外にないのだ。

 なぜなら綾音の言葉が正しければ、彼女を縛っているのは神そのものなのだから……。


「しかしなんてお願いしよう?」


 お祈り地蔵が待つ頂上を目指しながら、清歌は考え出した。

 今までは叶えたいことをお願いしてきたが、今回に限っては叶えたいことではない。

 どちらかといえば、綾音の許しを請うことになる。

 しかも縛っているのがお祈り地蔵だとは限らないし、神様云々の話しを信じるのならば、神様が一体どれだけいるのかさえわからない。

 そもそもお祈り地蔵がただの石の場合だってある。


 悶々としたまま数分間階段を登った先、あたりを森に囲まれた山頂の中で、妙に開けた空間が広がっていた。


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