「結局霧子ちゃんは私に何を言いにきたの?」
綾音は半分答えの出ている疑問を霧子に投げかけた。
霧子は一度目を瞑り、深呼吸をして口を開く。
「私は清歌が好き……清歌の気持ちが綾音さんに向いているのは分かっていますが、私は諦めるつもりはありません」
霧子は力強く宣言した。
「てっきり、清坊を諦めてとか言われるかと思った」
「そんなこと言いません。それこそ私にそんな権利ないです」
霧子はこの家に足を踏み入れた時とは別人のように凛とした態度で言い切った。
これだけは本当に大事な彼女の気持ち。
いまこの場において狼狽えているようであれば、清歌のとなりに立つ資格なんてない。霧子は覚悟を決めて伝えたいことを伝えたのだ。
これはただの告白ではない。
綾音に対する宣戦布告だ。
戦況は圧倒的に不利なのだが、それでも諦めきれない思いが霧子にはあるのだ。
周囲からしてみれば、男らしくない清歌のどこがいいのか疑問だろう。
クラスの女子たちの中にも、清歌のことを男子として見ている人はいない。
しかし幼いころから一緒にいた霧子は知っているのだ。
清歌の優しさや、芯の強さ。
本当の意味での強さなど。
清歌の隣でずっと歩いてきた霧子にとって、清歌なしの生活が考えられなかった。
「霧子ちゃんの気持ちはよく分かった。だけど私も貴女と同じ気持ちよ」
綾音は静かに告げる。
霧子に対する宣戦布告。
しかしその声色はどこか迷いが見え隠れしていた。
「じゃあこれからはライバルね」
「そうね。用件がこれだけならそろそろ帰りなさい。暗くなってきたから」
綾音の言う通り、もう窓から夕日が差し込まなくなりつつあった。
太陽が沈むとこの部屋は闇に包まれる。
薄暗くなっていく部屋の中に佇む綾音は、霧子から見ればやはり異質な美しさそのものであった。
「はい。そうします。お邪魔しました」
霧子は綾音の言葉に素直に退室する。
綾音は霧子が部屋を出たと同時に窓から外を見る。
ちょっとしてから、霧子が家を出て帰る様子が目に映る。
外はもう完全に日が落ちていて、街灯の明かりだけが霧子のうしろすがたを優しく照らしていた。
そんな彼女の後ろ姿を眺めながら、綾音は深々とため息を漏らした。
「なにをお姉さんぶってるんだか……。だけど権利か……私に清坊に好意を寄せる権利なんてあるのかな?」
綾音は霧子が頭の中をぐるぐるさせながら必死に言葉を紡いでいたあいだ、ずっと考えていたのだ。
彼女の言っていた権利というのは案外的を得ていた。
自分は元神だ。
元とはいえ純粋な人間ではない以上、人間同士の営みの邪魔をするべきではないのではないか? そんな考えが頭をよぎる。
人間ですらない私に、清坊と霧子の邪魔をする権利なんてない。
綾音は権利という言葉の重みを、霧子の想像以上に重く受け止めていた。
「そもそも私の清坊への気持ちってなんなのかしら?」
綾音は真っ暗な部屋の中、一人呟いた。
綾音は清歌を気に入っている。
それは揺るぎない事実だ。
だがその感情は一体なんなのだろう?
最初は好きという感情は一種類しかないと思っていたが、霧子ちゃんや清坊を見ているとどうやら違うらしい。
綾音の中で好きという感情が分からなくなっていた。
私の好きは彼らの好きとは違うの?
綾音の中に膨れ上がる疑問は、ついさっき解消された。
霧子の自分を見る目、自分に語りかける様子。彼女の所作や声色から、自分が清歌に抱いていた”好き”と彼女が清歌に向ける”好き”は明確に違った。
そして清歌が自分に向ける好きもきっと……。
「この気持ちはきっと”思い入れ”なんだろうな」
綾音は自分の感情に新しい名前をつける。
きっと自分の好きは思い入れなのだ。
清歌が小さいころから見守っていた自分にとって、彼がそこにいるのは当たり前で、人間になって彼と接触できると思ってついつい声をかけただけなのだ。
思い入れだ。
これは思い入れ。
男女の好きではない。
綾音は必死に自分に言い聞かせる。
自分の考えがあっているか間違っているかなんてわからない。
綾音には答えを教えてくれる存在なんていないのだから。
「とにかく清坊がお祈り地蔵に願うのをやめさせないと……でもどうやって?」
綾音は思考を巡らせる。
神罰がもしも私にしか下らないと仮定すれば、別に彼と話しても大丈夫だ。
簡単な話だ。
自分のことは諦めろと、自分は清歌に興味がないと冷たく言い放てばいい。
お祈り地蔵に近づくなとも。
手紙に書いて渡すのも、きっと他の神たちには筒抜けだろうし、霧子ちゃんに伝言をお願いしても一緒だろう。
つまりどうやっても結果は同じで、このまま放置して清歌に危険が及ぶなら、一か八かで彼と最後の会話をするしかない。
「本当はもっと楽しい話がいっぱいしたかったな……」
綾音の独り言の最後は涙声に変わっていた。
これを最後に彼との接点は持たない。
それがお互いにとって一番だ。
今日霧子ちゃんと話して確信した。
やっぱり私は人間ではない。
どこまでいっても混ざりものだ。
純粋な人間たちの人生に、半端者の自分が割って入るのは許されない。
暗闇の中で、綾音は幾重にも自分をだます言葉を重ね、納得させる。
もう決めたのだ。
神道綾音は、斎藤清歌を諦めるのだ。
お互いの未来のために。