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第六話 霧子の胸の内


「お邪魔しまーす」


 綾音に招かれた霧子は、静かに玄関を開ける。

 つい先週訪れたばかりのこの家は相変わらず恐ろしいほどに何もない。

 外が暗くなってきているせいで、部屋の中も薄暗い。

 試しに電気のスイッチを押してみるが、何も起きない。

 もしかして電気も通っていないのだろうか?


 霧子は足元が覚束ないまま、細心の注意を払って階段を恐る恐る登っていく。

 前は緊急事態だったのと、綾音が普通の人間だと思っていたから何も考えずに侵入できたが、今回は話が違う。

 相手は自らを人間ではないと明言した存在。

 信じるか信じないかは別として、自分のことを人間ではないと言い出す者にまともな人はいない。

 そして今回は清歌もいない。

 たった一人で、人外を明言する変人のもとを訪れるのだ。


「この先ね」


 一度深呼吸をして、霧子はドアを開けた。

 物のない開けた部屋の窓際に、彼女はいた。

 ひと目見ただけでも分かる、恐ろしく整った容姿。

 自分にはない女性らしい凹凸に、スラリとした美脚。

 前に会ったときとまったく同じ服装だった。

 白いフリルのついたブラウスに黒のスカート。

 特に飾りっ気のないシンプルなデザインだが、本当の美人というのはこういうことかと思い知らされる。

 彼女本人が美しさを担保しているのだ。

 下手に凝ったデザインなど不要。


「なんの用かしら?」


 綾音は余裕たっぷりの様子で霧子にたずねる。

 その仕草が、霧子を苛立たせるのだ。


「貴女は清歌をどうしたいんですか?」

「どういう意味?」

「貴女は彼にふさわしくない!」


 綾音は霧子の言葉に目を丸くする。

 霧子の声はやや震えていて、彼女の緊張が声を通して伝わってきた。


 窓から射し込む夕日が部屋を独特な雰囲気に演出する。

 霧子にとってこの一言は迷いに迷った末の言葉だ。

 ずっと言いたかった思い。

 清歌が綾音に夢中だったのは当然知っている。

 自分なんかが清歌の眼中にないということも、中学校の三年間で嫌というほど思い知った。

 清歌のことは小学生の頃からずっと一緒だった。

 有り体に言えば幼馴染。

 自分の視点で言えば片思い。

 どうして自分が清歌を好きになったのかはわからない。

 いつから、どうして……明確なことは一切わからないけれど、気づけば清歌を目で追っていた。

 いつも隣にいたからこそ、その想いは秘めたままだった。

 なにか口走って、いまの関係が壊れるのを恐れていた。

 大事な存在だからこそ、慎重すぎるほど慎重に思いをつのらせていた。


「貴女はなんの権利があって……」


 これはただの八つ当たりだ。

 霧子は自分でもわかっていた。

 こんなのは行動を起こさなかった自分の落ち度だ。

 だけれど納得のいかない部分もある。

 あれだけ長年一緒にいた私より、どうして言葉すら交わしたことがなかった綾音を選ぶのか。

 今までの時間はなんだったのか?

 どうしてアプローチすらしていない彼女に取られなければならない?


 一度溢れ出した感情はとどまることを知らない。

 三年間秘めていた想いが、伝えられる距離にきたことによって溢れだした。

 本当だったら存在を認知しているだけで、こうして話をするような関係ではなかったはずだ。

 しかし綾音が清歌に声をかけたことがきっかけで、霧子と綾音のあいだにも関係ができてしまった。つながりができてしまった。


「権利……そうね。霧子ちゃん。貴女の言うとおりね。本来なら私には、清坊に接する権利なんてないもの」


 綾音は静かに答えた。

 霧子はそんな綾音の表情を見てゾッとした。

 いままでのただ美しいだけの存在からはイメージができないほどに、霧子の目に映る彼女は人間に見えた。人外を明言しているくせに、そう語る彼女の表情はあまりにも人間過ぎた。


「あ、いや……その、そういうつもりじゃ……」


 霧子はしどろもどろになる。

 今の今まで、自分が綾音という存在に甘えていたのだと理解してしまった。

 霧子は綾音が元神であると明言したことから、信じきれていないにしろ、頭のどこかで人間扱いしていなかったのだ。

 相手は人外を明言している怪物。

 頭の片隅で、心の隅で、あるいは本能的に、霧子は綾音を人間ではないと思っていたのだ。

 だからこそ、何を言ってもいいと歯止めがきかなくなってしまった。


「ごめんなさい」


 霧子は結局謝ることにした。

 謝りながらも後悔の念が渦巻く。

 恋敵に頭を下げるなんてしたくないという思いと、頭を下げざるをえないようなことを口走った自分が嫌いになった。


「別に気にしてないから顔をあげて」


 頭を下げる霧子に、綾音は静かに諭すように声をかけた。


「霧子ちゃんの気持ち、私は知っているから」


 綾音は顔をあげた霧子の思い詰めた表情を見て、微笑んだ。

 霧子の緊張をほぐそうと繰り出した彼女の笑顔は、それだけで霧子に安心感を与えた。


「知っているって……どうしてですか?」


 綾音の笑顔で不思議と緊張が解けた霧子は思わず聞き返す。

 だって意味が分からなかったから。

 ほとんど初対面みたいなもので、話すらまともにしていないのにどうして伝わっているのか。


「私が元神だからって答えようかとも思ったけど、霧子ちゃんの場合は別。見る人が見ればわかりやすいほどよ? きっと気づいていないのは清坊だけかな?」


 綾音はクスクスと笑いながら霧子の疑問に答える。

 彼女の答えを聞いた霧子は、顔を夕日のように真っ赤にして立ち尽くすしかなかった。

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