「人間じゃない? じゃあなんだっていうのよ」
反応したのは霧子だった。
肝心の清歌はショックのあまり固まってしまった。
「あらあら、そっちのお嬢さんは元気ね。それにしてもよく私を助ける気になったわね?」
「どういう意味ですか?」
「だって邪魔でしょ? 私?」
霧子はハッとなって息を飲む。
何かを試すような彼女の言葉に、霧子は自分の内面を覗かれた気がした。
「一体なんですかそれ?」
「まあいいわ。白を切るでもまだまだ無自覚でも。でも清坊はフリーズしてしまったわね」
「清坊? 清歌と知り合いなんですか?」
霧子はやや前のめりで反応を示す。
「勘違いさせてごめんね。私がただ一方的にそう呼んでるだけ」
「お姉さんが僕を?」
清歌はようやく正気を取り戻した。
彼のただでさえ頼りない体が、よりいっそう貧相に映る。
頼りがいとはほど遠い姿。
清歌はアウェーが苦手だ。
ここは非日常そのもので、そもそも清歌は彼女の名前すら知らないのだ。
「お姉さんの名前を教えてくれても?」
「うん? ああそうね。私の名前は神道綾音。君たちのような純粋な人間じゃないの」
純粋な人間じゃない。
腹黒い人間という意味だろうか?
清歌の頭の中でそんな疑問が湧き上がるが、先ほど信じてもらえるか分からないと言っていたのを考慮すると、そういう意味ではないだろう。
もっと根本的な言葉のままの意味。
「では一体何者なのですか?」
清歌は意を決してたずねた。
彼女が普通の人間ではないと言われても、見た目は思いっきり普通の人間だ。
現実離れした美しさだけが唯一人間らしくないところではあるが、だからといって彼女が人間以外に見えることはなかった。
「私はもともとこの土地の神様だったのよね」
綾音の口から飛び出た言葉は常軌を逸していた。
流石に驚いた様子の清歌はまた軽くフリーズしてしまう。
「馬鹿らしい! 聞いて損したわ! 帰ろうよ清歌! この人やっぱりおかしいよ」
霧子は当然の反応を示した。
当たり前だ。
自分のことを神様だと名乗る女にまともな奴はいない。
「……霧子。悪いけど先に帰ってくれないか? 僕は綾音さんともっと話がしたい」
「なんでよ……ああもう、分かった。先に帰るからね」
霧子は一瞬ためらったあと、綾音に一瞥をくれてから部屋を出ていった。
「良かったの?」
「別に良いんです。それより僕は綾音さんのことをもっと知りたいので」
清歌はバッサリと切り捨てた。
いままでの経験上、霧子はたいてい一日で機嫌を直す。
長くても二日でいつもの彼女に戻るはずだ。
「そもそもなんで綾音さんは僕の名前を知っているんですか?」
彼にとって一番の謎はそこにある。
彼女が人間じゃないというのもじゅうぶん過ぎる程に謎なのだが、清歌からすれば自分の名前を綾音さんが知っているという事実の方が大事なのだ。
「私がこの家にやって来てからもう三年経った。そのあいだ君はずっと私を眺めていたよね?」
清歌は自分の頬が赤く染まるのを感じた。
普段こっそり見ていたのが気づかれていたなんて……。それも三年間ものあいだずっと。
「もしかして僕の視線に気づいてそれで……」
「それは違う。私は私がこの家に来る前から君のことを知っていたんだよ」
清歌の予想を綾音は否定した。
しかも変なことを言っていた。
彼女がこの家に引っ越してきたのは、清歌たちが中学に上がった頃だ。
それ以前に清歌のことを知っていたと彼女は言った。
ありえないことだ。
出会ってもいない人間のことを知れるはずがない。
「なんで? というよりもどうやって?」
「うーん。そこらへんが私がもともと神様だったって話につながるんだよね」
綾音は彼の疑問に静かに答えた。
彼女が元神様であるのなら、人一人の名前を知ることなんて容易だろう。
「まあ私の場合、ある”悪いこと”をして、罰としてここに半分人間として閉じ込められちゃったのよ。だからこの鎖なの」
綾音は鎖の繋がった足をあげて見せつける。
彼女にとってこの鎖は堕天した証なのだ。
「もしも本当に綾音さんが元神様だったとして、一体誰が綾音さんに罰を下すの? 神様って一番偉い人のことじゃないの?」
清歌の疑問はもっともだった。
神様を罰する存在って一体なんなのだろうか?
「この町には四人の神様がいるんだよね。私はその四人の内の一人ってわけ。それでどうして私が君のことを知っているかなんだけど、君が毎日私に祈りを捧げていたからだよ」
綾音の言葉に清歌は再び驚いた。
自分が綾音さんに祈っていたことなんて一度も……。
「身に覚えがない? 子供の頃よく祈ってたでしょう? 両親を返して下さいって」
綾音の慈愛に満ちた笑みに戦慄する。
確かに清歌はそんな祈りを毎日毎日捧げていた。
裏山にある通称”お祈り地蔵”の前で。
祖父母に教えてもらった場所で、なにか困ったことがあったらそこで祈りを捧げるように言われていたのだ。
「なんでそれを?」
「だって私、そこにいたんだもん」
綾音はそう言って清歌の頬をなでる。
「本当に大きくなったね」
綾音はまるで我が子を愛するように撫でまわす。
彼女からしてみれば、彼は子供のようなもの。
小学生の頃からずっと見守ってきたのだから当然だった。
「やめてよ子供じゃないんだから」
清歌は恥ずかしくなって綾音を拒絶した。
自分は男として認識されていない。
そんなのは分かっている。
清歌は無意識に自分の体を両手で抱く。
不安な時にする仕草は、子供の頃のまま。
それを微笑みながら見守る綾音。
いまのこの空間が清歌は嫌だった。
ただでさえ男らしさとは縁のない自分。
コンプレックスを遠回しに指摘されたような嫌な感覚だ。
「ここから出られないの?」
清歌は再びたずねた。
もしもここから連れ出せたなら、彼女に異性として認められるだろうか?
少なくともいまよりは何か手があるかもしれない。
彼女が元神様だろうがなんだろうが関係なかった。
嘘かもしれないし本当かも知れない。
だけどどうであれ清歌の綾音に対する気持ちは変わらなかった。
「残念ながら外れないのよねこれ。いろいろ手を尽くしたんだけど、やっぱり神様お手製となるとそう簡単には外れないみたい」
神様お手製。
綾音から漏れ出たその言葉に、清歌はある手段を思いついた。
「分かったよ綾音さん僕に任せて!」
清歌の自信満々の様子に、綾音はやや怪訝な目つきで清歌を見つめた。