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第33話

「悪いけどさぁ、先に、一杯やってるよぉ。何しろ、中村の兄さんが、血相変えてやって来たもんだから、んじゃあ、ちょいと、熱いのを、なーんて、盛り上がっちまってねぇ。まあ、突っ立てるのもなんだ。京さんも、あがりなよ!」


呂律が回らない状態で、二代目は言ってくれた。


「あがりなも、何も、ここは、私の家だ。それに、彼女を休ませてやらねばならん!」


「あのさぁ、私の家ってーのは、元々、俺の店のものだよ?大家だからねぇ」


二代目は、岩崎へ悪態をつくと、玄関先から部屋へ戻ろうとする。


おーいと、これまた、酔っていると思われる男の呼び声に反応して。


はいはい、ちょいと、お待ちをなどと、二代目は、よたよたしながら、向かって行った。


「吉田!これは!なんだ!」


「はい、中村様が、血相を変えて来られましたので」


「吉田!だから、その、なんだ!血相を変えてというのは、で、どうして、酒の席になるのか説明してみろ!」


岩崎は、吉田に噛みついた。


「まあ、長い話になりますので、ひとまず、月子様をお部屋へ御案内してから……。月子様、お召しかえをどうぞ……」


吉田は、噛みつかれようが、淡々と自身の役目を果たし、聞く耳を持たず、お咲に月子を案内するよう申し付けている。


「月子様、お咲、女中だから、部屋もしってる!」


岩崎と月子が、西条家へ出向いている間に、お咲は、家の間取りも吉田に教わったのだろう、えらく張り切っていた。


「……そうだな、君は、一休みしていればいい」


岩崎は、月子を下ろすと、吉田をじろりと見る。


どうやら、長い話をするつもりらしい。


「あのな、吉田。客といえど、訪ねて来たのは、中村だろうがっ?!」


「はい、左様で。中村様が、まさに、この玄関へ転がり込むように、来られたのです」


吉田の、あっけらこんとした物言いに、岩崎は、我慢ならんと眉をしかめきっている。


「あー、なんでまた。おれの話題で、立ち話もなんですねぇ。しっかし、さすがは、筆頭執事吉田さんだわ。気くばり万全だよ」


二代目と入れ替わるように、人懐っこそうな、若者が現れた。もちろん、いい具合に酔っぱらっている。


「あーー!で!月子ちゃんな訳ね!なるほど!!」


ははは、と、洒落者らしく、髪をきっちりとかしつけ、シャツと吊りバンドのズボン姿の、岩崎より、やや若い男は、廊下に座り込んだ。


酔いが回っているようなのだが、物珍しそうに、月子を見上げている。


「中村!じろじろ見るな!」


「やや、どうしたことか、ご立腹だねぇ、岩崎よ!」


「当たり前だろうがっ!一体、何しに来た!」


若者に、岩崎は、怒鳴り付けているが、


「あー!月子ちゃん!おれね、おれ、岩崎の音楽仲間の、中村ってーの。正しくは、講師と生徒なんだけど、岩崎とは、気があって、友達になってんだわ」


よろしくと、中村と名乗った若者は、月子へ頭を下げるが、酒が回っているからか、そのまま廊下に転がってしまう。


「ははは、すまない、すまない。酔っぱらっちまったわ。でもねえ、月子ちゃん!あの、岩崎が、やっと、結婚するんだよ!飲まずにいられるかって、だろう?ははは」


「中村、何が、そんなにおかしい。というより、何を、一人で喋っている?!」


怒鳴りつける岩崎に、中村は、顔色一つ変えるわけでもなく、ははは、と、笑い続けていた。


「中村様は、笑い上戸のようで、ございますね」


では、と、吉田は言うと、転がっている中村を起こして、部屋へ向かった。


「お咲、月子様へ手を貸しなさい」


足がまだ痛かろうと、吉田は理解しているようで、お咲へ命じた。


「はい。お咲は、女中です!」


それなりの覚悟というべきか、言い付けられてと言うべきか、お咲も、女中として働くつもりで、ここに来た。が、一連の騒ぎで、追い返されそうになっていた。


そんな事情からか、女中として、ここにいれるのだと、お咲は、嬉しそうだった。


月子は、そんなお咲と自分を重ねた。月子も、ここに来るまては、先行きが見えない、不安を抱えていたのだ。


それが、まだ、小さな子供なら、さぞかし、どうしようもなく、恐ろしかったことだろうに……。


「お咲ちゃん、じゃあ、案内たのめるかな?」


月子の一言に、お咲は、嬉しそうに笑うと、手を差し出してくる。


「お部屋はね、お咲と一緒なんだよ!」


「まあ!そうなんだ!仲良くしようね、お咲ちゃん」


差し出された手を握り、月子は、ゆっくり歩いて行く。


「あっ、すまん。部屋数が少なくて……」


岩崎が、はっとした面持ちで声をかけて来た。


ここには、居間兼客間に、岩崎の書斎を兼ねた部屋。そして、納戸がわりにしている、小部屋と台所しかない。


もっとも、神田という場所なら、それだけの間取りで、上等というべきだろうし、そもそも、岩崎一人で暮らしていたのだ。十分すぎる部屋数だった。


が、今や、月子との新居になり、お咲という、一応、女中まで住み込むことになった。


わああ!と、居間から、二代目と中村の酔った叫びが、聞こえて来るが、岩崎は、それどころかと、ひとまず、月子へ、お咲と同室になる事を詫びた。


「あっ、そんな、岩崎様。私は、気にしておりませんから!」


余りにも、真剣な様子の岩崎に、月子は慌てた。


そもそも、贅沢を言える立場ではない。それに、お咲は、まだ小さい。一人で寝起きさせるのも、心もとないと言う思いと、誰か一緒にいる方が、月子も、逆に落ち着いていられた。


「……そ、そうか。ならば、辛抱してもらうということで……だ。そ、そして、そ、その、君の、その、岩崎様、というのは、どうにかならんだろうか?様をつけるのも……妙だと思うのだよ……共に住む訳だから……」


岩崎は、言うと、月子から視線を逸らす。


「あっ……!」


確かに、言われて見れば。


「……は、はい……そう、ですね」


「う、うん……」


岩崎と月子は、共に、頷き合う。しかし、それから先の言葉が出て来ないまま、二人して、うつむいた。

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