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第20話

本当にもう、と、芳子は、呟きながら、鬱陶しそうな顔をした。


「京介さん、なんで、あんなに声が大きいんでしょうねぇ。お体が大きいと、声も大きくなるの?吉田?」


芳子は、門扉もんぴを閉じようとしていた使用人──、吉田、こと、岩崎男爵家の筆頭執事に尋ねた。


折り目正しい洋装姿で、手にポットを持つ吉田は、


「左様ですねぇ」


と、曖昧な返事をする。


確かに、岩崎の声だけが、皆がいる部屋に響き渡っている。


正しくは、部屋には、岩崎兄弟だけがおり、芳子、月子、そして、お咲は、続くテラスで、吉田の世話になりながら、お茶を嗜んでいた。


先ほどの玄関前での顛末を、岩崎は、兄、岩崎男爵へ、吠えるに近い状態で、くどくど語っている。


「もう、気にしなくていいわよ。二人が顔を合わすと、いつも、こうだから。月子さん、頂きましょう?」


ああ、秋だから、薔薇が、少ししか咲いてなくて、ごめんなさい。などと、月子へ言いつつ、テラスの向こうに広がる薔薇園と言って良い、手入れの行き届いた庭へ芳子は目をやった。


白い丸テーブルに、白い椅子。見たこともない、モダンな花柄が描かれたカップに、またまた、見たこともがない、焼き菓子が皿一杯に盛られている。


そのカップへ吉田が、ポットから、おそらく、紅茶らしきものを注ぎ入れ、続けて、取り皿に、焼き菓子をよそってくれた。


あの玲子とかいう女学生と、皆で、おかしな会話をした後、それではと、月子親子は、岩崎男爵邸に邪魔をしている。


白い外装、左右対称の2階建ての屋敷は、これが、洋館というものなのかと納得してしまう重圧感があった。


岩崎に抱き抱えられたまま、月子は、両開きの玄関ドアを潜り、屋敷の中へ入ったが、そこは、月子の知らない世界だった。


天井から、光り輝く、硝子の塊、どうやら、シャンデリアと言うものらしい……が、吊り下がる、十畳は下らないだろう空間が迎えてくれた。


そして、そこには、そこかしこに、絵付けされた西洋風の壺、彫刻、絵画、動物の角の様な物まで飾られていた。


男爵夫婦と岩崎は、ずんずん進み、その後ろを、お咲が、キョロキョロしながら着いて来る。


むろん、キョロキョロしているのは、月子も同様で、いくつか並ぶドアを通り過ぎ、今いる部屋へ到着したのだった。


どうやら、この部屋は、芳子の趣味で設えられた客間のようで、淡い桜色の壁、赤い絨毯、白い石造りのマントルピースというのだろう物が、デンと備わり、存在感を出している。


西洋式の部屋など、初めての月子は、どこかで伝え聞いた事がある言葉を必死に思い出しながら、あれがそうなのか、などと思いつつ、変わらず、キョロキョロしていた。


「まあ、本当に、疲れたわ。このお部屋が、落ち着くわね」


芳子は、言って、紅色の別珍ビロードのような重工なカーテンを両脇に束ねた、両開きの硝子扉へ向かって行く。


「京介さん、月子さんをテラスへ御案内して?」


とたんに、控えていた吉田が、硝子扉を開いて、テラスへ誘った。


吉田は、そのまま、お茶の用意をして、月子はもてなされ……今に至る訳だが、部屋では、男爵と岩崎が言った言わないと、言い争っている。


「もう、京介さん、月子しかいないって、言ったのに、往生際が悪いこと、ねぇ、吉田?」


「左様でございますねぇ」


初老の品の良い執事は、そつなく答えている。


「ち、ちょっと、義姉上あねうえ!あれは、一ノ瀬君を追い払うための事で、お二人も、そうだったでしょうがっ!」


岩崎が、振り返り、今度は芳子へ、食ってかかった。


「でも、京介さん、聞きましたけど?ねえ?京一さん?」


カップのお茶を堪能しながら、芳子が言い、それに、男爵も、うんうんと、頷いている。


「ですからっ!」


岩崎は、叫ぶが、固まりきっている月子に気が付き、


「御母上は、別館にお泊まり頂いている。安心しなさい」


と、慌てて言った。


「別館?!」


西条の屋敷も、かれこれ広かったが、離れがあった止まりだ。


「ああ、この洋館の後ろに、もう一軒、屋敷がある。そちらは、和風建築だから、お母様も落ち着かれると思う」


岩崎の言葉からすると、同じ敷地に屋敷が二軒あるということか。


やはり、男爵家ともなると、月子の想像を越えていた。


「ああ、この洋館は、来客用で、普段は、裏の屋敷を使っていてね。うーん、二人は、こちらに落ち着くのがいいのかなぁ?」


男爵が、芳子を伺う。


「わ、私は!神田の自分の家へ戻りますっ!」


「京介さん、それじゃ、月子さんが、一人になるわ。お母様は、近々転院される訳だし」


「おお!吉田!病院の手配だ!来なさい!」


男爵が、取ってつけたように言い、部屋から吉田を連れて逃げ出した。


「という事は、うーん?月子さんも、神田のお家に戻るのが良いのかしらね?それだと、京介さんのお世話をしてもらえるしね」


ニンマリ笑う芳子がいる。


「夫婦で、はめやがって……」


苦々しげに、岩崎が言うが、月子は、世話という芳子の言い分に食いついた。


そうなのだ、この洋館、男爵邸では、とても女中として雇ってもらい働く自信がない。しかし、岩崎のあの家なら、十分働ける。


母の入院代も返さなくてならない。気が急いた月子は、


「お願いします!あちらの家で、お世話させてください!」


と、岩崎へ叫んでいた。


「だって。京介さん、決まりね」


芳子にも、ごり押しされ、岩崎は、言葉につまりつつ、


「世話などしなくてよろしい。君は、挫いた足を治せばいい」


渋々と言うべきか、行き掛かり上と言うべきか、月子の、同居、を認めたのだった。

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