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第12話

「……あ、あの、こちらを」


どうも、大きな勘違いが発生しているようだと思い、月子は、巾着から、釣り書を取り出すと、送ってくれた岩崎へ差し出した。


すると、パタパタと忙しい足音がして、若い男が、部屋から出て来た。


「ああ!紹介状まであるわけね!京さん!見た目若いけど、しっかりした女中さんみたいじゃないか!いや、よかったよ」


軽る口を叩きながら、男は、月子が岩崎へ、差し出している釣り書をさっと取り上げ、中身を確かめる。


「……って、これ。紹介状ではなくて……。西条月子さんって……ことは、あんた、もしかして、うちが手配した女中ではないって、こと?!」


わなわなと震えながら、若者は、岩崎へ、釣り書をつき渡す。


月子は、コクンと頷き、岩崎は、起こっていることを察したのか、眉をしかめた。


「……これは、私宛のものだろう?二代目、勝手に読むんじゃない」


「ですね。ですがね、こっちも、てっきり、依頼されてた女中がやって来たもんだと……思うでしょうがぁ?!」


声を裏返しながら、男は、岩崎へ抗議しているが、月子は、相変わらず、何が起こっているのか分からないままで、どうしたものかと、おろおろするばかりだった。


そんな月子の事など、男達は、目に入らないのか、延々と、口喧嘩のような、会話を続けている。


「おお!二代目!すまん、遅くなった!」


ガラガラとガラス戸が開き、しわがれた男の声が流れてきた。


「……で、なんだ。また、ややこしいことに……」


岩崎は、これでもかと顔をしかめきる。


おっ?!と、玄関先で、声の主は驚きながら、若い男に、これまた、食ってかかった。


「ちょっと、待て!人の家の玄関先で騒ぎを起こすな!一人づつ、事情を話してみろ!」


岩崎の大声に、沸き起ころうとしていた喧騒は、ピタリと止んだ。


「うんうん、京さんの言う通りだ。確かに、何がなんだかわかりゃしない。じゃー、俺ことから!俺こと、口入れ屋、田口屋の二代目、田口悟は、岩崎男爵家に、神田旭町に住む、岩崎男爵家次男、京さんこと、岩崎京介の家へ女中を雇いたいと依頼され、お咲とかいう女中が来るのを待っていた。はい、次!」


若い男──、口入れ屋の二代目は、芝居じみた口調で独り語ると、びしりと、玄関口に佇む、五十がらみの少し取っつきにくそうな、しわがれた声の主を指差した。


「お、俺かい?!俺は、田口屋に、誰か女中奉公は、いねぇか、適当な人間を、連れてきてくれって、いつものように頼まれただけなんだけどよ……。二代目、また、被りなのかっ?!」


しわがれた声を張り上げながら、男が、月子を見た。


「あー、こちらは、京さんのお客人みたいでね、女中奉公じゃないんだよ。だから、今回は、人は被ってねぇよ」


田口屋二代目の言い分に、後から来た男は、安堵の息をついている。


そして、


「おい、入って来な」


と、外へ声をかけた。


その声に従って入ってきたのは……。


風呂敷包みを抱えた、五つ六つに見える女の子だった。


「お咲、旦那さんに挨拶しな」


せっつかれる様に言われた女の子は、もじもじしながら、頭を下げた。


「いや、ちょっと!お咲ちゃんって?!」


二代目が、慌てる。


「おい!そんな子供を、女中として雇えというのかっ?!」


岩崎の大声が、響き渡る。


この、何がなんだかの有り様に、月子は、目を回しかけそうになる。


岩崎の怒鳴り声から逃げるかのように、お咲を連れてきたしわがれ声の男は、じゃあ、と言い捨て、さっさと帰ってしまった。


「二代目!」


岩崎の怒鳴り声は、止まない。


「い、いや、ちょっと!」


振られた二代目は、慌てきる。


この状態に、月子も縮こまった。


一応、関係ないとわかっているが、岩崎の剣幕は、相当なもので、月子も困惑してしまった。


それは、置いてきぼりにされたに等しい、お咲も同様のようで、もろもろに堪えきれず、わーんと泣き出してしまう。


「なんとかしろ!」


「え?!お、俺?!泣かしたの京さんでしょうがあ?!」


苛立つ岩崎に責められた、田口屋の二代目も、ひるんでいる。


月子も、動揺しきっていた。


自分だけ座っていてよいのだろうかと迷うほど、とにかく、岩崎の声は大きくて、さらに、大柄な体つきで、こう苛つかれたら、恐ろしいさも倍増し、お咲でなくても、泣き出したくなるだろう。


「そして、君もだ!」


その岩崎の大声が月子へ降りかかって来た。


「早く家へ帰りなさい。見合いの手伝いだなんだと、訳のわからない芝居を打って!気乗りしないのなら、断りを入れてもかまわんのだ。こちらから断りを入れるのは、面子もあるだろう。遠慮せず、そちらから、断ってくれて結構!」


月子へ言い放ち、早く出ていってくれと、岩崎は、皆へ向かってこれでもかと怒鳴り付けた。


二代目が、そんな岩崎の強引さに文句を言い、お咲は当然泣き止まない。


騒然としている玄関先で、月子も、泣きそうになっていた。


出ていけと追い出されては、たちまち行き場に困る。


こうも頭ごなしに怒鳴られては、月子も、心が折れそうになった。


おぶわれていた時に見せていた、岩崎の紳士ぜんとした、少し堅苦しくはあるが、穏やかさは無くなって、まるで、月子が悪者かのような言われ具合で……。


このままでは、見合いどころか。


せめて、形だけでも見合いを執り行ってもらわなければ、きっと、西条家へ子細が伝わるはず。


月子が、嫌がった、と、言う話になりえる。


さて、佐紀子の怒りは幾ばくのものだろう……。


が。


その西条家から、追い出されているのだから、ここで、あれこれ考える必要はないのだ。


今、考えなければのらないのは……。


月子は、顔を引き締め覚悟を決めた。


座っていた框から、足を引きずり立ち上がり、玄関土間に、膝をついて土下座する。


ここに置いてもらうか、とにかく行き先を見つけようとして……。


「お願いします!帰る所はありません!どうか、ここに置いてください!私を女中に雇ってください!」


勇気を振り絞り、月子は、ともするば、みっともない行動なのだろうと思いつつ、めいいっぱい、頭を下げた。


自分でも、無茶なことをやっているとわかっているが、今の月子には、こうするしか思い浮かばなかった。


人に頭をさげるのは、西条家で、慣れきっている、土下座だって、散々やってきた。


とにかく、とにかく、と、月子の気持ちは急いた。


「き、君!な、何を!」


「ち、ちょっと!お嬢さん、それは、やり過ぎでしょっ!」


岩崎も二代目も、いきなり土間に頭をすり付ける月子に面食らい、そして、お咲は、当然泣き止まず、場は、収集がつかなくなった。


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