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第4話

「善は急げだわね」


佐紀子が、少し眉をしかめ、それでも嬉しげに言う。


すべては、先方、山村家のご機嫌が上手く取れるか否かにかかっている。おそらく、野口家が、押し込むだろうと佐紀子は読んでいるようで、月子へ、身辺整理、つまり、荷物をまとめておくようにと催促を入れてきた。


おばに、茶をかけられ、濡れてしまった胸元が冷え始めていた月子には、佐紀子の言葉は、胸元以上に冷ややかに感じられたが、ただ、心配なのは、母のことだった。


いったい、どうすれば良いのだろう。


母に、どのように告げれば良いのだろう。


月子が、戸惑っているのを承知してか否か、野口のおばは、上機嫌だった。


「そうだね、佐紀子。義理とはいえ、姉のお前を差し置いて妹の月子が先に嫁に行くのはどうかと思うけれど、相手は、男爵家。十分過ぎるほどの条件だ。他に取られない内に、月子を送り込んでしまわないと……」


何も、憎くて追い出しにかかっているのではないと、言いたげに、おばは、軽やかな口調ではあるが、その腹黒さを月子へ見せつけて来た。


「ええ……順序にこだわっていては、月子さんの幸せが逃げてしまいます。お相手は、男爵家ですもの、少し羨ましいお話だわ」


佐紀子の取り繕うような言葉が、月子の胸を刺す。


たまたま、患ってしまった母。そして、連れ子という立場の月子は、一歩間違えれば、家長である、佐紀子の立場を揺るがす。佐紀子の縁談をまとめる為に、月子を利用すると見せかけて、結局は、純粋な西条家の人間のみ残そうとしているのだと、月子は痛感した。


自分達がいなくなれば、西条家は、上手く運ぶ。佐紀子の考えは、そうなのだろう。


作り笑いを浮かべてはいるが、月子へ向けられている佐紀子の視線は、とてつもなく残酷で、やはり、これまでなのだと、月子は深い絶望感に落ちいった。


諦めの時が来たのだろう。


いつか来ると分かっていたが、まさか、それが今、とは。


月子の瞳に涙が滲んで来た。が、ここで、泣いてしまえば、また、厄介なことになる。


笑顔を浮かべることは無理だが、せめて、平静を装っておかなければ、チクチクと嫌みを言われる事だろう。


しかし、どうしても、月子は、母の事が心配だった。


自分は、男爵家とやらで、耐えれば良い。気に入られなくて、追い出されたら、その時は、仕事を探せばよいだけ。


しかし、母は……。


その男爵家へ連れて行く訳にもいかないだろうが……。


月子は、覚悟を決めると、深々と頭を下げ、恐る恐る言葉を発した。


「……お姉様、お話を、お受けしたいと思います……」


月子が、そう言うであろうと分かっていたのか、佐紀子は、あら、そう。と、軽く相づちを打ちにこりと笑う。そして。


「……あの方のことね。今回は、世間体というものもありますから、悪いようにはしません」


思いもしなかった佐紀子の言葉に、月子は、思わず顔をあげた。


「あの、それは……」


「ご病気ですもの、それなりの所へ行って頂きますよ。ただし……」


言うと、佐紀子は、きりりと顔を引き締め、月子へピシャリといい放った。


「月子さん、あなたは、結婚して西条家を離れます。自然、この家の者ではなくなります。ですが、あの方は……、西条家の人間のまま。お父様もいない以上、あの方の役目は、もうないのよ。だから、西条家から、籍を抜いてもらいます」


つまり、それは、月子親子は、西条家と縁を切られるということで、二人揃って、西条家から籍を抜くことで、母を見捨てないことになる……。


佐紀子に突きつけられた条件に、月子は愕然とした。


「……わかりました」


月子の瞳に滲んでいた涙が、溢れそうになる。


誤魔化す為に、月子は、再び頭を下げた。


「ああ、これで、丸く収まるね」


野口のおばが、今度こそ腰を上げて、家へ帰ろうとしていた。


男爵家、いや、佐紀子の縁談先、山村家とを取り持つ為に、動く為だろう。


「よかったわ、月子さんも、幸せになれて……西条の家も、これで、落ち着くでしょう」


どこまでも、家の為と、前に出す佐紀子のやり方に、月子は、悔しさを噛み締める。


そして、ポタリと、涙がこぼれた。


だが、前に陣取る二人に見られてはと、月子は、頭を下げたまま、必死に涙を堪える。


「……ところで、おば様、男爵様とは、どのような方てすの?それぐらいは、月子さんも、知っておいたほうが、心構えができるというものでは?」


佐紀子が、どうやら訳ありの様だと言った、野口のおばの言葉を蒸し返して来た。


「ああ、そうだねぇ。知っておいて損はないだろうけど、正直、私も、伝え聞きなんでね、詳しい所は……。ただ、三十路は十分過ぎているようだよ。まあ、家柄も良くて、その歳まで、独り身って言うのも、なんだかねぇ。あぁ!うちの人が、勘当されたとかなんとか言っていたっけ……」


「……勘当……ですか?男爵様ともあろうお方が?」


「ああ、そこは、私も良く知らないんだよ。話がまとまれば、ハッキリするだろう?」


「ですわね、おば様」


完全に、他人事として、野口のおばと佐紀子は、語り合っている。


当事者の、月子は、頭を下げたまま、ゾッとしていた。


三十路を十分に越えているということは、今年十六の月子と、おおよそ、二十歳は離れている可能性が高い。


ほぼ親子ほどの歳の差にも、驚いたが、おばが、さらりと言ってのけた、勘当されている、とは、どうゆうこと事なのだろう。


そのような、不安定な状態では、いくら、男爵家の人間でも、嫁を貰える訳がない。だから、あちこちに声をかけているのか……。


はじめに、おばが、語った、訳ありという意味合いが分かったのは良い。だが、月子は、困惑しきった。


しかし、今更、拒むことも出来ない。佐紀子は、籍を抜くという条件つきではあるが、母のことを引き受けてくれているのだから。


恐らく、最低限の処遇だろうけれど、口振りからは、母を病院へかけてくれると信じて良さそうだった。


月子親子に、辛く当たる佐紀子ではあるが、家長という立場を意識してか、言ったことは、必ず守る。


ましてや、それが、自分達の邪魔となる、月子親子を追い出せるなら、母は病院へ、月子は男爵家へ、と、佐紀子は、必ず送り出す。


それで、西条の家の面子は、しっかり守られ、佐紀子自身の縁組も、まとまるのだから……。


「……そうですか、本当に、少し訳ありのお方のようですが、月子さん、平民の私達が、男爵家へ嫁げるのですから、多少のことは我慢しないといけないわ。それに、三十路を十分に過ぎていらっしやるなら、勘当されたご本宅の家長様の了承も必用ない……。月子さんが、嫁げばよろしいだけだわね」


佐紀子は、公の決まり事、婚姻には常に、家長である戸主の同意が必要とされ、男は三十歳、女は二十五歳になるまでは、父母の同意も必要であるという旨を持ち出して来た。


「複雑な事が省けてよかったじゃないかしら?」


意外と簡単にまとまるではないかと言う佐紀子の本心は、二十歳離れている勘当された男、という、訳ありの相手をあてがわれる月子を、心の中で笑っている。


月子には十分に分かっていた。


しかし、母の為だ。


たとえ、母が籍を抜かれようとも、病院へかけてもらえるのならば……。このまま、蔵で過ごすより、断然、母の体には良いはず。


月子の力では、手配が及ばない事だけに、ここで、佐紀子へ理不尽だと言い張る訳にはいかなかった。

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