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第2話

そっと障子を閉める佐紀子の動きに隙はない。


背筋を伸ばし、佐紀子は月子などはなからいないかのよう、視線を合わせることもなく、しずしず歩むと、野口のおばの隣に腰を下ろした。


──立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花──


まさに、佐紀子の為にある言葉だと、月子はいつも思っていた。


小豆色の小紋に黒の帯をしめる、佐紀子の今日の出立ちは、月子と四つしか違わない、二十歳はたちの、乙女らしくない地味なもので、それは、逆に、佐紀子の上品さ、淑やかさを際立たせている。


艶やかな髪は、流行の巻き髪に結い上げ、かといって、娘らしく、流行りを追いかける訳でもなし、佐紀子は、常に自分に適した身支度を心得ていた。


下手をすれば、野口のおばよりも威厳が感じられ、仮とはいえ、当主の役目をしっかり全うしているように見えた。


それに比べて、自分は……。


月子は、小さくなった。


日々の裏方仕事で、荒れた手。袖口と裾が擦りきれている木綿の着物。刺子で誤魔化している、継ぎはぎだらけの前掛け。


働いているからといっても、あまりに、みすぼらしいとしか言えない姿を、佐紀子の前に晒しているのが情けなかった。


佐紀子は、決して華美ではないものの、身につける物は、やはり、流石としか言い様のない上等なもの。西条家の品格を落とさない様に心配りも忘れていない。


さらに、奥向き含め、屋敷の采配、そして、事業の成果を確認するため、夜遅くまで帳簿に目を通し、商い事まで上手くまわしていると、屋敷の皆は知っている。


年若い娘ではあるが、佐紀子の才覚は、確かなもので、彼女の言うことには皆逆らえない。


その佐紀子の色白で、少し面長の顔に収まる薄くキリリと引き締まった口が開いた。


「……おば様、やはり、先様は……今回のお話は無かったことと……」


「佐紀子!何も心配しなくていいんだよ!うちの人が、山村様のご機嫌をとっているからね!まったく、本当に、迷惑な話だよ!」


「……迷惑は……、おば様ですわよ。月子さんが、びしょ濡れじゃないですか?」


「いや、これは、その、なんだよ、手が滑ってね……」


「おば様のお気持ちは、よくわかりますわ。私だって、心底、虫酸が走りますもの。ですが、あまり誉められたことではないでしょう?……ほら、畳が濡れてしまっている。染みになってしまったら……余計な出費が増えますわ」


「ああ、そうだねぇ。これは、うっかりしてた。佐紀子には、かなわないわ」


ホホホと、野口のおばは、高笑った。その横で、佐紀子も、うすら笑みを浮かべ、居心地悪く小さくなっている月子に、冷ややかな視線を手向けてきた。


いつもこうだった。


佐紀子の言うことは、一見、公平で、理にかなっているように聞こえるが、上手く言葉を操つり、結局、月子へ嫌みの一言、二言を浴びせて来る。


今も、佐紀子は、野口のおばが、月子へ行った仕打ちを注意するようなことを言い、良く良く聞けば、月子の事ではなく畳の事を心配している。


他の者達からの、嫌がらせよりも、この佐紀子の物言いは、月子には、こたえるものだった。


──まあ、その通り。さすが、佐紀子様!──


毎回、屋敷の者達は、佐紀子の言葉に正当性があると、称賛する始末で、そんな、佐紀子のやり方は、月子を常に追い詰めていた。


「……それで、おば様?どうして月子さんを?」


佐紀子が不思議そうに、野口のおばへ問いかける。


そう、そこは、月子も不思議に思っていた。


佐紀子の縁談を、月子親子が壊してしまった件について、文句を言う為なら、何もわざわざ、月子を客間に呼びつけなくても、おばが裏方へ赴いて皆の前で月子を罵倒すれば良いはず……。


屋敷の女中達と共に、悦に浸っている、野口のおばの意地悪い顔が思い起こされた月子は、こうべを垂れたまま、ぎゅっと目を閉じた。


「それがねぇ……」


佐紀子の前だからか、何か裏があるのか、おばの口調はどこか、取り繕った柔らかなものになる。


こうゆう時は、何かある。月子に何かを吹っ掛けてくる前兆だと、これまでの出来事が思い起こされ、月子の額には嫌な汗が滲んできた。


「どうなさったの?おば様」


佐紀子が、空々しく合いの手を入れている。


「月子にもねぇ、縁談話があるんだよ」


「まあ!月子さんに!」


「そう、お相手は、男爵様なんだけど……」


おばの一言で、場の空気は明らかに変わった。


「なんだか、急な話ですね」


佐紀子が、静かに言う。


月子は、そっと、上目遣いで、前に鎮座する二人を見た。


「月子!人の話を聞いているのかい!」


野口のおばが声を荒げた。


「……そうよ、月子さん、せっかく、おば様が、あなたの為に、良いお話を持ってきてくださっているのに……」


佐紀子が、おばをなだめる事で言うが、その視線は月子には向けられていなかった。


冷たい態度は、きっと、頭を上げろ、こちらを見ろ、ということなのだろう。


いつものことだ、と、月子は思いつつ、佐紀子が言った、あなたの為、という常套句に内心怯えてもいた。


佐紀子の縁談が、こわれかけているのに、そこで、月子にも縁談話というのは、どうもおかしい。


「申し訳ありません……」


頭を上げて、月子は、ひとまず、小さく答えた。


まあ、いいだろうと、と言いたいのか、野口のおばは、ため息のような息を吐くと、話を続ける。


「佐紀子、これは、お前の縁談をまとめるためなんだよ。だから、しっかりと、聞いておくれ」


「……私の?月子さんの縁談が?」


どうゆうことかと、佐紀子は、大袈裟に首を傾げているが、きっと、おばの意図を掴んだのだと、月子は感じた。


いや、佐紀子は、この話を、すでに知っていたのかもしれない。それを、月子の前で何らかの理由から、おばと示し合わせて、語っているのかも……。


どうあれ、月子への話のはずなのに、結局、野口のおばは、佐紀子の為だと二人だけで、話し合っている。


仮とは言え、家長である佐紀子の了解が何事にも必要と分かっているが、月子もちゃんと話が聞きたかった。


自分へ寄せられた縁談なのだから……。


しかし。縁談とは、家と家の取り決めで、月子の意思など、はなから関係の無いこと。


野口のおばと、佐紀子だけで話し合っているのは、ある意味筋が通ってはいるのだが……。


ただ、佐紀子の縁談をまとめるためと、おばは切り出した。


月子は、そこがどうも解せなかった。いや、そこが、恐ろしくてならない。


自分に、何が降りかかって来ているのかと、月子は、不安に押し潰されそうになっていた。

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