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第6章 ジェンス――双翼の絆(後編)

 駐屯地に帰ると見慣れない馬が二頭、杭につながれていた。みるからに高価な馬具をつけているが、毛艶は悪いし、蹄の状態もよくない。

 きっと遠方からの依頼人だろう。ユーリは帝都へ行くといったが、ジェンスがライオネラを離れる方が早いかもしれなかった。


 養父のトラクスも団長のクエンスも、なかなかジェンスを正式にエオリンの団員にするとはいわない。だがその日は遠くないはずだとジェンスは思っていた。正確にいえば、このさき団員として何らかの役割をもらえなければ、エオリンにジェンスの居場所はなくなってしまうのである。


 もう十六歳なのだ。父親を手伝い、馬を馴らしたり道具を手入れするといった雑用をして、傭兵たちに稽古をつけてもらう――これだけでは本当の兵士にはなれない。だいたい兵士にならないなら、いったい何のための稽古だろう?


「チェリはまだ戻ってこねぇのに、おまえは真面目だな、ジェンス。それに今日は妙にはりきってないか?」

「べつに」


 今日の稽古の相手はメルクだ。狡猾な古参兵で、枯木のような腕からは意外なほど強い打ちこみが返ってくるし、予想もしない方向から攻撃を仕掛けてくる。一時たりとも油断できない教師だが、向こうはしれっとした顔で打ちこみのあいだもジェンスをからかった。


「まさか大神殿でお参りして、心をまっさらに入れ替えたのか?」

「神殿までは行かなかった」

「タラットはそういったぞ」

「必要がなくなったんだ」

「ほう?」


 メルクは眉をあげ、そのとたん斜め上から降ってきた木剣を、ジェンスはすんでのところで食い止めた。


「つまりあれか、例の神官に……いや、ちがうな。あの子に街で出くわしたのか? 神殿の……」

 ジェンスは答えずにメルクの木剣を跳ね返した。

「図星のようだな」

「正式には神殿の人間じゃないらしい」

「おや」

「そのうち帝都へ行くと」

「ほーう」


 メルクは唇をゆがめてニヤッと笑った。ジェンスは続けざまに入った打ちこみは防いだものの、足払いをかわしそこねて転びそうになる。木剣が手から飛んでいったが、地面を転がってなんとか体勢は立て直した。

 木剣を拾って顔をあげると、メルクはまたニヤニヤしている。


「なかなか気合の入った目をしていたが、おまえと同じくらいの年か」

「ああ」

「神殿の人間じゃないっていうのは、正式な見習いじゃないって意味か?」

 ジェンスはまたうなずき、メルクはふと遠い目をした。

「神官の見習いは、ふつうはもっと幼いからな……。あの神官はわざわざ彼を連れ戻しにきたように見えたから、異能もちかと思ったが」


 話しながらメルクが水場へ向かったので、ジェンスも彼について歩いて行った。視界の隅にトラクスと団長が見えた気がしたので何となく目を向けると、マントを羽織った男が一緒だった。男の後ろにいる兵士はエオリンの団員ではない。つながれていた二頭の馬の持ち主にちがいない。


 メルクも気づいていたにちがいないのに、何もいわずそのまま歩いていく。珍しいことだと、ジェンスは不思議に思った。依頼人の素性や目的についてあれこれ論評するのはメルクの趣味のようなものだ。


「あの体格じゃ神殿兵って柄でもなさそうだし、双翼候補ってわけでもないか」

 メルクの言葉をジェンスは聞きとがめた。

「そうよく?」

「神官の相棒を務める神殿兵のことさ。一対の翼に見立ててこう呼ぶ」

「兵士と神官が相棒になるのか?」

「神官は神殿に閉じこもってお祈りしてるだけじゃないからな。魔物退治にも兵士が必要で、神官は浄化の仕上げをするだろう? アルコンみたいに」


 たしかに。エオリンの退魔師アルコンは兵士が魔物を斬ったあと、根本を断つ役割である。


「あの子はおまえが危ないと見たとたん、飛んできて助けようとした。〈双翼〉の神殿兵は魔物を恐れないための特別な訓練を受けると聞くから、ひょっとしたらと思ったが……ま、ないか」

 ユーリはそんな話はしなかったとジェンスは思ったが、神殿兵の「特別な訓練」には興味がわいた。


「神官にはそんな兵士がついているのか? いったいどんな訓練を?」

「わからん。神殿は秘密主義だ」とメルクは答えた。

「それに全員ってわけじゃない。昔、めっぽう強いが鼻持ちならない神殿兵に会ったことがあって、そいつが〈双翼〉だった。どうも〈双翼〉になると神殿の中で特別な位にあげられるらしくて、本当に偉そうで嫌なやつだと思ったよ。ただ、相棒の神官はずいぶん弱っていた。そいつの献身ぶりがたいしたものだったから、よく覚えているのさ」


 メルクは過去をのぞきこむような遠い目をして話した。思い出話が好きな古参の傭兵には、自分に都合のいい出来事だけを覚えているタイプと、失敗も含めたあらゆる記憶を経験の糧にするタイプがいるが、メルクは後者だった。だからメルクの思い出話は面白いだけでなく役に立つ。


「何でも一度〈双翼〉となったら、どちらかが死ぬまでそのままなんだと。夫婦も同然かといったら、それ以上だと返しやがった。運命共同体だと。大げさだと思ったが、鼻持ちならないそいつの唯一認められるのはそこだけだった」


 話しているうちに水場についた。ジェンスはポンプで水を汲み、メルクは盛大に跳ね飛ばしながら顔と手を洗った。

「神殿はどこでそんな兵士をみつけるんだ?」

 手拭いを振り回している傭兵に、ジェンスはまたたずねた。


「〈根〉の神殿に帰依している町や村は、見込みのある子供を神殿に差し出してる。帝国の正規軍から派遣されて、そのまま神殿兵になる場合もある。だがな、神殿ってのは選り好みをする。俺みたいに金目当てで兵隊になるような人間はお呼びじゃない。ところが世界樹にお参りするためなら火の中水の中みたいなのも追い出してしまう」

 メルクは人の悪い笑顔を浮かべた。


「昔いたのさ。神殿兵に憧れて何度も戸を叩いたのに、神殿がつれなくてしまいにはへそを曲げて、うちエオリンの試験を受けたやつが……」

「……そいつ、どうなった?」

「新兵のあいだに死んだよ。腕は悪くなかったんだが、運が悪かった。神殿がそれを見通していたのなら恐れ入るが、そいつを受け入れなかった本当の理由はわからん」

 なるほど、自分の思うようにはならないわけだ。


 ジェンスも手と顔を洗ったが、揺れる水のおもてに一瞬ユーリの顔が見えたような気がして、思わずまばたきをした。もちろんそれはただの錯覚で、水に映っているのはジェンス自身の顔だった。双翼という言葉がもう一度、頭の中でひらめいて、消えた。



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