大神殿の石のテラスに巡礼たちがひざまずいている。テラスの先に壁のように立っているのは苔むした巨大な樹の幹。白い衣の神官が石の床の隅に立ち、両手を組んで朗誦をはじめ、その声は俺とフィシスがいる上階の回廊にも朗々と響いた。美しくて耳に心地よい響きだった。
あのあと、スープを食べてもまだ腹が減ってるといったら、フィシスはもっと食べ物を持ってきてくれた。パンや燻製肉や果物、それに甘い味の飲み物。さっきのスープは味がよくわからなかったが、今度はとてもおいしいと思った。お腹がぺこぺこだからというのではなくて、本当においしかったのだ。
俺は両親が生きていたときのことを思い出した。年に何回かご馳走を食べる日があって、そのたびに俺はこんなにおいしいものを食べたことはないと思ったものだ。フィシスが持ってきた食べ物もこれに匹敵するくらいで、俺はすこしいい気分になった。
それからフィシスは俺をつれて部屋を出ると、長い階段や廊下を歩いて、この回廊までやってきた。きっとフィシスは大神殿が立派なのを見せて、神官になるよう説得するつもりなのだろうと俺は思った。
「大神殿の起源と神子について、聞いたことがあるか」
テラスを見下ろしながらフィシスがたずねた。
「神子……?」
「知らないか。シャロヴィのような辺境には広まっていないらしいな」
俺はイラっとした。
「どういう意味だよ」
「怒るな。嫌味ではない。遠い昔の人々は、世界樹の七本の枝におわす神々に祈りを捧げていたものだ。タトゥス、梟。ディロン、狼。エオマイア、鷹。マユリ、孔雀。レヴィアタン、蜥蜴。メルヴィ、蠍。マムート、亀――」
フィシスは歌うように古い神々の名を呼んだ。
「それぞれの神には使いとなる生き物がおり、人々はそれらを通じて神を崇めていた」
七枝神を象徴する生き物なら俺も聞いたことがある。村にやってきた退魔師は梟の象徴を身につけていた。神殿の人間は七枝神を毛嫌いするものだと思っていたが、フィシスの様子はそうは見えない。
「ところがあるとき、大樹が枯れはじめた」とフィシスが話を続けた。
「闇の亀裂があちこちにひらき、魔物がいたるところにあらわれ、人々もまた争いあった。だがそこに、一なる根に祈りを捧げよという神の啓示をうけた男があらわれた。男が枯れかけた根に祈っていると異界から神子が降臨して、共に祈りを捧げてほしいという男の願いを聞き入れた。そして神子が祈りはじめたとたん大樹は再生をはじめ、闇の亀裂の多くは閉じて、世界にはふたたび恵みがいきわたった。これが、はじまりだ」
「ここの――?」
「ああ」
いつのまにか朗誦は終わっていた。俺は階下を見下ろして、神官の背後にそれぞれひとりずつ、兵士がつき従っていることに気づいた。みな翼の模様がついた短いマントをつけている。門の近くにいた兵士たちとは雰囲気がちがうように思えた。俺は何気なくたずねた。
「あの兵士たちは特別なのか?」
フィシスはわずかに間をおいて答えた。
「ああ、彼らは神殿兵だ。闇の亀裂を恐れない訓練を受けている」
「神官はみんな、俺みたいな力をもってるのか?」
「そうだ。力がなければ祈りを捧げられない。始めればおまえにもわかる」
「だけど俺は……」
「ここにいたくないか」
フィシスが先回りするようにいい、俺は口をつぐんだ。
修行っていったいなんだ? こんなふうに巡礼たちを囲み、聖句を唱えること? それで俺の……頭の中にある、ばらばらの夢みたいな記憶がどうにかなるとでも?
「ユーリ、神官の修行は奴隷になることではない。強い異能を持っていればなおさらだ。強制されてやったところで力の制御はできない」
「でも……」
俺はすっかりとまどって聞き返した。
「俺は村でずっと奴隷みたいに扱われてきた。あの子供たちみたいに村の誇りになったりなんか……」
フィシスは目を見開いて俺をじっとみつめ、眉間にしわをよせた。俺の頭のてっぺんから足の先まで視線が動く。
「考えてみれば修行以前に、おまえは痩せすぎだった」
「は?」
俺は思わず紫の目を見返した。いくら背が高くて力が強くても、フィシスも俺と同じくらいガリガリなのに?
「たったいま気づいたが、おまえはまともな服も着ていない。まずはこれからどうにかしないと……」
俺はずっとこの服装だというのに、いまさら何をいっているのだ。でもフィシスは俺の考えなど知ったことじゃないといった様子だった。有無をいわさぬ調子で告げた。
「神官の修行をしない者に異能の手綱は握れない。納得するまで、わたしがおまえを預かる」