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第5話 土の友【後編】

「ソルッ!!」


 その少年の一声を合図に、場の全てが時が止まったように動きを止める。

 土壁は破壊されていた。ただし、リヴァルの炎にではない。炎は土壁どころか、ソルにすら到達していなかった。土塊の巨人に迫っていた炎は炎の形のまま、氷結していた。

 炎の形の氷とソルの間、ソルを庇うようにして、刃のない剣を構えた少年がいつの間にやら立っていた。

 時が凍りついた中で新たに現れた少年だけが動く。刃のない剣を振り、それが合図だったかのように少年から白い靄が発生、拡散し、見る間に氷の壁と化し、三人を囲んだ。

 土壁に比べ、見た目の頑丈さに不安を感じるが、彼——冷気を操るダートを持つリアンの氷壁はそう柔じゃない。

 壁を張り終え、リアンが一息吐いたところで、ようやく巨人が動き出す。

「リアン、戻っただか」

「うん、ただいま。——間に合ってよかった」

 友と短い会話を交わし、リアンはかねてからの宿敵を見据える。

「リヴァル、君の仲間も打ち倒したよ。諦めて仲間のところに戻りなよ。彼女はケテルに置いてきたから」

 静かな氷色の眼差しで告げる。焔色の勇者は応じない。代わり、俯いたまま、低く、低い声で。

「……アン……」

 怨嗟のように。

「リアン、リアン、リアァァァァァンッ!!」

 咆哮。リアンの名を叫び、再び炎を纏った。


 リヴァルが焔の双剣を掲げ、リアンとソルに飛びかかる。

 リヴァルの髪色と同じ紅蓮の焔が迫る中、リアンは静かに目を閉じ、刃のない柄を腰に構え、ソルより一歩前に出る。

 斬っ

 二人を飲み込まんとした炎に一閃。抜刀された氷の太刀が炎を掻き消し、冷気で場を支配する。

 退がりきれずにいたリヴァルにリアンが肉迫、太刀の切っ先でその首に突きを入れようとする。が、すんでのところでリヴァルは双剣を振るい、太刀を弾く。おまけとばかりに繰り出されたリヴァルの炎がリアンを包む。

「リアン!」

 ソルが駆け寄るが、リアンはそれを無言のまま手で制し、炎によって刃を失った太刀を振るい、鞘に収めるように腰へと戻す。同時に炎は掻き消えた。

「リアン、大丈夫だか?」

 ソルが怪訝そうに声をかける。リアンは無言で頷く。

 服が焦げ、はだけてしまっているが、露になった白い肌には傷一つ見当たらない。熱気を操ることもできるリアンは冷気で凍傷を起こすこともなければ、炎で火傷をすることもない。

「相変わらず、しぶといやつ」

 リアンが無事であることを確認したリヴァルは舌打ちをしつつも、闘志を失うことなく、刃をなくしたリアンに迫る。

 リアンはリヴァルを見据えたままじっと動かない。

 好機——リヴァルはリアンに向け横薙ぎに双つの剣閃を振るおうとする。

 だが、そこで横槍が入った。

 太く大きな土塊の腕がリアンの横合いから伸び、リヴァルの体を叩き飛ばした。

「ぐうぅっ!?」

「おらのことば忘れてもらっちゃ困るだ」

 赤い目を爛々と輝かせる土塊の巨人が不敵に言い放つ。

 ぎらり、未だ尽きない闘志を燃やした目でリヴァルは二人を睨み付ける。

 今度は剣ではなく、焔のみが伸びてきて二人に襲いくる。焔の竜だ。しかし既に何度か見た技、また同じ手か、とソルはもちろん、リアンですら呆れた。

 リアンがいつもどおり、冷気で凍りつかせ、砕こうとしたそのとき、変化が起きた。

 ぴしぃっ、と凍った竜にひとりでにひびが入る。リアンは違和感を覚え、止まる。

 凍った竜はみるみるそのひびを広げ、割れて——中から無数の小さい焔の竜が飛び出した。

 小さい竜は縦横無尽に飛び交い、リアンを、ソルを襲う。リアンは冷気を発して打ち消すが、ソルは竜たちに少しずつ身を削がれていっている。

 リアンはソルを囲うように氷壁を生み、元凶たるリヴァルの元へ向かう。すらりと再び氷の太刀を抜き放ち、剣檄を浴びせながらリヴァルに問う。

「何故そうまでして森に害なそうとする?」

 静かな問い。何度もこの二人の間で交わされた言葉が剣と共に舞う。

 相変わらず、激情を宿した焔色が、リアンを見上げ、応じる。

「俺にはお前が魔物側にいる理由の方がよっぽどわからない」

 リヴァルの返しにリアンが無言でダートを強める。太刀とぶつかり合っている部分の刃がめり、と凍りかけていた。リヴァルは慌てて太刀を払いのけ、退く。

 今一度、リアンが接近する。リヴァルは油断なく剣にダートを纏わせ、その太刀を受け止める。冷気が炎で相殺され、リヴァルの剣が凍ることはなかったが、どうやら炎の熱も相殺されたようで、リアンの氷の太刀も傷一つない。

「何故魔物を殺そうとする?」

 いつもの冷悧な無表情が刃越しに尚も問う。

「魔物が、俺の故郷を滅ぼしたからだっ!!」

 激情をそのまま乗せて、リヴァルは双剣を燃えたぎらせる。しかし、その炎ではリアンの太刀は揺るがない。

 リヴァルは更に告げた。

「俺の、俺たちの師匠だったあの人が裏切ったから——俺たちの師匠フラムが、魔王四天王の一人、シュバリエだったんだ!!」

「な、に……?」

 リアンの表情が凍った。


 シュバリエ。またの名をシュバリエ・ド・フラム。

 魔王ノワール四天王の一人で炎の魔法と剣術を駆使する四天王の筆頭とも言われるほどの猛者。

 鬼人と呼ばれる魔物の彼はまだノワールが人間との戦端を切る前、ダート使いであるリアンとリヴァルの剣の師であった。


「な、に……?」

 フラムの名は普段感情を滅多に表情には出さないリアンにとって、かなりの動揺を誘うものだった。

 それに追い討ちをかけるようにリヴァルは更に咆哮する。

「フラムが、裏切った! とても俺だけじゃ、太刀打ちできなかった。フラム自身もそうだけど、フラムは大勢の魔物を率いていて、そして、ゲブラーを、滅ぼした!!」

 炎のダートがぶわりとその勢いを増す。リアンは氷色の眼差しでぼんやり、まずい、と鍔迫り合っていた刃を離す。

 太刀を成していた氷は見るまでもなく溶けていた。

 だらだら、と手にした太刀から水滴が滴るのをリアンはただ眺めていた。冷気で修復するのも忘れ、なまくらの刀身に映る自身の顔を眺めていた。


 酷い顔だ。

 僕が、こんな顔していいわけ、ないじゃないか。

 師匠は、鬼人という魔物なのだから、ノワールの側についてもおかしくなかったんだ。自分たちに魔王四天王であることを隠すのは何もおかしくない。実際、フラムは魔王四天王と言われても納得してしまうような強さだ。剣において、彼の右に出る者はセフィロートに存在しないだろう。

 五年の空白があって尚、リアンにそう思わせる人物。それが、自分たちの剣の師。魔法も併用する魔法剣士だ。

 それが裏切って、ゲブラーを滅ぼした。魔王があれほどの実力者を放っておくはずがないのは当然のことだ。何故この五年間、疑わなかったのだろう。何故あの人がいるのに、ゲブラーが魔王の手に落ちたのか。それはあの人が最初から魔王側の人物だったからだ。

 何故、あの人が裏切ると思わなかったのだろう。ああ、それよりも。

 人間なのに、ダート持ちなのに、魔物の森を守る自分の方がずっと罪深い。

 リヴァルが故郷を守るため戦っていたときに、共に戦わなかった自分の方が、余程。


「裏切り者がぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 そう言って斬りかかってきた五年前のリヴァルの気持ちがやっとわかった。

 彼にとってゲブラーから逃げたリアンは裏切り者に他ならない。


 刀身を水が滑る。

 そこに映るリアンは、泣きそうなほど、傷ついた顔をしていた。


 リヴァルが紅蓮の炎を纏って迫ってくる。

 リアンはゆらりとなまくら刀を構え、迎え撃つ。

 リアンの動きが明らかに精彩を欠いているのをリヴァルは感じていた。そのことに違和感もあったが、それよりもこの好機を逃すまい、と双剣を握りしめた。

 双剣から繰り出される炎がもはや小太刀程度の長さしか持たぬ氷の刃に牙を剥く。太刀は見る影もなく溶けて消え、残るは柄のみ。

 けれど氷色の少年はいつものように冷気を発することなく、向かい来る炎を湖水の瞳にただ映す。虚ろな色。

「らああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 リヴァルは自分でもわからない叫びを上げて、焔の刃を振りかざす。「何か言え!」と言いたかったのかもしれないし、「リアン」とただ名を呼んだのかもしれない。

 どちらでもいい。

 リアンはいつもより柔らかい湖色の瞳でリヴァルを見上げた。

 赤茶色の燃え立つ瞳と、かち合う。

 静かすぎるほど悲しみに彩られた湖色の眼差しに赤茶色の瞳が、一瞬鈍った。

 けれど振り上げられた剣先は止まることはかなわず、リアンへと真っ直ぐ——


「リアン!!」


 ——落ちてくる、はずだった。

 リアンの目の前には黒い影。彼の倍ほどの巨体を持つ、土塊の体が。仁王立ちで。

 その向こうで炎の剣を携えた勇者も呆然と目の前を遮るそれを眺めていた。

 炎に裂かれ、燃えている土塊の巨人を。

「……ソル?」

 リアンは自分のものとは思えないほどか細い声でその名を囁いた。

「リアン、無事だ、か?」

 赤い瞳が振り向く。炎より優しい赤い瞳が。

 友の瞳が。

「ソル、ソル……」

 リアンは名を呼ぶしか、できなかった。けれど呼ばれた方はそれだけで満足だとばかりに、にっこりと紅玉の色の目を細める。

「よかっただ。守れて」

 顔だけを振り向かせてそう言う、ソルの顔が、炎によって崩れていく。リアンははっとし、ダートを発動した。けれど、土塊の体はぼろぼろと崩れるばかりで、ふと、リアンは自分が発動しているダートが冷気ではなく熱気を操っていることに気づいた。


 なんでだ。なんで、なんで。これじゃ、火を消せない。火の熱を消せても、ソルを蝕む炎が消せない。

 止まれ、熱気のダート。発動して、冷気のダート。


 祈りを込めてソルに手を伸ばすが、リアンの手から、冷気が生まれることはなかった。触れた土塊の体はひんやりと冷たい。

 すっ、と大きな土色の手がリアンの頬を撫でる。見上げれば、ソルがこちらに体ごと振り向いていて、武骨な手でリアンを優しく撫でていた。

 撫でる手の手首には一筋の銀糸。それが僅かながら、冷気を発している。

「それ……」

「ああ、覚えてるだか? リアンとの契りの証だ」

「うん……」

 リアンはその銀糸に——アミの契りの際にアミドソルの土塊と交換した自らの髪に手を伸ばした。

 よく馴染んだ、冷気が流れ込んでくる。


 そう、冷気はこうやって使うんだ。


 混乱から立ち直り、冷気の使い方を思い出した少年は、生み出した白い靄を広げていく。ソルを覆っていた炎を掻き消していく。

「よかっただ、よかっただ。焼かれたのがおらで」

「ソル、そんな」

 そんなことを言わないで、と言いかけた言葉を、リアンは飲み込んだ。

 ソルの体がぼろぼろと崩れていく。それはおさまっていなかった。冷気のダートが発動したのが、どうしようもなく、遅すぎた。

 目も、片方はもうない。リアンを撫でるのと逆の手も、既に完全に消えていた。

「悲しい顔するなだ。おら、リアンが守れて嬉しいだ。リアンが契りを守ってくれでで嬉しかっただ」

 赤い目が、消えていく。巨体が崩れていく。見上げる先にあった顔が、もうない。

「ソル、ソル、ソル!」

 リアンは冷気でその崩壊を押し留めようとする。しかし、まだ原形を留めたままの友の腕がリアンの手を優しく払う。

「おらは、土に還るだ。でもまた、土から生まれるだ。土の民として」

 もう、顔はないのに、ソルの言葉が伝わってきた。肌に触れた腕から、温もりを纏って。

「そう時間のかかることでないだ。そうして、またリアンに会うだ。一緒に森を守るだ、土の友として」

「うん、うん……」

 胴体が消え、両の足も土へと消えるソル。不思議なことにリアンに触れた腕だけがまだ残る。——けれどそれも、そう長くは保たない。

「だから、リアン」

 付け根からぼろぼろと崩れ始めるソルの腕。そこから最後の温もりが——最期の言葉が伝わってくる。

「それまでこの森を頼む、だ……」

「うん」

 リアンがはっきりと答えると同時、ソルの腕は消えた。

 そこには一筋の銀糸だけが残った。






 アミ・ド・ソル。土の友。

 友との契りを重んじる者は、ただ一筋の銀糸を残して、消えた。







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