氷色の少年は黒髪を垂らした碧の賢者に翻弄されていた。
風の賢者──そう呼ばれる高位の魔法使いがいることを噂には聞いていたが、実際相手にするとかなり手強い。
リアンは無表情のまま氷の太刀を振るおうと、接近する。彼は珍しく冷気を辺りに広げずに戦っていた。
冷気を操り、氷の礫を生み出す、冷気の靄で視界を遮り奇襲、空気中の水分を固めた氷壁といったリアンの戦闘方法はリュゼの鎌鼬によってことごとく無効化されていたためだ。
故に武器は太刀一つ。
冷気のダートはほとんど完全に封じられていた。それゆえの諦めの策に見えた。
しかしむしろ、その方がリアンは強かった。
氷の太刀のみが冷気を纏う。凝縮され、注ぎ込まれたダートの影響か、剣はいっそう鋭さを増しているようだ。それはリアン自身も同じだった。目に見えないはずの鎌鼬をひらりひらりとかわす。動きが先程よりいい。それはリュゼの鎌鼬に慣れてきたというのもあるが、ダートの力が身体強化に集中されているからだろう。徐々にリュゼとの間合いを詰める。
リュゼは風よ、と唱えただけで風を操ることのできるかなり高位の魔法使いだが、リアンはそれをものともしない。
無表情で冷たい──氷色の顔が、リュゼに迫る。
「風よ、切り裂け!」
眼前まで迫った顔に、リュゼは慌てて唱える。その詠唱に従い、鎌鼬はリュゼが掲げた腕に発生し、氷の少年を屠ろうと牙を剥く。
カインッ
──しかし、先程までは手も足も出ず、避けるだけだった彼は風の刃をその太刀で弾いた。
「なっ!?」
リュゼが止められた自らの腕を見、驚愕する。
リアンが止めたのは、正確には氷と化した鎌鼬だ。
この子、あたしが鎌鼬を纏うことを見越して、冷気を鎌鼬に──?
常人業ではなかった。リアンは鎌鼬の周辺の空気を凍らせて、鎌鼬に形を持たせたのだ。しかもリュゼが魔法を使うのとタイミングを合わせて。つまりは風の動きを読んでいたのだ。
リアンは温度を操るダートの使い手。風に冷気を微かに纏わせて、その揺らぎで鎌鼬の発生を知覚した。なんでもないことのような無表情でとんでもないことをしている。
弾かれ、飛ばされながらリュゼは信じられない、と呟く。
接近し、自分で防がなければならない状況を作るというのは剣士が魔法使いと戦う上での鉄則。しかし、リュゼくらいの高位の魔法使いは己が体に魔法を纏わし、近接戦を行うこともできる。実際、彼女は仲間であるリヴァルとでも対等に渡り合えるほどの使い手なのだ。
ところが今回は、それを逆手にとられた。
なんという即断力と判断力──冷や汗がたらり、リュゼの白い頬を伝う。
本当にリヴァルより強い人間がいるなんて──自然、彼女は畏敬の眼差しを向けていた。
流麗な彼女のそんな眼差しを受けても尚、リアンは無表情だった。いつの間にか柄先から刃は消えている。リアンは柄のみとなった剣を手の中で回し、無表情のまま、それをリュゼのこめかみに打ち付ける。
リュゼは脳を揺らす振動と痛みに意識を手放した。
思ったより時間を食ってしまった。
表情こそないが、リアンは舌打ちをしたいような気分で森を駆けていた。ダートの全力発動で風よりも速く駆け抜ける。
目指すは黒煙の立ち上るケセド方面。
「ソル……!」
無事でいてくれ。
祈りを込めて友の名を口にしながら、白い残像を残して走った。
ケセドの森では、土塊の巨体に赤い目を持つアミドソルが橙の炎のような髪を持つ少年と対峙していた。
「お前、魔王ノワール四天王の、アミドソルだな?」
瞳に焔を灯した少年がすらりと双つ剣を抜き放ち、問いかけた。
敵意と殺意のこもった視線を受けながらも揺らぐことなく、土塊の巨人は頷いた。威風堂々たるその姿勢はまさに四天王の名に相応しい。
「ノワールの元にいると聞いていたけど……まあいい。ここで倒したって変わらない」
まるで簡単に倒せると侮っているかのようなリヴァルの言葉に、ソルの瞳に剣呑な光が宿る。
「勇者、お前にこの森は焼かせないだ」
アミドソルは自分の半分ほどしかない勇者──リヴァルを見下ろし、のしり、と一歩踏み出し、仁王立ちする。
短い宣戦布告のやりとりを終えたリヴァルはダートを発動する。手にした双剣を炎が舐める。それと同時に穏やかな橙だったリヴァルの髪は紅蓮に燃え立つ。
その変貌を目にしたアミドソルの目にも穏やかならざる色が灯る。剣呑な威嚇だけの先程とはまるで違う、闘志に満ちた眼光。二対の闘気が交わり──それが戦闘開始の合図となった。
「たぁっ」
先手必勝とばかりに間合いを詰めたリヴァルが焔の剣を振るう。悠然と立ち塞がるソルは炎を纏うその剣を羽虫でも払うかのように払いのける。
空中に飛び上がった状態で態勢を崩されたリヴァルは地面に叩きつけられる。純粋な腕力でこの土の民に敵う者はいない。
けれどリヴァルが諦めることはない。何故なら彼は勇者という宿命を背負っているから。魔王を、魔物を倒し、必ずセフィロートの危機を救ってみせる! ──その思いは建前などではない。
赤茶色の瞳に闘志を燃やし、紅蓮の勇者は再度巨人に飛びかかる。今度は少しダートの炎を先行させた。土塊の巨人は少し目をしかめたが、それだけだ。結果は先刻と同じ。リヴァルが吹き飛ばされ、木にぶつかる。
アミドソルは依然、超然とそこに立っているが、そこそこのダメージを受けていた。彼の土塊の体は木ほどではないにしろ炎には弱いのだ。剣の攻撃は針でつつかれている程度の感覚しかないが、炎を受けるのはあまりよくない。
避けようと思えば避けられる攻撃だが、アミドソルにはそれができない理由があった。彼の後ろには大樹があるのだ。
この地に古くから住まう土の民は闇の女神ディーヴァを奉っているが、森の神とも呼べるセフィロート一の大樹も信仰していた。
だから、ノワールの元で戦うこともこの大樹を守ることもアミドソルにとっては同等に大切なことなのだ。
それに、フェイに何かあれば、リアンが悲しむだ。
契りを結んだ友のため──だからアミドソルはそこから退かない。
森に仇なそうとする勇者を見据える。
「おらはここを守るだ。お前が何度その剣で刺したって、おらは退かねぇだ。おらの故郷を焼こうとするやつを、おらは許さねぇだ!」
高らかに太い声で告げるアミドソル。その言葉にリヴァルの肩がぴくりと跳ね、一瞬、闘志も殺気も敵意も皆、消え失せる。
虚をつかれたものの、アミドソルは土魔法の詠唱を始める。一時の惑いは命取り。どちらかというと戦士タイプのアミドソルは魔法の詠唱には長けていない。だから、使うなら一刹那とて無駄にできない。
感情が消えたと思われた一瞬の後、リヴァルを中心に轟音を立てて火柱が上がる。それは一撃でリアンが張っていった氷壁を砕き、いくつかの木を焼く。
黒い煙が立ち込め、リヴァルもソルも互いの姿が見えなくなる。
火柱の数瞬後、ソルの詠唱が終わる。
「母なる大地、我らを成す土よ、森を守る盾となれ」
ソルは言の葉を唱え、地面に片方の手をつく。詠唱を察知したリヴァルの攻撃を仕掛けてきたがもう遅い。
ゴゴゴ
ものものしい音を立てて、辺り一帯に土壁が生まれる。リアンの氷壁ほどの広さはないがソルが暴れるには充分だ。それに守るべき木々は壁の外。これでリヴァルの炎も怖くない。
難点があるとすれば、リアンが救援に来たとしても、壁を砕かなければ入って来られないことだろう。
それはいい。彼は土の民一の戦士にして魔王四天王の一人。勇者に負ける気などてんでありはしない。
自分の半分ほどしかない少年の体を土壁に叩きつけ、アミドソルは不敵に言った。
「これで好きに暴れられるだ。さあ、かかってこい、勇者!」
「魔物があぁぁぁぁぁぁっ!!」
にぃ、と口角を吊り上げて放たれた挑発に、リヴァルは、焔の剣を振り上げて跳んだ。
ソルは巨体から抱く印象とはかけ離れた俊敏な動きでリヴァルの繰り出す炎を避ける。
これまでの動きは確かに手加減をしていたようだ。リヴァルはちっと舌打ちをした。肌でびりびりと感じる闘気と敵意。容赦なく打ち出される拳はリヴァルの体より大きく重い。叩きつけられて実感する。近接戦闘ではこの魔物には敵わない。
リヴァルは片方の剣から竜の形に変化させた炎をソルに向かわせる。もう片方はソルの攻撃を警戒し、油断なく構えられている。
ソルはリヴァルが操る炎の竜を避けつつ、再び詠唱を始めるほどの余裕を見せていた。
今度は先程より短いため、すぐに発動する。
「母なる大地よ、我に力を」
その詠唱で生まれた魔法は仄かに光り、ソルの体を包んだ。
すると、ソルはそれまで避け続けていた炎の竜をおもむろに鷲掴み、ひしゃあっ、とその武骨な手で竜を引き千切る。土属性は炎に弱いはずなのだが、全くそれを意に介していないような力業。シャアァァッ、と悲鳴のようなものを上げて竜が消える。
「土魔法の身体強化か!」
一種凶悪にも見えるソルの反撃を、リヴァルはそう断じた。
ソルが発動したのはまさにリヴァルが舌打ちしながら呟いたそのとおりである。
土の民が[恩恵]と呼ぶこの魔法は、土の体を持つ者にのみしか作用しない。ただし、土の体を持つ者には凄まじい身体能力を得られる。ただでさえ土の民一の強さを誇るソルである。その者が[恩恵]を受ければ、その強さは推してはかるまでもない。
元々の屈強な体と[恩恵]による身体強化。それがソルが魔王四天王たる所以でもある。
炎の竜をあっさり屠られ、攻めあぐねるリヴァルにソルは好戦的な目線を向ける。
「もう終わりだか? 勇者。だらば、今度はおらの番だ」
言うなり、ソルはその岩ほどはあろうかという拳を地面に叩きつける。
リヴァルは何も構えを取る間もなく、平衡が保てないほどの激しい震動に襲われる。ソルは何の詠唱もしていないし、ダートの使い手でもない。つまり純粋な腕力のみでこの震動を起こしたのだ。
それだけではない。土壁から巨大な土塊が飛び出してくるというおまけつき。丁寧な詠唱によって生み出された土属性の魔法空間はもはやソルの意のままである。
「ぐっ」
リヴァルはダートを放ち、自分に飛んでくる土塊を燃やす。やはり土塊は炎に弱く、容易く塵となって消えた。
「甘いだな!」
直後、真後ろからソルの声が聞こえる。土塊たちは目眩まし。図体の大きさに反して俊敏に動けるソルには一瞬もあれば死角を取るには充分すぎた。太い腕が振り上げられ、リヴァルを潰そうとする。リヴァルは慌てて飛び退いた。
空を切った拳は再び地面を揺さぶる。土塊が礫となってリヴァルに襲いかかるのを、リヴァルは炎のダートで焼いて対処する。
その対処を見て、ソルは獰猛な赤い目をつう、と細めた。
「まだまだだな」
ソルが冷たく宣告する。
「おらにはお前が勇者だとはとても信じられねぇだ……」
間を取るために退くリヴァルを追撃はせず、アミドソルは呟く。
「おらはダートの使い手ではねぇだ。んでも、戦いの心得として見るなら、魔法もダートも、そう変わらねぇ。お前は戦闘において、ダートの使い方がなっちゃいねぇ。攻撃が単純、単調で相性の悪い属性のおらにすら簡単にあしらわれる……んなごどで勇者を名乗るだ? 冗談も休み休み言え。
お前なんかより、リアンの方が強いだ」
「……!」
ギリ、と歯ぎしりの音がしたかと思うと、再びリヴァルの激情が鎮まる。
まさしく、嵐の前の静けさ。ソルは先刻の出来事を想起し、火柱対策として土壁に[恩恵]でいつもより増した魔力を贈り、万全を期す。挑発のためにあんなことを言ったし、リアンの方が強いのは事実だと思うが、油断はしない。
しかし、直後に爆発したリヴァルのダートは想像を絶する規模だった。
[恩恵]で通常より遥かに強固となった壁がソルの体もろとも炎に食い破られる──そんな結末を予期するのに時間など必要ないほどの爆発、もしくは暴発とも言えるかもしれない。
リヴァルの激情に任せた炎のダートの奔流がソルの土塊の体を飲み込もうとしたそのとき
「ソルッ!!」