今回は、私が患っている『子宮内膜症』の話をしようと思う。
私に初潮がやってきたのは、中学校一年生の冬だった。学校に行く前にトイレに行くと、下着に血がついていたのだ。その時は痛みも何もなかった。母の初潮が十七歳だったので、私も遅いだろうと思っていたのだが、意外と早くやってきた。一番喜んでくれたのは、母親のように私を育ててくれた父方の祖母だった。そして父親の一言。
「避妊はせぇよ」
最低である。
結論から言うと、私の生理痛はかなり酷かった。出血量は中の上。かろうじて、オムツ型のナプキンを履かなくてもいい量だった。そして前回の話で一度、過換気症候群になったことを話したが、それ以降、生理痛が酷いと過換気症候群を発症するようになってしまう。学校、バイト、仕事に支障をきたしながら、「病気じゃないんだから」と耐えてきた。
生理痛は重かったし、量も多い方だったが、生理周期は恐ろしいほど規則的だった。またもや母親の話になるが、母親が生理不順だったので私も同じかと思っていたのだが、ずれてせいぜい二、三日だった。
だというのに、二十六歳頃から、周期が遅れるようになる。それと比例して、起き上がれないほど生理痛が重くなり、仕事を休まざる得なくなった。同僚に相談したこともあったのだが、「その程度の痛みじゃ、痛み止めすらもらえないから、病院に行っても無駄」と言われた。それまで一度も産婦人科に行ったことがなかった私は、それを免罪符のようにして、頑なに病院の受診を拒んだ。そして、周期が十日以上ずれるようになった頃。
「もともと規則的だったのに、そんなに周期がずれるんなら、一度病院で診てもらった方がええと思いますよ」
パートの歯科助手さんに言われ、私はようやく重い腰を上げた。その頃には、四六時中下腹部が痛み、痛み止めが効かなくなっていた。
「産婦人科の予約はしたけど、一応、胃腸科肛門科も受診してみようかな」
万年酷い便秘に悩まされていた私は、腸の病気かもしれないと、先に胃腸科肛門科を受診した。すると、
「骨盤の内側が痛む場合は、生殖器に異常があることが多いです」
と医師に言われてしまう。胃腸に問題のなかった私は、渋々、産婦人科を受診する。産婦人科で症状を伝え、内視鏡検査を受けることに。
「まさか、病気じゃないじゃろう。Dちゃんが産婦人科を受診した時は、『排卵の時に卵巣が弱冠腫れるから、そのせいで痛い』って言われたらしいし。私もおんなじじゃろうな」
そう笑っていたのに。
「あー。右の卵巣にチョコレート嚢腫ができとるね。子宮内膜症じゃあ。不妊になるじゃろうけど、まだ手術するほどじゃないけえ、ホルモン剤を服用してもらおうかな」
「――え?」
産婦人科医は、淡々とそう言い、私は混乱したままホルモン剤を処方され、帰路につく。
「……卵巣に腫瘍? 不妊になるって……私、まだ結婚もしとらんのに? 子宮内膜症ってなんなん?」
当時、彼氏と同棲していたが、性交痛が酷いせいでセックスレスになって長かった。そして、自分の育ってきた環境のこともあり、結婚することがあっても子どもは作りたくないと思っていた。けれど、いざ、卵巣に腫瘍がある、不妊症になる、と告げられたら、大きなショックを受けてしまった。
私は泣きながら彼氏――現在の主人に電話した。
同棲期間が長くなり、セックスレスが続くようになってから、結婚や出産について喧嘩することが多くなっていた私たちだったが、私が不妊症になってしまったと告げると、その日のうちにプロポーズされた。
そうして結婚し、今現在に至る。子どもはいない。セックスレスも継続中。しかし、離婚の兆しはない。
「今どき、子宮内膜症にかかる人なんて珍しくないんじゃけえさ」
そう言われたこともあるが、罹らない人もいる中で、何故、私が苦しまなければならないのだろう? と思った。
今は痛み止め依存になり、日に日に卵巣痛が悪化してきている。腫瘍マーカー値が高かったので、ガンになる前にチョコレート嚢腫を摘出した方がいいと言われた。
子どもはいらない。でも、女として、完全に生殖能力を失うのは嫌だ。
そんな思いで、手術を受けられずにいる。
蛇足だが、父方の祖母も子宮内膜症を患い、二十代の頃に卵巣と子宮を全摘出している。