目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報
第7話 Yちゃんは神様

 そうだ。これを書くのを忘れていた。皆さんは、どうやって文字を書くことや、文字を読むことを覚えただろうか? 私はどちらも、保育園の友達・Yちゃんに教えてもらった。だから、私が今、こうしてエッセイや小説を書けているのは、全てYちゃんのおかげと言える。計算も漢字もカタカナも教えてもらった。一番最初に教えてもらったのは、ひらがなで自分の名前を書くことだった。『あ』が難しくてなかなか上手く書けなかったのだが、根気よく教えてくれた。今でも感謝している。


 一般家庭ではどうなのか知らないが、物心がついて自分でいろいろ出来るようになってからは、全て一人でやらされた。3〜4歳で一人でお風呂に入り、歯を磨き、髪をくくる。もちろん爪なんか切ってもらえないので自分で切る。……深爪ばかりで痛かった思い出がある。……これは『普通』だったのだろうか? 大人でも歯磨きが上手くできなくて虫歯になるのだ。幼児が一人で歯を磨くと、虫歯ができて、歯肉炎になるに決まっている。髪の毛だってフケがでていたし、身体だって洗い残しがある。特に脇とか背中、足の裏だ。ちゃんとできていないと、母に怒鳴られていた。「なんでこんなこともできんのんよ!?」と。……蛇足だが、母は17歳まで父親と一緒にお風呂に入っていたらしい。初潮が遅かったのも理由の一つだろうが、そんな母が何故、私のことは放っておいたのだろうか? 今は絶縁状態だし、大人になってからも理由を聞くことはできなかった。


 親が子どもの爪を切り、一緒に入浴して身体と髪を洗ってあげ、歯磨きの仕上げ磨きをする。……そういうものなのか。と衝撃を受けたのは、母が弟に甲斐甲斐しく世話を焼いていたのを見たからだ。(たまには一緒にお風呂に入ってくれたが、怒られながらの入浴だった)。


 シャンプー&リンス事件は、たまたま父と一緒に入浴していただけだった。証拠がないのにボコ殴りにされたけどね!


 頭痛で苦しんでいる時、母は決まって「眼が悪いのに本ばっか読みょうるけぇじゃ!」と言ってきていたが……自分が教えたわけでもない文字を、何故私が読めるのか、不思議に思わなかったのだろうか? 私が通っていたのは保育園だ。厚生労働省の管轄である。子供を預かって、絵本の読み聞かせや手遊び、外の遊具で遊び、歌を歌ってご飯を食べて寝る(昼寝の時間)。そして目覚めるとおやつの時間、お迎えである。……どこに勉強する時間があった? 母は、私が本を読めるのも、字を書けるのも、簡単な足し算・引き算が出来るのも、全て保育所の先生がしてくれているとおもったのだろうか? 我が両親は大馬鹿ものである。今の底辺作家アナマチアが存在しているのは、全てYちゃんの指導の賜物だというのに。


 そして弟には、前述した通り甲斐甲斐しく世話をやき、知育玩具を買い与えたり、絵を教えたり、文字や計算も教えていたのだから、たまったものではない。そしてその役目は、私にも回ってくる。……私は一人でやってきたし、遊びの時間を犠牲にしてYちゃんが字と計算を教えてくれたのに。私は不服でならなかった。だが、ここで提案をのまなければ、父に「おめえはねえちゃんじゃろうが!」と怒鳴り、頭を叩かれ、引きずり回されるので、大人しく教えたのだが。その時の父と母の「弟くんは天才じゃなぁ〜」「おお、ようできとるが!」と弟をべた褒めする両親を見て、初めて殺意を抱いた瞬間だった。


 蛇足だが、私は絵を描いていて、何度も賞をとったし、褒められてきた。大きくなってからは同人誌も描いていた。どうやって絵を書くことを覚えたのか?……模写である。塗り絵の線画を何度も何度も模写して描いているうちに、絵が上達した。


 近所のおばちゃん連中に、「どうやったらそんなええ子に育つん?」と聞かれ、母は毎回、「なんもしとらんのよ〜。ほっといたらこうなっとったんよ〜」と自慢げに話していたが。全くその通りである。ネグレクトの末、私は回りの友達に助けられ、時には自分の力で様々なことを学んだのだから。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?