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第6話 弟の誕生・戒め

 母は妊娠後期、妊娠中毒症――今で言う『妊娠高血圧症候群』を発症し、出産まで入院することになった。父はほとんど家にいないので、私の面倒を見るために祖母が来てくれた。その間、私はストレスと暴力・ネグレクトから解放される。――『アナマチアの為に再婚する』なんて言わずに、田舎の祖父母宅で生きていきたかった。


 私のことを厭い、「頼むけぇ、その子を堕ろしてくれんか」と言っていたらしい祖母だが、自分が女児を産めなかったこともあり、私が誕生すると見事に手のひらを返して可愛がってくれた。祖母の口癖は、「アナちゃんの為なら、火の中水の中〜♪」である。……祖母には本当に可愛がってもらった。なので、父が母と再婚して私を連れて出て行くと言った時、「ばあちゃんとじいちゃんが、アナちゃんを養女にする!」とかなり揉めたそうだ。本当に甘やかされていたので、あのまま養女になっていたら、今の私はいなかったであろう。我儘で嘘つきでこまっしゃくれた人間に育っていたはずだ。……それでも、とても幸せな日々を送れたのではないかと思っている。


 私が祖父母の元を離れる条件として、私は4歳からモダンバレエを習うことになった。ある日、バレエを見に連れていかれ、「アナちゃん。キレイなおべべじゃろう? バレエをなろうたら、あのおべべが着れるんで?」という誘惑され、私は「うち、バレエならう〜!」と言ってしまった。それから私は、足を怪我してトウシューズで立てなくなる17歳(ほぼ18歳)まで、バレエを習い続けていた。バレエ教室の月謝はクソ高いので、ずっと祖母が支払ってくれていた。大変だっだろう。だが、祖母は娘同然の孫が自分の願い通りにバレエを踊る姿に満足し、毎年開かれる発表会に来ては、花籠を持ってきてくれ幸せそうに笑っていたので、バレエを習って良かったと思う。楽しかったしね。


 さて。話は戻り、安産で弟が誕生した。ここから、弟が贔屓されて育っていく未来が待っているのだが、その原因となったのは、私が誕生した時とあまりにも状況が違いすぎたからではないかと思っている。


 弟は、父と母が「男の子が欲しい」と思って作った子供で、父は弟の出産の現場に居て新生児の弟を抱いた(幸せそうな写真が残っている)。そして母は、一番可愛い時期である、新生児から幼児になるまで、弟の面倒をしっかりつとめあげた。……これで、弟のことを愛さないはずがない。私は今でも、このことがコンプレックスである。


 無事に弟がアパートに帰還し、一時、我が家は幸せに満ち溢れていた。……私を除いてだが。そして、その不満と、弟が私のおもちゃを壊したことがきっかけとなり、私は弟の頭を叩いてしまったのだ(これはしたらアカン)。父に叩かれて育った私は、気に入らない相手には手を上げていいと思っていたのだ。そして当然のことながら、私は父から激しい暴力を受けることになる。『弟を泣かしたら殺されてしまう』と思った私は、この一度の暴力から、二度と弟に手を上げなかった。しかし私は、弟にも暴力を振るわれることになる(なんでやねん)。それでも、やり返すことは一度もなかった。父の戒めという名の暴力は、見事に私のトラウマになったのである。

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