次の記憶は、知らない女の人の家でイタズラをしているところから始まる。広い家で数人の大人に笑われながら、真っ赤な口紅で窓ガラスに落書きをしているのだ。普段の父なら迷わず私をぶっ叩いていただろうが、何故か「おい、おめぇ、そんなんしたらいけんじゃろうが」と笑って見ている。あとから知ったのだが、その家は当時の彼女さんの自宅だったらしい。どうりで猫をかぶっていたわけだ。
だが、結局その彼女さんとは別れたらしく、二度と私の記憶の中に現れることはなかった。そして何人かの女性の記憶を経て(どんだけ女がいるんだ)、とある女性を「ママだよ」と紹介される。……そう。実の母親の登場である。どうして復縁することになったのか、詳しい事情は知らないのだが、やはり子どもの為には本当の母親と子育てをしたほうがいいという結論に至ったようだ。のちのちその選択が私にとって凶となるのだが、今は割愛させてもらう。
さて。私が2歳になるかならないかで母と再婚した父だったが、そのおかげで発覚したことがある。それは、私の片目が殆ど見えていないという事実だ。何故そのことに今更気づいたのかというと、母が私を外祖母に会わせた時、「この子。目が悪いんじゃない?」と言われたことがきっかけだった。当時の私は、しょっちゅう階段を踏み外して怪我をし、テレビや本をゼロ距離で見て父に叩かれ、物を受け取り損ねては父に「ぐしぃガキじゃのう」と言われて殴られていた。――そう。私は決して、ぐしい=まぬけな子どもではなく、先天性の視力障害を持った子どもだったのである。
当時の写真に写る私の挙動を見れば、「この子なんだか変だぞ?」と気づきそうなものだが、なんと父方の人間は誰一人として不思議に思わなかったのだ。……とんだ殴られ損である。
めでたく(?)、母に連れられて大学病院を受診した私に告げられた病名は、先天性弱視(遠視のロービジョン)だった。どんな病気なのだろう? と思った方は是非、検索してみて欲しい(説明しろ)。――とにかく、生まれつき目が悪く、治療(矯正)が必要だった私だが、結論から言うと視力はほとんど戻らなかった。厄介なことに、眼鏡やコンタクト、手術で視力回復は望めない病気なのだが、障害者認定される程ではないし、失明する病気でもなかったので幸いだった。今のところ、右目の視力が頑張ってくれており、車の免許は取れるし(両眼で0.7以上、片眼それぞれで0.3以上)、眼鏡をかければこうして文章も打てる。……ただし、なんらかの事故や病気で右目の視力が失われれば、私はこうして文字を打てなくなってしまう。私の右目よ。ずっと無事でいてくれ(切実)。
さて。私の目の治療が開始され、母とも再婚したことで、父は実家を離れることにしたらしい。私の次の記憶は、白い壁と赤い屋根のボロいアパートに引っ越したところから始まる。
引っ越し当時、私はこまっしゃくれた子どもだった。父の実家は田舎にあり、小学校まで徒歩1時間以上かかるような場所にあったため、私は同年代の子どもと触れ合う機会がなく、大人(ほぼお年寄り)としか接したことがなかった。そして日常的に父から暴力を受けていたせいか、叱られるのを回避する手段として、『嘘をついて誤魔化す』という姑息な手段を身につけていた。そんな私(当時3歳)に友達が作れるはずもなく、「一緒に遊ぼう」という言葉すら知らなかった私は、子どもたちの気を引くために「パパは警察官なんじゃけえ!」という嘘をついて、見事に忌避されることになる。自業自得だが、このあとすぐにある事件が起きて、私は「二度と嘘はつかない」と子どもながらに決心し、子どもたちにも謝罪の手紙を書き、めでたく友達の輪に入ることができた。――その事件とはなにか? ……それは次の回で語るとしよう。