注:『堕胎』という言葉が出てきます。気分が悪くなる方は注意して下さい。
私が朝目覚めて一番最初に思うこと。それは、「今日も生きなければならないのか」である。……いきなりネガティブは発言をしてしまって申し訳ないが、これはまごうことなき本心なのだ。
何故、こんな風に考える人間になったのか。それは私の生まれた経緯や、生まれ育った環境が関係している。
しかし、私と同じような環境で育った人間の中には、健全な精神と肉体を持って、生を謳歌している者も多いと思う。だが、私はそうなれなかったし、なりたいとも思っていない。なので、説教やおせっかいな気遣いは不要だ。
私という人間を語るには、私がこの世に誕生する前に何が起こったのか、それを話さなければならない。……生まれてもいないのに、何故、産前の話を知っているのか。世の中には、幼児相手に、残酷な話を喜んで話して聞かせる狂った大人がいるのだ。
完結に言うと、私は『生まれてくる筈がなかった子ども』である。もっと完結に言えば、私は『堕胎される筈だった子ども』である。それも、大金を積まれて。
このエッセイは、あくまでも『私』について赤裸々に告白していく作品なので、私の両親がグレた経緯や背景は省略させてもらう。まあ、それを書いたところで、なんの面白味もなく、私が不快な気分になるだけなのでスルーさせて欲しい。
さて。ようやく本題の私が生まれる前に起こった事件。名付けて、『金ならいくらでもやるから堕胎してくれ』事件だ。……センスがない? 言われなくても知っている。
私の父は当時十八歳、母は十九歳であった。なんと、交際してたったの三ヶ月で『私』を身ごもってしまった。今の時代、不妊症で悩んでいる夫婦は多いというのに、良く短期間で妊娠できたね! と拍手を送りたい。……さて、冗談は置いておき、話の続きに戻る。
当時、父は高校を中退して働いており、母はとある専門学校に通っていた。そして二人は十代の子どもだった。ここらへんの詳しい話は知らないが、父と母は妊娠を喜んだようだ。大した稼ぎもない、しかも片方は親の世話になっているくせに、よく喜べたと思う。私なら愕然とするだろう。「専門学校どうしよう!?」とか思うはずだ。……多分。
何故か能天気に妊娠を喜ぶ二人を現実に引き戻したのは、バリバリのキャリアウーマンだった父の母親――私の祖母である。普段は放ったらかしにしていても、やはり母親。若い息子の将来を心配したのだろう。アタッシュケースに大金を詰め込んで、「お願いだから、その赤ん坊を堕ろして下さい!」と、連日母の元に通ったらしい。もちろん父と母は反発する。この後の話で、「あ、あれぇ? この人、なんで私のこと生んだのぉ?」と首を傾げることになるのだが、この時の母は「生みます」の一点張りだったらしい。
そうしてなんやかんやあって、『大金を積まれて降ろされる筈だった赤ん坊』――私がこの世に爆誕したのである。……ちなみにこの時、父は友達と夜遊びに出ていて事故に会い、内臓破裂で救急搬送されていた。……馬鹿なの? この時、母の出産に立ち会ったのは、母の母親――私の外祖母である。そして蛇足だが、母は初産だったが、安産で出産できたらしい。よかったね。父方の人間が誰一人として立会に来なかったのは何故なのか――察して欲しい。
父と母の願い通り、この世に生を受けた私だったが、家族三人の幸せ(?)な生活は長く続かなかったのである。私は母親が必要な乳幼児の時に、母親に捨てられてしまったのだ。……こう書くと、なんだかものものしい感じがするが、要は両親が離婚したのだった。「私は絶対にこの子を生みます!」「俺も産ませたい!」という熱い説得をしたらしい父と母だったが……お前ら何があった? と赤ん坊の私はさぞや訊ねたかっただろう。
母と父が離婚した経緯について、はっきりとした真実を私は知らない。母が男と浮気した、とか。母が義祖母と義祖父にいびられて耐えれなくなった、とか。私は父に引き取られたので、離婚したのは母が原因である、と教えられた。そして、私が父に引き取られた経緯にも論争があって。赤ん坊の私を父がさらっていった、とかなんとか。でも私は、母が私に会いに来てくれた幼児期の記憶を持たない。本当に赤ん坊を奪われたのなら、奪い返しにくればいいんじゃないの? と思ってしまうのだが……まあ、ぶっちゃけ私のことはどうでも良かったんじゃないかと思う。
そしてここから、ようやく私の記憶が浮かび上がってくる。私は、ストローがさしてあるマグカップを父の手から「こぼすなよ」と言われ、受け取ろうとして、マグカップを受取り損ねてしまう。何故受け取れなかったのか、しっかりとした理由があるのだが、今は割愛させてもらおう。「あ(やっちゃった)」と思った次の瞬間、父の強烈な平手打ちが私の左頬に打ち込まれ、私はギャン泣きする。ちなみに身体は吹っ飛んだ。「ごえんあさい〜、ごえんあさいぃ〜」と謝り続けるのだが許してもらえない。
「おめぇはバカか! 落とすなっつったじゃろうが! ぐしぃガキじゃのう、おめぇは。――こっちけえ!」
と言われて、観音扉のクローゼットの中に閉じ込められる。
クローゼットの中は真っ暗で、服がぎゅうぎゅうに入れてあって呼吸がしにくい。そして唯一の灯りは、観音扉の一ミリも無い隙間から挿し込む光だけ。私は、その隙間から必死に外を覗いて、手が痛くなるまで扉を叩いた。
「ごえんあさい! ごえんあさい! もうしあせん! ごえんあさい! ここからあしてくださいぃ〜〜!」
しかし、扉は開かないし、人の気配もしない。私の記憶は、そこで消えてしまっている。……大人になって、父に訊ねると、五分程しか閉じ込められていなかったらしい。私は半日閉じ込められていた感覚がしたのだが。
父のお陰(?)で、私は暗闇と狭くて閉め切られた場所が苦手になった。こういうのを『トラウマ』と言うのだろうか? よく、分からない。
これにて、生を受けて初めての記憶の回を終わりたいと思う。