ひとりの寂しさを忘れるため、カレンはより一層魔法の訓練に打ち込んだ。毎日限界まで魔法を使い、気絶するように眠りにつく。
そうすることで余計なことを考えないようにしていた。
その日も朝早くから訓練しようと部屋を出たところで、ロニーが影からニュッと現れる。
「あ、カレ――」
「!」
カレンはすぐに全身に雷魔法をまとわせ、淡い紫の光はバチバチと火花を散らし、雷光の如き速さで移動した。
ほんの数秒で魔法訓練城に着き、カレンは「はあ……」とため息をつく。
ロニーは相変わらずカレンを追いかけ回そうとしていたが、雷魔法で瞬間的に移動して
(雷魔法を使えば一瞬でその場を離れられるから、最初からこうしておけばよかったわ)
相手が賢者だからと真面目に対応していたが、何度断っても、どう説明してもロニーはカレンに近づこうとする。
こうして接点をなくしたことで悩みはひとつ減ったが、ふとした瞬間にカレンの頭の中でロニーの言葉が甦った。
『いずれあいつはいなくなる』
(あ、また思い出しちゃった……魔法に集中しないと)
両手で紫に光る魔法陣を描き、上空へ向けたところで魔力の供給が途絶えて光が消えてしまう。
天候をも操るためカレンは魔法陣を使う練習をしているが、時折こうして中断してしまうのだ。
「はあ、少し休憩しようかな」
訓練場の隅にあるベンチに腰かけ、持ってきた水筒で喉を潤す。フルーツティーの
この水筒も魔道具で保温や保冷ができる優れ物だ。魔天城に来て最初に買った魔道具でもある。
(この魔道具をもらった時は嬉しかったな……)
ファウストと街へ買い物に行った時に見つけたのだが、魔道具ということもあり少々値が張ったのでカレンはあきらめた。
でも、次の日にファウストがこっそり買ってきてプレゼントしてくれたのだ。
(しかも私が欲しかった色まで把握してたのよね。ファウストはいつも私が本当に望むものをくれるわ……)
そう考えると、カレンが寂しがっていることもファウストは気が付いていそうだが、それ以上に魔道具の開発が忙しいということだろうか。
(ファウストも魔道具の開発で大変なんだから、私も自分のできることをやるだけよ)
カレンは立ち上がり、数歩前に出て再び両手に魔力を集める。
淡い紫に光に包まれた手のひらから魔法文字が浮かび上がり、魔法陣を形成しはじめた。いつ見ても綺麗で、不思議な光景だ。
少し休んだことで集中力が戻ったのか、今回の魔法陣はうまくできた。そのまま両手を上げると、魔法陣が手のひらから離れて上空に広がる。
一層強い光を発した魔法陣は、紫の雷光をバチバチと放ち雨雲を呼び寄せた。次第に訓練場が薄暗くなり、ゴロゴロゴロゴロと雷鳴が聞こえてくる。
カレンは意識を集中したまま、呟いた。
「ウィオラ・ベス・トニトルス」
途端に魔力を大きく持っていかれ、視界が暗くなっていく。
結婚式でサイラスに魔力を奪われた時と同じ感覚で、カレンは焦りを感じた。
(あっ、駄目。このままじゃ……)
魔法を中止しようとしたが間に合わず、カレンの意識は暗転した。
次にカレンが目を覚ましたのは、ファウストと暮らす部屋の自室のベッドだ。
(あれ……? 私、倒れたはずじゃ……)
「カレン……! よかった目が覚めた」
意識を取り戻したカレンの耳元で、求めていた夫の声が聞こえる。
夢なのかと思って何度も瞬きしたけれどギュッと包まれた右手は温かくて、目の前のファウストが本物だと気付かせてくれた。
ファウストの声は震えていて、金色の瞳が潤んで今にも泣き出しそうだ。
「あ……ファウスト、ごめんなさい。つい頑張りすぎたわ……」
「そうだね。どうやら寝不足が続いて魔力回復が追いついてなかったみたいだ。カレンが倒れたって聞いて、びっくりしたよ」
ファウストがカレンの手を握ったまま震える拳を口元に持っていく。まるでちゃんと生きているか確かめるように、カレンの手の甲に優しく長い口付けを落とした。
カレンの胸が歓喜と愛しさで、キューッと締めつけられる。
魔道具の開発で忙しいのに、ファウストがこうして駆けつけてくれたことが嬉しくてたまらない。
まだ大切に思っていると態度で示してくれたように感じて、カレンはこの手を離さないでほしいと思う。
「本当にごめんね。賢者になろうと必死で……」
実際は寂しさを紛らわすためだったけれど、これ以上ファウストに心配をかけたくなかった。
「なにも気にせず、今日はもう休んで」
「うん、ありがとう……」
ファウストの指が緩んで、カレンを手放そうとした。思わずギュッと握り返すと、ファウストは眉尻を下げて困ったように口を開く。
「どうしたの?」
ずっとそばにいてほしかった。
本当は寂しくて寂しくてたまらなかった。ファウストにとって、魔道具開発が大切なことはわかっている。
それでも、たまにはカレンを優先してほしかった。
ほんの少し早く帰ってくるだけでも、朝にいってらっしゃいと送り出すだけでも、わずかな時間で構わないから顔を見たかった。
「ねえ、ファウスト」
「なに?」
カレンが賢者になったら、この契約結婚は終わりを迎える。
少し前まではふたりの未来をなんの疑いもなく信じていたのに、今では不安で仕方がない。
だから――
「今だけは、そばにいてくれる……?」
「うん。そばにいるよ」
「そう……よかった……」
カレンは安心して、再び目を閉じた。
* * *
カレンが倒れたと知らせが入り、ファウストは心臓が凍りついた。
キアラは「今すぐ行け!」と言って、身動きできないファウストに喝を入れる。
すぐにカレンの居場所を聞き出し、魔法訓練場の医務室へと瞬間移動した。心臓がバクバクと嫌な音を立てている。
真っ白な顔で眠るカレンの顔を見た時、フラッシュバックに襲われた。
厳かな空気の大聖堂。サイラスと口付けをして倒れるカレン。王座を手にした邪悪な男。血に染まる城内。炎に包まれる王都。
恐る恐るカレンに触れると、その頬は冷え切っていたが、確かに命の息吹を感じた。
(よかった……生きてる。カレンは生きている……!)
ファウストは安堵からその場で膝をつく。
ほんの数分間だったが、生きた心地がしなかった。ファウストにとって、カレンは特別でかけがえのない存在だ。
たとえ自分がそばにいなくとも、彼女の幸せを願うほど愛してやまない、たったひとりの女性なのだ。
医師の診断では寝不足によって魔力の回復が追いつかないまま、特級魔法を使用したことによる魔力欠乏だと説明を受けた。
こんなになるまで魔法の訓練をしていたカレンに気付かなかったファウストは、自分の不甲斐なさに腹が立つ。
医師の許可が下りたので、ファウストは治癒魔法をカレンにかけて、部屋で寝かせるため転移魔法で移動した。
カレンの自室のベッドへ寝かせて、ベッドサイドに椅子を運ぼうとしたが、右腕が突然動かなくなる。
どんなに右腕に魔力を流しても義手まで伝わらない。ファウストの右腕が崩れて、装着口がずれてしまったようだ。
(また義手を作り直さないと……)
ファウストの右腕は以前より短くなっていて、今では肩の下までしかない。
正直、じわじわと身体が削られて、気が狂いそうだった。
でもファウストが正気を保っていられるのは、カレンがいるからだ。彼女に心配をかけまいと、義手や義足の魔道具開発を続けている。
それでも、開発が追いつかなくて何度も作り直し、その度に新たな義手や義足を馴染ませるのに多くの時間を費やした。
目指すのは、魔力を流したら自動で義手や義足が欠損部位に適合して、使用者が快適に過ごせるようにする魔道具だ。
これが完成すればファウストはもっとカレンのそばにいられるだろう。そのためまともに部屋へ戻ってこられず、カレンに寂しい思いをさせている。
だが、毎日少しずつ腕や足が崩れ、ファウストの身体がどこまで持つのかはわからない。
「いつまで、そばにいられるかな……」
こうなった原因はファウストにあるが、一度も後悔したことはなかった。
今も目の前で穏やかな寝息を立てるカレンが愛しくて、すべての敵から守りたいと思っている。
(カレンがこれ以上悲しまないように、最善を尽くすだけだ……)
ファウストの悲壮な決意は秘められたまま、ふたりの時間は静かな愛に満ちていた。