レイドルは決して心を開かないファウストに問いかける。もし、困っているなら全力で力になりたい、と思いをにじませた言葉はファウストにも確実に届いたはずだ。
グッと眉を寄せてファウストが項垂れる。なにかを必死にこらえるように、肩を震わせていた。
「ファウスト、貴方……なにを隠しているの? なにもかも話してくれたら、わたくしたちが力になるわ」
その苦悩を感じ取り、柔らかくなったサーシャの質問にもファウストは答えない。その態度に絶対的な拒絶を感じて、レイドルは
(どんな苦悩があったとしても、俺たちがなんとかするのに……)
しかし、ファウストの決意は固いようで、ようやく発した言葉はカレンのことだ。
「大丈夫。ただ……カレンのことを頼みたい」
レイドルはその言葉が悲しかった。
ファウストがこの魔天城になってきた時から、弟のように接してきた。当時はまだ魔導士だったレイドルは、ここでの暮らし方も、料理の作り方も、剣術や体術さえも教えてきた。
幼い頃に病で亡くなった黒髪の実弟と重ねていた部分もあったのかもしれない。でも、それだけじゃなく、仲間として後輩として大切に思っていることは変わらないのだ。
「ファウストが言うならカレンさんが困った時は俺が手を貸そう。でもな、なんでそんな発想になる? ファウストがそばにいればいいじゃないか」
「……それができたらいいけど」
「おい、どういうことだ?」
まるで、ファウストはここからいなくなると言っているように聞こえて、レイドルは噛みつく。
ファウストはそんなレイドルとサーシャの前で左手で右手首を掴み、無言で強く引っ張った。
そのまま勢いよく袖から右手の一部をズルッと引き出す。
その光景にサーシャとレイドルは息を呑んだ。ファウストが左手に持っているのは、精巧に作られた義手だった。
「このことはカレンには言わないでほしい。きっと負担になってしまうから」
「でも、なぜ、こんな……」
レイドルは言葉に詰まる。いつの間にファウストの身体が欠損していたのか。今からでもマージョリーに頼んでどうにかできないかと、瞬間的に対処方法を考える。
サーシャも同様なのか、無言のままファウストの義手を見つめていた。
「原因もわかってるし、それは僕が望んだことだから仕方ないんだ」
そう言って、ファウストは悲しそうにあきらめきった笑顔を浮かべる。これまでのファウストのセリフを考えると、やはりここから去るつもりなのだろうか、とレイドルは思う。
「サーシャ。もし、カレンが悲しむようなことがあったら、できる範囲で構わないから慰めてほしい」
「言われなくてもそうするけど……なにか解決方法があるはずよ」
「もし解決方法がなくても、片腕になったくらいで賢者を辞める必要はない。魔法が使えればなんの問題もないんだ」
すでに見切りをつけたファウストの言葉を打ち消すように、サーシャもレイドルも言葉を尽くした。
「……カレンが幸せなら、僕はそれでいい」
だが、レイドルたちの必死の言葉は覚悟を決めたファウストには決して届かない。
「あのね、カレンさんはファウストが義手になったくらいで、夫を捨てるような人間じゃないでしょう!」
「必要だった俺たちも義手の魔道具開発を――」
それでもあきらめきれないサーシャは、ファウストに希望を見出してほしくて言葉を続ける。
レイドルも義手の魔道具開発を全面的にバックアップすることまで考慮に入れつつ、ファウストを引き止めようとした。
だが、どんな言葉もファウストの心を動かすことはなく。
「ごめん、これ以上はもうなにも言わないでほしい。僕の決心が鈍るから」
ファウストはそう言ってレイドルたちに背を向ける。
もうなにを言われても聞き入れるつもりはないと、態度で示した。
「「…………」」
こんな決心をする前に、打ち明けてもらえなかったことが悔しくて悲しい。レイドルたちはなにも言えなくなり、静かにファウストの部屋を後にした。
そんなレイドルたちとファウストのやり取りを、影の中からこっそりと覗き見る者がいた。
* * *
レイドルとサーシャが出ていき、ファウストは再び扉に鍵をかけて部屋に不可侵と遮音の結界を張った。
「あのふたりを悲しませたな……でも、これでカレンはこれからも安全だ」
ファウストとて、賢者たちを大切な仲間だと思っている。
これまでたくさんの苦楽を乗り越え、背中を預けてきたのだ。特にレイドルには生きるためのさまざまなことを教えてもらい、返しきれない恩がある。
「でも、これだけは……」
大切な仲間だからこそ、心配をかけたくない。
むしろファウストに見切りをつけて突き放してくれたら、どれほど気持ちが楽になるだろう。
義手を元に戻し、ファウストはキアラと交わした会話を思い出した。
キアラの研究室で出来上がったばかりの義手を装着し、魔力を通して動作の確認をした時だった。
『これでどうだ?』
キアラの言葉で動きに問題がないかファウストは慎重に確かめる。手を握ったり開いたりして指先まで感覚があるかどうか、指をバラバラに動かしても滑らかに動くか、神経を研ぎ澄まして違和感を見逃さないようにした。
『うん、いいじゃないかな。違和感はないよ』
この義手ができたと聞いた時、あまりの嬉しさで街中にもかかわらず満面の笑みを浮かべた。
あんな風に笑うのはカレンの前だけだったが、この義手が身体に馴染めば以前のように暮らせるかもしれないと思ったら、勝手に顔が緩んでしまう。
その様子を見たキアラが呆れたような顔で『そんなにカレンさんと過ごせるのが嬉しいのか』と言われて、胸を張って『当然だ』と答えた。
その場面をカレンに見られていたと知ったが、言い訳をしようにも義手のことを隠したまま説明できる気がしなくてうやむやにしてしまった。
『ふむ。ファウストの的確な意見のおかげで開発が捗ったな。礼を言うよ』
『いや、僕がお願いしたことだから。無理を聞いてくれて助かる』
『それにしても……そんなに奥方のことが大切なら、やはり話した方がいいと思うが』
キアラには義手を製作してもらうこともあり、ファウストの身になにが起きているのか簡単に説明している。
『うーん、でもカレンは真面目だから、この状況を知ったら重荷になってしまうと思うんだ』
『まあ、確かに……このわたしでも随分悩んだからな』
もし契約結婚している相手が四肢を欠損していると知ったら、カレンはファウストから離れられなくなるだろう。
ずっとそばにいられると考えたらファウストの気持ちが揺らいだが、それは愛情ではなく義務感だ。
(カレンには心のまま、未来への道を決めてほしい。そのためには、僕のこの状況を話すわけにはいかない。それに、この先起きることも……)
泥沼に引きずり込まれるような気持ちを振り払うように、ファウストはキアラへ訊ねる。
『ご主人は左腕だったよね?』
『ああ、あの馬鹿はわたしを守るために無茶をして、魔物に左腕を持っていかれたからな。責任もって治す必要があるだろう?』
ニヤリと悪どい笑みを浮かべるキアラだが、彼女がどれほどの辛酸を舐めて、愛する夫のために義手の魔道具を開発したか知っている。
だからこそ、ファウストは今回、キアラを頼ったのだ。カレンへの愛を理解して、義手のことを秘密にしてくれると思ったから。
『それが天才魔道具開発者の始まりだとは思わなかったけど』
『愛の力は何物にも勝るのだよ』
『愛の力か……そうだね』
確かにファウストはカレンのために、すべてを捧げてきた。おそらく、この先息絶えるまで、それは変えられないだろう。
『だから、ファウスト。あきらめるのはまだ早い』
最後にキアラから投げかけられた言葉に、ファウストは曖昧な笑みを浮かべた。
ファウストはそこで左足に違和感を感じて、義足を外す。ファウストが抱える秘密は義手だけではない。
義足を外してみると、装着部分が合わなくなって違和感が生じたようだった。
「はあ、また作り直してもらわないと……しばらく帰れないかもしれないな」
ファウストがキアラに頼んでいる義手や義足は、装着部分から魔力を流し込めるようになっている。
そうすることで魔道具と生身の身体が馴染み、ごく自然に手足を動かすことができるのだ。
だから、その装着部分がうまく密接しないと魔力の流れが滞りうまく動かせない。
義足を眺めながら、ファウストはポツリと呟く。
「こればかりは……どうにもならないんだよ」
ファウストは心を深く閉ざし、これから訪れる未来を淡々と受け止めていた。