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第41話 伝えられない気持ち

 その日もカレンが起きるといつものようにテーブルの上にファウストからのメモ紙があった。


【カレン、おはよう。昨日のビーフシチューは絶品だったよ。サンドイッチを作っておいたから食べて。いつまでも変わらぬ愛を捧げます。ファウスト】


「昨日も遅くに帰ってきたのね……」


 あれから一週間経つが、カレンとファウストのすれ違いは続いている。


 メモでのやり取りは続いているし、愛の言葉も書かれてはいるが、ふたりは顔を合わせていない。


 テーブルへ視線を移すと、皿の上にカレンの好きなツナサンドが載せられていて、サラダもスープも用意されている。


 ファウストはどんなに忙しくてもこの家には帰ってきて、カレンの作った夕食を食べて朝食を用意してくれていた。


(でも、こんなに愛を伝えてくれるのに……しばらくファウストの顔も見ていない)


 たった半年ほどでこんな生活を送ることになるなんて想像もしていなかった。カレンが用意した夕食を毎日食べてくれるのは嬉しいが、もうどれくらい一緒に食事をしていないだろう。


 カレンはファウストが用意した朝食を口に運びながら、ぼんやりと考える。


(今頃、キアラ様と魔道具の研究に取り組んでいるのかしら……)


 あの時みたいに満面の笑みを浮かべて、成果が出たと喜んでいるのだろうか。学生の時にカレンとファウストがそうしたように。


 そんな風に考えていたら、カレンの胸の奥から黒い感情が湧き上がった。


(学生の時から親友で、ずっとファウストの隣にいたのに。ファウストは毎日愛を告げてくれるのに。どうして、今隣にいるのは私じゃないの……?)


 本当はもっと部屋にいてほしいし、カレンとの時間も作ってほしい。前のようにふたりで食事をして、のんびりと穏やかに過ごしたい。


 ファウストのプロポーズに返事をしなかったくせに、湧いてくる欲望は限りなく自分勝手でカレンは自嘲する。


「いまさらよね。いまさら、もっと一緒にいてほしいなんて言えないわ……」


 契約結婚までしてもらって、賢者になるまで自由を得られただけでもありがたいことなのに、ファウストにわがままを言えるわけがなかった。


 そこまでカレンが望むなら、ファウストの気持ちに応えるべく自分の気持ちを伝える必要がある。


(……私は、ファウストが他の女性と親しげにしているのが嫌。もっと一緒にいてほしいし、毎日顔を合わせていろんな話をしたい。それに――)


 カレンは自分の気持ちを改めて静観した。


 ファウストに求めるだけじゃない。カレンはどんな時もファウストに頼ってほしいし、彼がつらい状況ならどんなことをしても打開してみせる。


 好きな料理をたくさん作ってあげたいし、心身ともに疲れているならそっと寄り添って癒したい。


 もし、ファウストが望むなら自分のすべてを差し出せる。


 カレンはファウストに与えたいのだ。

 もらうだけじゃなく、ファウストを笑顔にするために身を削っても与えたい。


(ファウストが、好き。ううん、好きじゃ足りない。愛してるんだわ)


 深く傷ついて、恋愛すること自体に臆病になっていたが、失いそうになってやっと自覚した。


 気付くのが遅すぎたかもしれない。でも、まだふたりの関係は終わっていないのだ。


「どうしよう、気持ちを告白したいけど……やっぱりファウストに直接伝えたいわ」


 しかし、現状ではファウストが忙しすぎて同じ部屋に住んでいながら会うことすらない。


 さらにファウストは極秘で魔道具の開発を進めている。朝早くから夜遅くまで取り組むほど全力を注いでいるのだ。


 そこへカレンが想いを告げたら、気が逸れてしまわないだろうか?


「うう〜ん、ファウストには魔道具の開発に集中してもらいたいし……そうなると、私が賢者になってからかしら?」


 そもそもこの契約結婚はカレンが賢者になるまでの期間限定だ。その時が来たら、結婚を解消する書類が必要になるので、一度は話し合いをするはずだ。


(その時に、結婚の継続をお願いしてみよう。そして、自分の気持ちをちゃんと伝えよう)


 それまでは、ファウストの邪魔にならないようにおとなしくしていようとカレンは心に決める。


「でも、たまには早く帰ってこないかな……」


 一緒にいる時間がないだけで、手紙でのファウストは今までと変わらないのだ。この手紙が今のファウストの精一杯なのだと信じるしかない。


 ファウストがキアラといるところを想像して嫉妬するだろうけど、それは自業自得でもある。


(それに私が婚約している間のファウストの気持ちを考えたら、これくらいで泣き言なんて言ってられないわ)


 ファウストへの気持ちがはっきりしたカレンは、真っ直ぐに前を向いて歩みはじめた。


 ファウストとずっと一緒にいる未来があると信じて。




     * * *




 その頃、深淵の森では闇の賢者ロニーが呆然としていた。

 漆黒の髪は吹き抜ける風に煽られ、グレースピネルの瞳が大きく見開いている。


 目の前に広がる瓦礫の山。ところどころについた血痕。吐き気をもよおすほど濃厚な魔力の残滓ざんし


「こ、これは……うっ」


 口を開いただけでこの辺りに漂う異常なまでの魔力が入り込み、ロニーはたまらず膝をつく。


(これほどの魔力が残る存在……やっぱり、ここに魔神デーヴァの遺跡があったんだ。この瓦礫はその残骸か……?)


 ロニーはずいぶん前から魔神デーヴァの遺跡について調査をしていた。


 もう数百年前に封印された存在だが、魔神デーヴァと契約した人間が歴史を変えるほどの事件を起こし世界に混乱をもたらしている。


 その混乱に巻き込まれ、ある国の貴族だったロニーは家族を失い天涯孤独の身となった。

 かたきである魔神デーヴァを見つけて、二度とこの世に現れないようにするのがロニーの目的だ。


 各国を周り、噂や文献を調べては現地へ赴き詳しく調べていたが、これまですべて空振りだった。


 ところが昨日、リトルトン王国に伝わる伝承を調べにきたロニーは、深淵の森で今まで感じたことがないような巨大な闇の魔力を感知した。


 魔力の痕跡を辿たどって探すと、崩れた遺跡を発見した。以前はなにもなかった場所だったのは間違いない。


 ということは、この場所にはロニーでも見破れないほどの強力な幻視の結界が張ってあったということだ。


 瓦礫をよく見てみると古代文字が刻み込まれ、その一片に見覚えのある文字があった。


 その意味を理解したロニーはみるみる青ざめていく。


「た、大変だ……! 魔神デーヴァが解放された……!!」


 ここが魔神デーヴァの眠る遺跡だったと理解したが、魔人の気配はなく、破壊し尽くされていた。


(ようやくここまで来たのに、手遅れだった……!)


 しかし、焦るばかりではどうにもならない。ロニーはなにか手がかりがないかと、必死に思考を巡らせる。


「そうだ……確か、魔神デーヴァとの契約には血を捧げる必要があったはず!」


 先ほど見た瓦礫に血痕があったのを思い出し、慌てて証拠保全した。さらに瓦礫をできるだけ映像に残して、闇魔法で賢者に与えられた私室へ送る。


「他の瓦礫になにが書かれていたのか、戻って解読しないと……血液の調査はファウストにも協力してもらおう」


 ファウストは全能の賢者と呼ばれ、魔力の波動で人間を識別することができる。このサンプルを見せたら、なにかヒントがもらえるかもしれない。


 こうしてロニーは静かに影移動で魔天城へ戻った。


 魔天城に入るため扉横の魔道具に魔力を流そうとしたところで、背後から声をかけられる。


「……闇の賢者様」


 呼ばれて振り返るとフード付きの漆黒のローブを羽織った男がうずくまっていた。


 具合が悪くなって動けないのかと思ったロニーは、漆黒のローブの男の前で膝をついた。


「大丈夫ですか? 肩を貸しましょうか?」

「…………」


 しかし、男はなにも答えない。フードのせいで顔は見えないが、話せないほど状態が悪いのかと思い男のローブに手を伸ばす。


 男のローブに触れた瞬間、ロニーの視界は闇に包まれた。





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