サーシャとレイドルにファウストのことを相談してから、四日後。
カレンは呼び出しを受けて、サーシャの私室を訪れた。
部屋に入るとレイドルもその場にいて、サーシャは水魔法で三人の周りを囲んで音が漏れないように薄い水膜で覆い、艶やかな声で話しはじめる。
「相手がわかったわ」
「……っ!」
ファウストが嬉しそうな笑顔を向けるほど、心を許した相手はいったい誰なのか。カレンは固唾を飲んでサーシャの言葉を待った。
「キアラ・ジョルダーニよ。今はファウストと魔道具の共同開発をしているみたいね」
「はっ、随分大物だな。だが、魔道具の共同開発なんて俺も聞いていないが、極秘なのか?」
「ええ、リュリュの手を借りてようやく調べられたの。詳細まではわからなかったけど、まだ公にはしたくないようね」
――キアラ・ジョルダーニ。
開発した魔道具はどれも非常に優れていて、世界中から高い評価を受けている魔道具開発の第一人者だ。
だが、キアラが新作の発表をするとこを何度か目にしたことがあったが、男性の姿だった。キアラが女性だと匂わせるような新聞記事も読んだことがない。
しかし、サーシャとレイドルはキアラが女性であることに違和感がないようだ。
「キアラ様は男性ではないのですか……?」
カレンが訊ねると、サーシャは「ああ、知らないのも当然だわ」と言って実情を語りはじめる。
「キアラは女性だと知られると面倒なことが多いと言って、研究発表の場では男装しているの。このことは、賢者やごく親しい一部の魔法使いしか知らないわ」
「そう、だったのですね……」
そんな事情があるとは知らず、まさかファウストの相手がカレンも尊敬するキアラだとは想像もしていなかった。
キアラは才能豊かで美しく、自信に満ちあふれている。共同開発をしているファウストとも会話が盛り上がるのは簡単に想像がつくし、おそらくカレンと話すよりも高度な話をしていることだろう。
(なんの才能も取り柄もない私より、キアラ様と話す方が面白いのも納得よね……)
学生の頃、毎日図書室でカレンとファウストは魔法について語り合った。でも、その内容は初歩的なものだったし、カレンは賢者になるための魔法訓練ばかりで、ファウストの魔道具開発の役に立つ話なんてとてもできそうにない。
これまではカレンがいた場所に、今ではキアラがいるのだ。
全能の賢者ファウストと並んだ時に釣り合っているのは、間違いなくキアラの方なのだ。
「でも、キアラは旦那も子供もいるだろ? いつも家族が最優先だって言ってたし、この前のも魔道具絡みで会っていたんじゃないか?」
「そうかもしれないけど、それならカレンが質問した時にはぐらかすような態度になるかしら?」
「私もその点が気になっているのです。ファウストらしくないなと思って……」
すかさずレイドルがフォローしてくれたが、今までのファウストなら事情があって説明できないことがあっても、そのように伝えてくれた。
どんな話も真摯に答えてくれたからこそ、明らかに触れられるのを避けたいというような反応が際立って見えるのだ。
「うう〜ん……確かにファウストなら誤解されないように必死に説明しそうだな」
「そうなのよ。あれだけカレンを追いかけ回して、犯罪スレスレのことをしていたのに、なにかがおかしいわ」
サーシャの言葉にレイドルも「そうだよな……」と頷いている。
やはりサーシャとレイドルもファウストの態度に疑問が生じたようだ。
ふたりのファウストに対する評価が苦笑いしたものの、カレンは自分の考えが間違いではなかったと確信する。
もしかしたら、ファウストはなにか大きな問題を抱えているのかもしれない。今この瞬間も、のっぴきならない事情で孤軍奮闘しているのでは。
(もしそうだったなら、私では役に立たないかもしれないけど話くらいしてほしいわ)
カレンはファウストに助けてもらうばかりで、彼から助けを求められたことがない。
いつもいつも、ファウストは差し出す側なのだ。
(それとも、私には話したくならないの? そんなに頼りないのかしら……)
魔道具研究者のキアラとは、気を許した様子で話をしていた。ものすごく嬉しそうに笑ったファウストがカレンの脳裏に甦り、心の奥がズキンと痛む。
(私ではキアラ様には敵わないけれど……それでも、学生の頃からの親友で、妻なのに……)
本来なら一番頼りにされるはずなのに、カレンはファウストに距離さえ置かれている状況だ。
(契約結婚だから? 気持ちを返さなかった私には、頼りたくない? いや、頼れないのかも……)
ファウストの立場で契約結婚した妻に「助けてほしい」と言えるだろうか、とカレンは考える。
想いを告げて求婚したのに拒否されて、それでも相手を頼りにしたいと思えるのか。
また拒否されたら、と考えてしまうのでは?
カレンが過去の忌まわしい記憶がフラッシュバックして、ファウストとの結婚を受け入れられなかったのと同じように。
(――ファウストが私を頼らないのは、私自身のせいだわ)
あれだけ尽くしてくれたファウストの想いに応えられなかった時点で、彼を責める資格などない。カレンはそう思った。
それに、キアラ・ジョルダーニは魔道具開発の第一人者として経験も知識も、世界一だ。ファウストが信頼して心を開くのもわかる。
(それなら私は、ファウストのためになにができるの……?)
あまりにも無力な自分に気付いたカレンは、ギュッと拳を固く握った。
「まあ、でもカレンさんの話を聞く限り、嘘はついていないみたいだな」
「ええ、そうね。ただ、あからさまに話題を逸らすのは、なにか裏があると思うのよ」
サーシャとレイドルがまだ調査を続けそうな空気を感じ取り、カレンは口を開く。
「すみません、私が至らないからファウストは話せないのだと思います」
「……そんなことはないと思うわ。ファウストは本当にカレンが好きで好きで仕方ないのはわたくしも見てわかるもの」
「俺もそう思うよ。カレンさん、あまり思い詰めない方がいい」
「はい、大丈夫です。ファウストが嘘をついていないのは事実ですし、話してくれるまで待ってみようと思います」
サーシャとレイドルの優しい言葉がカレンの心に染み込んだ。「なにかあったら相談してくれ」と言うレイドルと、眉間に皺を寄せるサーシャに頭を下げて私室を後にする。
しかし、誰もいない魔天城の通路を歩くカレンの心は荒ぶっていた。
(でも。それでも、ファウストが他の女性と親しくしているのを見るのは……嫌だわ)
カレンの心に渦巻く感情は明らかに嫉妬だ。
いつの間にか、カレンの中でファウストの存在がより大きなものになっていた。