カレンは一体の土人形を肩に乗せて、全速力で
この機会を逃したら、ここから抜け出せないかもしれない。そんな焦燥感に急き立てられ、ケイティの元へと走り続けた。
「ケイティ!」
「……カレン? どうしたの、そんなに急いで」
ようやく視界にとらえた親友の姿に安堵しながら、カレンは捲し立てるように説明する。
「ケイティ、教皇の悪事の証拠は掴んだから、今すぐここから出るわよ。土人形さん、お願い」
「え、カレン、なにを言って……」
カレンが肩に乗せていた土人形を牢屋の前に立たせると、ぐんぐんと大きくなりケイティと
「す、すごい……! ねえ、カレン。ちょっと説明して」
「説明は後で。悪いけど風の賢者様に繋がっているから、この魔道具の中に入ってくれる? 私も一度試したけど、問題なかったから安心してね」
「え? えっ? どういうこと?」
「ごめんね、時間がないの」
カレンはそう言うとケイティの手首を掴み、口を広げたポーチの中へと彼女の指先を誘導した。
ポーチの中に指先が入った瞬間、ケイティの身体は吸い込まれるように呑まれていく。
「きゃあっ!」
「風の賢者様が目の前にいるわ。客室へ着くはずだから、ゆっくり休んでね」
「ちょっと、カレ――」
言葉の途中でケイティの身体はすべてポーチの中へ吸い込まれていった。
きっと今頃、魔天城のリュリュは来客用のベッドの上にポーチの口を開けて待機しているはずだ。
すべて手紙で知らされた計画通りである。
「最後は私がここから逃げるだけね」
カレンは立ち上がり、聖教会の出口を目指し再び走り出した。
* * *
ミカエルは心底苛ついていた。
光の聖女が突如やってきてカレンとの時間を邪魔され、挙句にこんな無駄な時間を費やしている。
先ほどからマージョリーは祈祷室の女神像を見上げたまま、微動もせずに立ち尽くしていた。
魔力を注いでいる気配もなく、ここにいる意味がまったくない。
「光の賢者様、そろそろ次の場所へ……」
「あっ……そうね。ここはもういいわ」
光の賢者が連れている従者は褐色の肌で、まだ十代半ばだろうか。幼さが残る顔立ちの少年は、光の賢者になにやら耳打ちしている。
あんなガキを従者にしている光の賢者とは、絶対に気が合わないだろうなとミカエルは考えていた。
「せっかくだけど、急用が入ったから視察はこれで終わりにするわ」
「そうですか! それではお見送りをいたします」
ようやく光の賢者が帰ると言ったので、ミカエルは初めてマージョリーへ満面の笑みを向けた。
散々人を振り回しておいて、という気持ちもあるがカレンを待たせていることもあり、ミカエルは素直に引き下がる。
「それじゃあ、またね」
馬車から顔だけ出した光の賢者は、別れの言葉を口にした。
「本日はありがとうございました。どうかお気を付けて」
胸に手を当てミカエルがお辞儀をする瞬間、マージョリーはチラッと聖教会の門扉へ視線を向ける。
ミカエルも密かにその視線の先を追うと、必死に走る女性の後ろ姿が視界の端をよぎった。一瞬だったが、確かに銀色の髪を揺らし、聖女の白いローブを翻して走る女性の後ろ姿だ。
(あれは……カレン――!?)
瞬間的にミカエルの頭に血が上った。
ようやくカレンが
おそらく光の賢者はあの忌まわしい男の差金だろう。ミカエルの注意を引き、その隙に聖教会から逃げ出したのだ。
(目的はあの下級聖女か。ふんっ、舐めた真似をしてくれたものだ)
ミカエルは聖教会の敷地と、その周辺の地理は完璧に把握している。
カレンが進んだ道は曲がりくねっていて、やがて祈祷室の裏側を通るのだ。
「絶対に逃すものか……!」
無言の圧を放ちながら、ミカエルは聖教会の奥へと突き進む。異様な雰囲気を察知して、神官も聖女も誰もが青ざめた表情を浮かべて道を開けた。
祈祷室へと伸びる渡り廊下から庭へ下りて芝生の上を少し歩くと、祈祷室の裏側から地下通路に降りられる。
有事の際に教皇や筆頭聖女を逃すための隠し通路であったが、ミカエルはこれを私利私欲のために使用していた。
メラニアの遺体もここから運び出し、数日後には隣国で見つかる手筈となっている。
「この私を騙そうなどと考えなければ、多少の自由を許したのだがな」
こうなってしまったら、今後はカレンをどこかに閉じ込めなければ、ミカエルが安心できない。
先ほどカレンが逃げた道に出ると、ほんの数分でふたりの聖女が姿を見せた。
「……っ!!」
息を切らせたカレンと下級聖女は、絶望をにじませた表情で立ち止まる。
「私から逃げられると、本気で思っていたのか?」
ミカエルが静かに問いかけるが、なんの反応も返ってこない。苛ついたミカエルは邪魔者を消すべく、矢のような光魔法を下級聖女に放った。
ドスドスドスッと鈍い音を立てて、光の矢は下級聖女の腹部を貫く。すると下級聖女はさらさらと崩れ土へと姿を変えた。
「土人形か……小細工をしたところで無駄だ。どのみちこの女に用はない」
「近づかないで」
カレンは憎しみのこもった視線でミカエルを睨みつける。
だが、どんなに憎まれようが、そんなことは些細なことだ。これから永遠をふたりで生きれば、いずれカレンの気持ちはミカエルへ向くだろう。
「私はカレンを愛している」
「貴方のそれは愛じゃないわ。ただの征服欲よ」
「そんなことはない。こんなにもカレンを求めているではないか。それに私ならお前の望むものを与えられる」
カレンはもう搾取されるのが嫌だと言った。それなら彼女の欲しがるものを、好きなだけ与えればいい。
今のミカエルにはそれができるだけの、権力も財力もある。
「私の望むもの? 絶対に無理よ」
「ドレスでも宝石でも、なんなら王妃の立場も与えてやれる。ああ、愛が欲しいなら、私が好きなだけ注いでやるぞ? 望みを言ってみろ」
ミカエルは一歩ずつ近づくが、カレンもまた一歩ずつ下がり距離は縮まらない。
「今の私が求めるものは、自由よ。それに、押さえつけるだけの愛なんて求めていないわ」
「ふっ、なんとも幼稚だな。だが、お前に決定権はない」
ミカエルは無詠唱で身体能力を上げて、一瞬でカレンとの距離を詰めて腕を掴んだ。
「嫌っ!!」
「おとなしくしろ。このまま戻るぞ」
「離して! やだっ!!」
「黙れと言っているだろう!!」
あまりに暴れるカレンを怒鳴りつけ、掴んでいた腕を力一杯引いた。
勢い余って力が入りすぎたのか、カレンは大きく体勢を崩し地面に這いつくばる。そんなカレンを冷めたグレーの瞳で見下ろした。
今回はカレンに記憶が残っているせいで、やたら反抗的だ。随所で賢者が邪魔してくることもあり、面倒なことこの上ない。
「いっそのこと、もう一度やり直した方がいいかもしれんな」
ミカエルはおもむろに片手を上げて、数十本の光の矢を空中に展開する。アクアマリンの瞳に絶望と恐怖が宿り、ミカエルの心を高揚させた。
「カレン、残念だ」
そう言って、一気に光の矢を地面に転がるカレンへ叩きつける。
「――ッ」
言葉もなく絶命したのか、カレンは悲鳴すらあげなかった。
ところが、カレンの亡骸を確認すると、そこにはなんの変哲もない土が積み上がっているだけだった。
「なっ……! まさか、カレンも土人形だったのか……!?」
ミカエルの背中に嫌な汗が伝っていく。
(下級聖女だけでなくカレンまで土人形だったなら、本物はどこにいる?)
「カレン……! カレンは私のものなのだ! その身体も、心も、笑顔も、髪の毛一本さえも!! 全部、私のものだ――!!」
ミカエルは愛しい片翼がこの手からすり抜けた事実を受け止めきれず、その場に膝をついて絶叫した。
* * *
「あ、土人形が壊れた」
セトがそう呟くと握っていたカレンの手を離す。同時にカレンの脳裏に浮かんでいた光景も消えた。
カレンは今、マージョリーたちが乗ってきた馬車に同乗している。聖教会に停められていたマージョリーたちの馬車にこっそりと乗り込み、息を潜めて出発を待っていたのだ。
最後は白い光に包まれて終わってしまったが、それまではセトを介して土人形の映像を共有していた。土人形が発した言葉は、間違いなくカレンの意思である。
「あの男、本気でヤバい」
「そうですよね。私も心の底から同感です」
「えー、なになに? わたしにも教えてよー!」
これまでの出来事を話すと、マージョリーが絶叫する。
「はあああ!? やり直すからってカレンを殺す必要ある!? ないわよね!? うわー、あの男、もっと意地悪してやればよかった!!」
「光の賢者様、ありがとうございます。でも、この後が本番ですわ」
カレンの言葉で馬車の中の空気が引き締まる。
ミカエルの悪事の証拠まで手にした。つまり、いよいよ決着の時を迎えるということだ。
「絶対に、あいつを追い詰めてやりましょう!」
「はい!」
カレンは、真の自由を手に入れるため、最後の対決へと向かった。