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第27話 揺るがぬ証拠

 教皇の私室にいるカレンはしんと静まり返った部屋の中で、ギュッと拳を握りしめていた。


(ファウストに私の声は届いたかしら……? なにかあれば風の賢者様から知らせが届くはずだけど……)


 不安に襲われても、今のカレンになす術はない。それにここにある証拠を手にしたら、すぐに聖教会を出発しなければ今度は自身の身が危険に晒されてしまう。


「今はこちらに集中しないと……物証をこのポーチに入れろってファウストから伝言があったわね」


 カレンはポケットから手のひらサイズの黒いビロードのポーチを取り出し、中を覗き込んだ。本来ならすぐに底が見えるはずなのに、延々と闇が広がっている。


 このポーチは魔道具研究所の手紙を配分する装置を応用したもので、さらに小型化して持ち運びができるように工夫したものだ。対になっていて、相互に物品のやり取りができる。


 万が一のことを考えて、鉄壁の要塞である魔天城の風の賢者の元へ届くように調整した。


 今回の潜入が決まり、ファウストが徹夜で仕上げたオリジナルの魔道具で、どんな大きさのものも吸い込んで送れるという。


 試しにカレンが指先を入れてみたら一瞬で吸い込まれてもう一方のポーチから吐き出された。驚いたファウストには『二度と実験しないで』と言われたが、好きなものをとことん極めたい性質のカレンにはあまり響いていない。


 カレンはサイラスからの手紙を一通、そっとポーチに入れた。


「……うん、ちゃんと消えたわね」


 手紙は闇へ落ちてそのまま跡形もなく消え去っている。カレンは次の瞬間から猛烈な勢いで物証をポーチに入れはじめた。


 サイラスからの手紙、教皇視点の映像水晶、暗殺組織からの報告書。ありとあらゆるものを片っ端から送り込む。


 最後に教皇の日記帳を手にしたカレンは、ほんのわずかに躊躇した。


「……なにかの手掛かりになるかもしれない」


 ポソッと呟き、手にしていた日記帳もポーチへ放り込んだ。


(この巻き戻りには絶対になにかある。教皇と私の記憶がこんなにも違うし、そもそもどうして巻き戻ったのか、その原因も不明のままだわ)


 巻き戻ったことによって、カレンは大きなチャンスを得ることができたのは事実だ。


 最初のうちは女神の加護が働いたのかと思ったが、それならミカエルに前の人生の記憶が残るだろうか?


(誰かが……もしかしたら教皇様が古代の魔道具や魔法を使って時を戻したのかもしれない)


 もしそうだとしたら、また時間が巻き戻ってしまう可能性がある。その時もカレンに記憶が残っていればいいが、そうでなければ再び死んでしまう可能性が高い。


(ここを脱出したら、詳しく調べる必要があるわね)


 カレンが決心を固めたタイミングで、どこからともなく浅葱色の小鳥が飛んできた。


「風の賢者様!?」


 手のひらを差し出すと、スッと小鳥が下りてきてポンッと音を立てて手紙に変化した。


 今回はメッセージカードのような手紙だったので、すぐに内容を読むことができる。


【ファウストが暗殺者に襲われたけど返り討ちにした上に、古代魔道具もゲットしてホクホクしてるから安心して〜★】


 ファウストの無事を知り、カレンはホッと胸を撫で下ろした。なんとも気の抜けた手紙にクスッと笑い、完全に気持ちを切り替える。


 そこへトコトコ、トコトコと軽い足音が聞こえてきた。カレンが振り返ると、扉のところにひょっこりと手のひらサイズの土人形が顔を出す。


「ふふふ、待っていたわ」


 ケイティ救出作戦は、こうして密かに進行していた。




     * * *




「大変お待たせいたしました。私が現教皇のミカエル・バルツァーでございます」

「ふうん、貴方が今の教皇なの」


 純白の衣装に身を包むマージョリーは、ミカエルが身動ぐほど神々しいオーラをまとっていた。


 気を取りなおした様子のミカエルが胸に手を当てて、深々と頭を下げる。何年も魔天城にこもっていたマージョリーとミカエルはこれが初対面だ。


「お初にお目にかかります。お会いすることができ大変光栄でございます」


 そして間髪入れずにマージョリーへこう訊ねた。


「ところで本日はどのようなご用件でしょうか?」

「最近、聖女が不祥事を起こしたようだから、視察に来たのよ。まずは聖教会の中を案内してちょうだい」

「光の賢者様が視察においでになるほどのことはございません」


 しかし、ミカエルは強い気で反発してくる。マージョリーはしらを通そうとするミカエルに舌打ちして刺々しい言葉を放った。


「あら? 魔天城では筆頭聖女が王太子を唆したってもっぱらの噂だけど。しかも行方不明になっていて、罪を償ってもいないとか。光の魔法を使う聖女たちはわたしの妹も同然だもの、放っておけないわ」

「私の管理能力が至らず申し訳ございません。ですが――」

「管理能力がないなら、できる人間に変わればいいじゃない」


 マージョリーの突き刺さるような言葉に、応接室の空気が凍りつく。

 ミカエルのこめかみには青筋が浮かび、神官たちは青ざめていた。マージョリーに同行しているセトだけが、飄々ひょうひょうとしている。


「光の賢者様といえども、聖教会の人事については口出し無用でございます」

「そうね。前教皇が退位する時も、ちっとも話を聞いてもらえなかったわ」


 聖教会の前教皇は当時十歳だったマージョリーへ聖魔法を教えてくれた恩人でもあった。

 前教皇がまだ神官だった頃、田舎の教会に配属された彼はマージョリーの魔法の才能を見抜き、手取り足取り魔法を教えてくれた。


 そのおかげで魔法の楽しさを知り、こうして賢者にまでなることができたのだ。

 いつも困った人に手を差し伸べていた前教皇が不正を犯したなんてありえない。そう思ったマージョリーは、聖教会に再調査を訴えたがついぞ聞き入れられることはなかった。


 そもそもマージョリーが幼くして生活に困窮したのは、高位貴族にめられた父が男爵家も領地も手放すことになったからだ。

 だから前教皇や近しい存在以外の権力者や貴族を毛嫌いしている。


「元筆頭聖女に関しては私がしっかりと制裁いたしますので、ご安心くださいませ」

「あっそ。まあ、いいわ。貴方が案内しないなら勝手に見て歩くから」

「光の賢者様、それでは聖女や神官たちの業務に支障が出てしまいます。どうかご遠慮くださいませ」

「だったら貴方が案内すればいいでしょ。最初に言ったじゃない」


 やれやれとマージョリーがため息をつくと、ミカエルはようやく観念したのか「こちらへどうぞ」と案内をしはじめる。


 マージョリーはセトに目配せして、ミカエルの後に続いた。


 時間を稼ぐため、マージョリーは館内の地図が描けるくらい細かいところまで見て歩く。


「この先は祈祷室でございます。毎日聖女たちが女神像へ祈りを捧げております」

「ふうん。それならわたしも祈りを捧げていくわ。案内してちょうだい」

「……かしこまりました」


 ミカエルは嫌そうな顔をしながらも、祈祷室の扉を開いた。


 祈祷室はドーム型のガラス張りの天井から太陽の光が差し込み、中央の女神像を柔らかく照らしている。


 マージョリーは女神像に手を添えて、そっと魔力を流し込もうとした。


「えっ」

「いかがなさいましたか?」


 思わずこぼした驚きに、ミカエルは怪訝な表情を浮かべる。マージョリーはすぐに平静を装い、なんでもないと答えた。


(どうして女神像から、ファウストの魔力の波動を感じるの……?)


 ほんのわずかに感じ取れるだけだが、確かに全能の賢者の魔力だった。


 女神像へ触れられるのは教皇をはじめとした神官や聖女たちだけで、さらに結界を維持するため魔力を注ぐのは聖女の役目である。


(そもそも聖教会自体に厳重な結界が施されているから転移はできないし、決まった人間しか祈祷室の開錠ができないようになっているわ。でも、それならどうやって……?)


 マージョリーは穏やかに微笑みをたたえる女神像をジッと見つめ、招待の知れない不安が込み上げるのを感じていた。




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