「完璧にまとめ終わってしまったわ……」
カレンは愕然として呟く。
証拠が集まり精査が終わるまでひと月もかからなかった。ファウストがオルティス領で見つけたドラゴン二体の討伐のため不在で、思ったよりもサクサクと作業が進んでしまったからだ。
(これを出せばすべての決着がつくはずなのに、気が進まない……)
婚約を解消しても魔法研究所に残ることができないかと、カレンは考える。魔力も知識も足りないカレンがこの場所に残るためには、どうしたらいいのか。
「雑用……いえ、清掃係でもいいから置いてもらえないかしら?」
ものすごくいい案が浮かんだとカレンは思った。
研究員たちが作業に没頭できるよう、施設中の清掃を請け負ったら在籍を許されるかもしれない。そうしている間に勉強して知識を身につけて、研究員としても役に立つと認められれば追い出される心配もなくなる。
「これしかない……!」
カレンがグッと握り拳を作っているとカランコロンと手紙が届いたことを知らせる音がなった。ファウストからだと思い、手紙を取り出す。
「あっ、ケイティからだわ!」
予想外の人物からでカレンは嬉しくなり、すぐに手紙を開封した。
内容はカレンを気遣うもので、ケイティも元気にやっているというものだが、どこかケイティらしくない。
普段は話し言葉なのに敬語だし、聖女の仕事は大変で聖教会から出たいとも書かれている。ケイティは聖女の仕事に誇りを持っていて、そんなことを聞いたことは一度もない。
(前回、ケイティが魔力を失った時期とは違うけど……もしかしたら助けを求めているのかもしれない)
ファウストに相談したかったが、今は魔天城へ行っていて不在だ。
多少の外出は許されているが、聖教会に行くと言ったらファウストが反対するか同行すると言うのは安易に想像できる。
でもファウストが戻ってくるのは一週間も先の予定なのだ。
「それまでケイティを……放っておけない」
緊急性があると判断したカレンは覚悟を決めて、ケイティと面会することにした。
久しぶりに聖教会に行くと、聖女たちは快く応対してくれる。しかしケイティ宛の面会だったのに、面会室へ現れたのは教皇だった。
「お久しぶりですね、カレン」
「教皇様……どうして」
ケイティ宛の面会なのにミカエルがやってきて、カレンは嫌な予感がした。他の聖女たちもカレンとケイティが親しいことを知っている。
それを邪魔するとしたら筆頭聖女のメラニアくらいだが、彼女は行方不明になったと聞いた。
ならば、この状況を作ったのはミカエルしかいない。
「貴女に会いたかったのですよ」
「ケイティはどうしたのですか?」
「ケイティ? ああ、あの下級聖女ですね。彼女は独房に入っています」
「独房!? どうしてそんなところに入っているのですか!」
ミカエルの言葉でカレンは思わず椅子から立ち上がった。
ケイティは真面目で面倒見のいい性格で、決して独房に入るような罪を犯す人間ではない。
「カレン、あの下級聖女は重大な規則違反をしました。それゆえ反省を促しているのです」
「ケイティは真面目で、優しい子です。独房に入れられるような規則違反をしたとは、とても考えられません」
ミカエルはカレンの揺るがない姿勢を見て、即座に攻め口を変えてくる。
「ふむ、なるほど。ではカレンにあの下級聖女が無実だと証明してもらいましょう」
「わかりました。それでは――」
「カレンの聖女への復帰を許可します」
カレンの言葉に被せるように、ミカエルは断言する。突然の許可にカレンはすぐに反論した。
「聖女には戻りません」
「ケイティの無実を証明するのでしょう? 関係者以外立ち入り禁止の聖教会でどのように調査をするのですか?」
「………」
ミカエルの言うことはもっともだ。聖教会は国の結界と聖女たちを守るため、部外者は面会室以外立ち入ることができないようになっている。
警備も厳重で普通の人間では不法に侵入するのも難しい。
「カレン、私には貴女が必要なのです。たとえ、他の聖女を犠牲にしても」
「どういう、ことですか?」
熱を帯びたグレーの瞳がカレンをジッと見つめた。まとわりつくような視線にカレンは鳥肌が立つ。
「ふふふ、こんなに貴女を大切にしているのに、気が付きませんか?」
「いったい、なんの話ですか」
「カレン、私は貴女を愛しているのですよ」
「はあ?」
ミカエルは教皇でカレンの元上司で、サイラスの共犯者。そんな相手から愛を告げられたところで矛盾しか感じない。
「初めて会った時から、ずっと。貴女は私の〝宿命の片翼〟なのです」
しかも〝宿命の片翼〟と言われたところで、カレンの気持ちが動いていない以上、この話には無理がある。
「そんなことはないと思います。私にはなにも感じませんので」
「それが異常なのですよ。きっとあの賢者になにかされたのでしょう」
だが、ミカエルは確信を持って断言した。
(あの賢者って……ファウストのこと?)
だが、親友がなにかしたように言われてカレンは苛つく。なにも知らないくせに、どれだけカレンがファウストに救われたか知らないくせに、と怒りが湧き上がった。
「ファウストには助けてもらっただけで、なにもされていません!」
「まったく忌々しい男だ。いつも私とカレンの邪魔をする」
「なんのことですか? 本当に意味がわかりませんけど」
カレンは氷のような視線をミカエルに向けるが、意に介さない様子で言葉を続ける。
「カレン。私は人生をやり直しても、貴女を求めているのです」
「な……なにを」
人生をやり直すと聞いて、カレンはドキッとした。
時間を巻き戻ったことは誰にも言っていないし、もしかしたらなにかをゼロから始めたと言っている可能性がある。
「以前の人生のことを覚えていませんか?」
「……覚えていません」
「結婚式を挙げたことも?」
「なんのことかわかりません」
「ふむ。では貴女の魔力が奪われたことは?」
「……っ!!」
だが、ミカエルが言った人生のやり直しとは、明らかに時間が巻き戻ったことを指していた。
「ふふっ、やはり心当たりがあるようですね」
「まさか、記憶が……?」
「大丈夫です。サイラスはあの後、私がすぐに始末しましたから」
ミカエルはカレンの冷たくなった指先に手を乗せて、天使のように微笑む。
「あの時は魔力を失ったカレンを一生私のそばに置く予定だったのですがね。あの愚か者のせいで計画が台無しです」
「すべて教皇様が仕組んでいたのですか……?」
カレンは思い違いをしていたと、ここで気が付いた。
主犯はサイラスだと思っていたが、そうではない。
すべての計画を立てて実行に移したのは、ミカエルだとようやく真実を知った。
「すべては貴女を私のものにするためですよ」
うっとりした表情でミカエルは立ち上がり、カレンの指先を持ち上げて恭しく口付けを落とす。
カレンの背中を悪寒が駆け上がり、たまらずに指を引き抜いて一歩下がった。
「カレン。これで私がどれほど貴女を求めているか、理解しましたか?」
「それなら尚のこと、ケイティは関係ありません」
それでもこんな男に屈服したくないカレンは、
わざわざ他の男に魔力を奪わせて、その後で自分のものにする意味がわからない。
真っ直ぐに想いを伝えてくれたら、カレンだって真摯に受け止めて気持ちを返す可能性だってあった。
「カレンが聖教会に戻ってきたら、ケイティを解放しましょう」
「卑怯者……!」
「ふふふ、カレンのためならなんでもできますよ。おや、これではあの男と同じだな」
少しムッとしたミカエルだが、すぐに麗しい笑みを浮かべる。
「ということは、やはり私はカレンを愛していることになりますね」
どこからその自信が湧いてくるのかわからないが、苛立ちを通り越して怒りの炎が燃え上がった。
(これのどこが愛なのよ……!)
大切なものを奪うと脅して相手に自分の元に戻れと強要する。そんなのは愛じゃなくて征服欲だ。
「さあ、カレン。私の元に戻ってくると言ってください。ケイティを助けたいのでしょう?」
「…………」
カレンはこの場での最適な解を求めて思考を巡らせる。ケイティを助けるためには聖教会に戻らなければならないのも事実で、でも策もなしに
答えあぐねていると、突然扉が開かれた。
振り返ろうとしたところで、ふわりと温かいものに包まれる。
視界の端で揺れる艶やかな黒髪。優しくカレンを抱きしめる逞しい腕。
賢者だけが着用を許された濃紫のローブ。
宝石みたいな金色の瞳。
「カレンッ!!」
ファウストが、切羽詰まった表情でカレンを抱きしめていた。