カレンが部屋を去った後、ファウストは背もたれに身体を預けて脱力していた。
「はあ……暴走した」
ファウストはずっとカレンのことを想っている。そんな彼女から『一緒に開発するのが』、つまり『一緒にいるのが楽しい』と言われて舞い上がってしまった。
抱きしめるふりをして、カレンの首筋に口付けをするなんて卑怯なやり方だが、それすらも嫌がらずに受け止めてくれたのだ。
もしかしたら、と淡い期待を抱いてしまう。
カレンから立ち上がる花のような匂い。柔らかな白い肌。頬を染めて潤んだアメジストの瞳。
ファウストの脳裏に刻まれた色香を放つカレンの姿が何度も甦る。
本当は今すぐカレンを追いかけ、狂愛を告げて自分のものにしたい。
(そうしたらずっとカレンを安全な場所に閉じ込めて、僕だけしか視界に入らないようにできるのに……。嫌なものから遠ざけて、毎日飽きるほどカレンを甘やかして、欲しいものは全部与えて、朝も昼も夜も抱いたら僕のことだけ考えてくれるかな。その時はここくらいの結界じゃ安心できないから、魔天城レベルの――)
と考えて、ファウストはハッと我に返る。
気を緩めるとすぐに危険な妄想を始めてしまうのは、ファウストの悪い癖だ。こんなことをしたら、カレンを都合よく使おうとしていたサイラスたちとなにも変わらない。
それにカレンは現時点でサイラスの婚約者である。いくら気持ちがないとわかっていても、ケジメをつけなければその先へは進めないのだ。
「カレンが婚約破棄するまでは我慢しないと。でも、これだけあからさまだと僕の気持ちにはもう……いや、あの冷静な様子だとまだ気付いてないか」
カレンが不利になるようなことは絶対にしたくないので、まだ明言することはできない。でも、この想いに気付いてほしいという気持ちもある。
「だけどカレンが自由になったら、ここから出ていくよな……」
魔法研究所にカレンが来たのは婚約破棄をするためで、目的を果たしたら十中八九、領地に帰るはずだ。そうなったらカレンはファウストを受け入れるだろうかと考える。
「カレン……もっと僕のそばにしてほしい」
ずっとずっとカレンが幸せになる未来を目指してきた。
そして願わくは、その未来でファウストの隣にいてほしい。
「はあ、欲張りすぎか」
魔法しか取り柄がない男がカレンに選ばれることなど奇跡だと、ファウストは思っている。
貴族学園の時だってたまたま同級生の中で、ファウストが一番魔法の知識があったから声をかけられただけだ。
それでも。
(確実にカレンを助けるためには、あらゆる手を尽くさないと……)
ファウストにとって大切なのはカレンであって、正直なところ他のことはどうなっても気にならない。
辺境伯領へカレンが戻ったとしても、危険を完全に排除するにはサイラスを排除するだけでは足りないのだ。
「ミカエル・バルツァー……あいつも敵だ」
サイラスの後ろで糸を引き、カレンを聖教会に縛りつけていた。さらに元筆頭聖女のメラニアが行方不明になったと情報が入ったが、おそらく口封じのために処分されたと考えられる。
(サイラスと婚約破棄しても、聖教会に連れ戻されないように手を打たないと。あの男は油断ならない……)
あれこれ考えたが、一番いいのはカレンをファウストの妻にすることだ。そうすれば妻を守るという大義名分でもっと大胆な行動も取れる。
「いやでも、肝心のカレンが受け入れてくれるかが問題なんだよな」
思考が振り出しに戻ってしまった。
考えが身詰まったところで、手紙の到着を知らせる音がカランコロンと鳴った。
魔法研究所では不在がちな研究員のために手紙を受け取る魔道具が設置されており、手紙が届くと音で知らせるようになっている。
施設の入り口に設置された郵便受けに入れると、各部門に転移される仕組みだ。転移魔法の応用で簡単に設置できるのに利便性が高い。
手紙を取り出そうと歩きはじめたところで、つま先を引っかけて体勢を崩してしまう。
「……まだ動揺が残ってるみたいだ」
先ほどのカレンの姿が脳裏に甦るが、気を取り直して手紙を開封した。
送り主はオルティス辺境伯で、魔物の調査について魔法使いの手を借りたいというものだ。魔法使いなら魔道具も駆使して、危険を回避しながらさまざまな調査ができる。
かなり大型の魔物か、大規模な魔物の群れが予想される場合に魔法研究所へ依頼することがほとんだ。
「へえ……ドラゴンか。SSランクの魔物なら討伐隊も必要になるな」
魔物はその強さによってランク分けされているが、SSランクとなると非常に気性が荒く王都を一夜で灰にするほど危険な存在となる。討伐するとしたら魔導士が三十人、騎士が五十人は必要だろうか。
なによりもカレンの生まれ故郷だから、領地に害が及ばないようにすぐに手を打つためファウストは準備を進めた。
三日後、ファウストは研究員と共に調査のためオルティス領へとやってきた。
カレンも来たがっていたのだが、野営が続き魔物に襲撃される危険もあったため、魔法研究所で留守番を頼んでいる。
「ファウスト様、この先に反応がありますね」
強い魔力の波動を感知する魔道探索機で山中を調べていると、ひと際強い反応が現れた。
その信号を追うように木々の間を抜けて山を登る。ファウストたちは崖下にある大きな反応を目の当たりにして生唾を飲み込んだ。
「……これは」
「嘘だろ……」
「ちょっと、これはヤバいですね」
眼下には漆黒の翼を丸めて眠るドラゴンが二体。
このドラゴンが目覚めたら、オルティス領は真っ先に荒野になってしまう。
「ドラゴン二体か……」
ファウストは考えた。
ドラゴン一体だけなら、ファウストひとりでも危なげなく倒せるが、二体となると少々厳しい。
「一度、魔天城へ戻るか」
調査結果をオルティス辺境伯へ報告して、カレンにはドラゴンのことも含めて手紙を書き、その足でファウストは魔法使いたちの聖地とも呼べる魔天城へと向かった。