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第16話 揺れる心

 サイラスの不貞の証拠を集め始めて四ヶ月が経った。


 その間にメラニアが筆頭聖女から下され、王太子との不貞を騙ったとして処罰されて行方不明になったことはカレンも聞いている。


 そんな風に聖女を使い捨てにするミカエルと、一瞬で手のひらを返すサイラスに正当な処罰が下るよう、カレンたちは数々の証拠を精査している。


 かなり神経を削られる作業の中、十分過ぎるほどの証拠が得られた。


「これだけあったら、サイラス様が不貞をしていたという証明できるかしら」

「そうだな……十分過ぎるくらいだ」


 そうなると、今度はこのデータを時系列に並べ替え、必要箇所をピックアップしてまとめたら証拠書類の完成となる。


 王城に仕掛けた魔道具はすべて回収済みで、サイラスの証拠以外のデータは今後の魔道具開発に役立てることになっていた。


「もう魔道具は回収したし、本来の目的に役に立ちそう?」

「うん、そっちは問題ない。王城はかなり魔素が多い場所だから、いいデータが取れていたよ。これなら魔道具の開発が早まるかも」

「えっ、そんなに?」


 ファウストの言葉にカレンは驚いた。


 確かに王族を結界で守るため、王城は国の中で一番魔素の多い場所に建てられている。サイラスの不貞の証拠を集めるつもりが、魔道具開発に大いに役立つとは思っていなかった。


「じゃあ、この映像を見てくれる? ほら、この時間。画面の左上の辺りにキラキラした光が見えるだろ?」


 ファウストが記録水晶に映る画像のある一点を指差す。


 そこには空中で白い光がキラキラと輝き、まるで金粉が宙を待っているようだった。空気の流れとは違う法則に従って動いているようにも見える。


 この現象は魔素が集まり具現化したものだ。


「あっ……本当だわ。魔素が結晶化している」

「そうなんだ。次の瞬間には霧散しているけど、これを集められたら大気中の魔素を集めることができると思わない?」


 ファウストの言うことはもっともだが、その魔素の結晶を集めることがうまくいかない。これまでも先人たちが工夫を凝らして挑戦してきたが、魔素の結晶はすぐに消えてしまうのでいずれも失敗に終わっている。


「でも、見つけたと同時に採取しないと駄目よね。それなら魔素がどんな条件で結晶化するかの調査が先かしら?」

「そうなんだ。だから、まずは映像からある程度予想される条件を絞っていって、そのあとは実験かな」


 カレンとファウストは学生時代のように、次々と意見を出し合い魔道具の開発を掘り下げていった。


 いつも自由室で過ごしていたように、この瞬間は嫌なことも全部忘れて目の前の問題に全力で取り組む。


「そうねえ。必要な条件は気温、湿度、天候、魔法の使用状況……他にもある?」

「うーん。他にはできたら登城者たちのデータも欲しい。魔力の高い人間が近くいる場合の影響も考慮したい」


 魔素の動きは空気とは別で、魔力に影響を受けることがわかっている。魔力が高い人間が近づくと活性化しやすく、結晶化につながりやすいのだ。


 さらに場所が王城ということで警備上の観点から、いつ誰が登城して下城したのか記録が残されているとカレンはサイラスの婚約者になった時に知った。


「登城者なら一年は書類が残っているはずよ。貴族たちも城に入る際には――」


 そんなやり取りがあまりにも楽しくて、あっという間に時間は過ぎていく。


「カレン、今日はそろそろ休もうか」

「でも、まだ検討材料が残ってるわ」

「もう日付が変わりそうだし、カレンに無理させたくない」

 ファウストに言われてようやく窓の外を見ると、すっかり真っ暗になり街頭だけが灯りを灯していた。


 周囲の建物からは灯りが消えさり、それほど遅い時間だということが一目瞭然である。


「え、もうそんな時間!?」

「そうだよ。僕も夢中になって話してたから、こんな時間になってごめん」

「違うわ、私のせいよね。ファウストと共同開発するのが楽しくて、時間を忘れてしまったわ。ごめんなさい」


 しゅんとしながらカレンが謝る。でもファウストは嬉しそうに金色の瞳を細めた。


「僕と開発するのが楽しい?」

「ええ、学生の時からそうだったけど、ファウストと話しているとつい時間を忘れるのよね」


 当時もよく話し込んでは帰りの時間になって、慌てて自習室を飛び出したのが懐かしい。好きなことに夢中になって、毎日が輝いていた。


「僕もカレンと一緒に過ごすのは楽しい……本当はもっと話していたい」

「ふふ、そうしたらあっという間に朝になってしまうわ」


 ファウストがふわっと笑みを浮かべ、隣に座るカレンの手を取る。

 グッと身体の距離が縮まり、カレンは途端に落ち着かなくなってソワソワしはじめた。


「カレンと一緒に朝を迎えられたら最高だ」

「そ、そうね……」


 そう言いながらファウストは指を絡ませる。

 ファウストの指先から熱が伝わってきて、カレンの鼓動が早まった。


「ね、ねえ、どうして手を繋いでいるの?」

「そうしたくなったから」

「でも、私とファウストは親友でしょう?」


 以前、確かにファウストは好きな人がいると言った。それはカレンの知る人物だとも。


 だから、ファウストがどんな風に触れてきたとしても、あくまで親友としての範疇はんちゅうだ。


「僕が好きな人と結ばれるために協力してくれるんでしょう?」

「そうだけど……」


 カレンの返事を待っていたかのように、ファウストに抱きしめられる。カレンを横から抱きしめている状態で、ファウストの柔らかな唇が首筋に触れた。


「ひゃっ」

「嫌だった?」


 囁くようなファウストの声が、カレンの耳朶じだを震わせる。ゾクゾクとしたなにかが背中を駆けあがるけど、カレンは必死にやり過ごした。


「嫌ではないけど……突然だから驚いたわ」

「じゃあ、もう少し」


 ファウストの熱を帯びた唇が再びカレンの首筋に押し当てられる。どうしていいのかわからなくて固まっているが、首元からじわじわと熱が伝わりカレンの指先まで火照っていた。


「も、もういい……?」

「まだ」

「ファウスト、ねえ……」


 さらにきつく抱きしめられて、ファウストの腕から逃げ出すこともできない。それに強く拒否したらファウストが傷つくかもしれないと躊躇してしまう。


 ようやくファウストの唇が首筋から離れたと思ったら、真っ直ぐにカレンを見つめる金色の瞳に囚われた。 


「カレン」


 掠れるような声で、カレンの名前を切なげに呼ぶ。


「もっと僕だけ見て」


 もうカレンの瞳にはファウストしか映っていないのに、まだ足りないと言うように。


 ファウストの両手で頬を包まれて、少しずつ距離が縮まる。


 ふたりの唇が触れ合うまでほんの数センチ。


「もっと僕のことだけ考えて」

「ファウスト……」


 まるで世界にはふたりしかいないような錯覚に襲われる。


(どうしてそんなに切なそうに見つめるの? まるで、本当の恋人に向けるみたいな……)


 カレンの心がグラグラと揺れた。


 このままファウストに身を委ねたらどうなるのか。このままなにも考えずにファウストの背中に腕を回したら。


 だが、カレンはハッと我に返る。


 ファウストは親友で、賢者で、公爵家の三男で、想い人がいて、カレンとは結ばれることのない相手だ。


(そうよ、ファウストが好きな人と結ばれるために私は協力しているだけなんだから)


 そう考えるとスッと熱が引いていき、カレンは冷静さを取り戻した。これ以上、こんな風にしているのはお互いによくないだろう。


 カレンの頬を包むファウストの手を取って、彼自身の膝の上にそっと誘導する。


「ファウスト、今日はもう終わりにしましょう」

「……そうだね。戸締りするから、カレンは先に部屋に戻って」

「うん、おやすみ」


 いまだに落ち着かない心臓を隠すように、カレンは振り返ることなく部屋を後にした。


(学生の時に戻ったみたいで楽しかった……あの頃も毎日がワクワクしていたわ)


 でもカレンがサイラスの不貞を暴露したら、この時間も終わるのだとわかっている。


 ファウストはカレンが自由を手にするために、避難場所を用意してくれたに過ぎない。


 それに婚約破棄して自由になったら、きっと領地に戻ることになる。そうなったらただの辺境伯令嬢となったカレンは、ファウストに声をかける機会すらなくなる。


「もう少しだけ、ファウストの開発に協力してからでもいいかしら……?」


 カレンは親友の魔道具開発に貢献するだけだと、自分に言い聞かせるように呟いた。




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