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第15話 筆頭聖女の末路

 グレハース侯爵夫人をはじめとした高位貴族から、聖教会とサイラスは猛烈な抗議を受けた。


 教皇ミカエルはすぐに筆頭聖女を刷新し、今回の王太子との不貞についてはすべて強欲なメラニアの所業で厳重に処罰すると声明を発表したことでようやく抗議が収まった。

 サイラスも同様の発表をしたが、貴族たちの間では王太子の不貞について今も囁かれている。


 ミカエルがそれらの処理をすべて終えるのに二カ月近くかかってしまった。


 聖教会の地下には、罪を犯した聖女が入れられる独房がある。ミカエルは深夜にたったひとりでその独房までやってきた。


 一番奥の独房まで通路を進むと、四方が壁で窓のない一室に蝋燭ろうそくが一本だけあり、その下でメラニアが床に膝をつき祈りを捧げている。


 ミカエルは鉄格子の中へ声をかけた。


「今さら反省したのか?」


 無意味な祈りを捧げるメラニアに失笑しながら、冷たいグレーの瞳で見下ろす。ミカエルの姿を見たメラニアは、おびえるように独房の奥まで後ずさった。


「も、申し訳ございません。せめて女神様に祈りを……」

「お前は本当に無駄なことばかりする」


 そう言いながら、独房の鍵を開けて中へと入る。メラニアはこれ以上ないくらいに恐怖に震えガタガタと震えた。


「だが、無能なお前が役に立つ日が来たぞ」

「えっ……?」


 教皇はメラニアに一枚の書類を投げつける。

 恐る恐る書類を手にしたメラは、内容を読んで両目を見開く。それは魔法宣誓書で、罪を償うため聖教会及びミカエルへ、メラニアのすべてを差し出すというものだった。


 すでに教皇としてミカエルのサインが記されている。


「これにサインしたらお前の罪を私が赦してやる」

「ほ……本当ですか?」


 メラニアはこの寛大な処置に希望を見出した。

 これまでミカエルは教皇として公明正大で誠実な人格者として、メラニアたち聖女に接してきたのだ。


 きっとこれまでのひどい仕打ちは、メラニアを反省させるためだったのだと受け止める。


「ああ、これからはメラニアのすべてを私に捧げてくれるな?」

「はい……! はい、もちろんです!」


 メラニアはポロポロと涙をこぼしながら、魔法宣誓書にサインをした。青白く光った書類を見てミカエルは満足げに笑みを浮かべる。


「そうだ、最後にサイラスからの手紙を読むか?」

「サイラス様が……!」


 ミカエルが胸元から一通の手紙を差し出すと、メラニアは奪い取るように手にしてすぐに読みはじめた。


 だが、その表情にはじわじわと苦悩がにじみ、最後には呆然としている。


「どうした? 愛しの王太子からの手紙なのに喜ばないのか?」

「そんな……こんなの嘘ですよね……? サイラス様が、全部わたくしのせいだと言うなんて……!」


 サイラスからの手紙にはこうつづられていた。


 王太子として聖女の悩みを聞いていただけなのに、不貞を働いたとされ非常に遺憾であり、原因は節度をわきまえなかったメラニアにある。

 あくまでもサイラスは潔白で、婚約者を大切にしているというものだった。


 しかもよく見ると、宛名は聖教会となっていて、決してメラニア個人に送ったものではない。


 つまり、これが王太子サイラスとして、第三者に向けての正式な表明となるのだ。


「どうして……! あんなに愛を注いでくれたのに! あんなにわたくしを……!」


 そこでメラニアはある可能性に気付く。


「教皇様、このお腹にはサイラス様のお子が宿っている可能性があります! つい先日も愛されたばかりですし、もしかしたら――」


 そこでメラニアは言葉が途切れた。

 左手首を掴まれメラニアはミカエルに強引に口づけされる。驚きで一瞬固まったが、右手でミカエルの胸を叩いて必死に抵抗した。


「んんんっ!」


 叫ぼうとして口を開けばミカエルの舌が入り込み、メラニアを懐柔していく。どんなに足掻あがいても、どんなに抵抗しても、ミカエルはある目的を果たすまでメラニアを自由にするつもりはなかった。


 ミカエルの死の口づけは、メラニアから魔力を奪い尽くす。


(どうして……!? 魔力が……嫌っ! 嫌ああああっ!)


 言葉にならない叫びはミカエルの口づけに呑まれ、やがて抵抗していた右手は力を失う。


 ミカエルがようやく唇を離した時には、メラニアの命の灯火は完全に消えていた。血の気を失ったメラニアの身体はミカエルの支えを失って、冷たく固い床に崩れ落ちる。


「ふん、筆頭聖女の魔力といえども、たいして美味くもないな。だが、魔力量だけはまあまあか」


 ――カタン。


 背後から音が聞こえてミカエルは瞬時に振り返った。だが、人の気配はなくネズミが独房の外で床を這いずり回っている。


「ネズミか。まあ、万が一見られたとしても、始末すればいいだけのことだ」


 魔力が満ちてわずかにあふれ出し、聖魔法の白い幻想的な光がミカエルの身体を包み込む。


 先ほどのネズミを結界に閉じ込めて、そのまま白い光の刃を放ち切り刻んだ。結界の中で赤く染まったネズミを一瞥いちべつし、ミカエルは思考を切り替える。


「さて、私のカレンを奪い返さねば……」


 ミカエルの記憶の中のカレンは、いつも嬉しそうに、穏やかで優しい微笑みを浮かべていた。


 純白の聖女の衣装が誰よりも似合っていて、その細い肩にのしかかる聖女としての責務を果たし、りんと前を向く姿に何度心を奪われたことか。


「カレン……私の〝宿命の片翼〟」


 この世界で出会うことすら奇跡と言われる〝宿命の片翼〟。それは一億人にひとりとも言われる、強烈にかれ合うことが定められた相手だ。


 魔力の波長が完全に一致して、ひと目見ただけで特別だとわかった。貴族学園で初めてカレンを見つけたあの日、ミカエルは己のすべてを投げ打ってでも自分のものにすると心に決めた。


 しかし、今のカレンはミカエルの記憶とどこか様子が違う。

 あの時のような心のつながりを感じない。これはいったいどういうことかとミカエルはずっと考えていた。


(いつからだ……? カレンが私をあんな冷めた目で見るようになったのは……)


 ミカエルは食い違う記憶を遡る。


(そうだ、確か……聖女を辞めると言った時か。いや、違う。もっと前からだったような気もする)


 絡まる記憶が脳裏を巡り、結論が出ない。ミカエルはそれ以上深く考えるのをやめて独房を後にした。




 翌日、枢機卿すうききょうからメラニアが独房で死んでいたと報告を受け、悲しみに暮れる教皇を演じる。


 筆頭聖女であるメラニアの死を悲しんだ聖女や神官たちは、大聖堂へと集まっていた。


 その場でサイラスからの手紙を読み上げ、噂は事実無根であることを伝え、メラニアの死を悼むふりをする。


「……おそらく筆頭聖女であることの重責に押しつぶされ、メラニアは心優しいサイラス殿下に縋ったのでしょう。手厚く葬り、皆で祈りを捧げるのです」

「教皇様……ああ、なんて慈悲深い……!」

「そうですね、メラニア様のためにも祈りを捧げて、心穏やかに天国へ召されるようにしましょう」


 そこでミカエルはひとりだけ青い顔で俯いている聖女を見つける。決してミカエルと視線を合わせず、ジッとこの場をやり過ごすように立っていた。


(あれは確かケイティという女だったか……昨夜いたのはネズミだけではなかったようだ)


 ミカエルはケイティを視界に捕らえたまま、どのように処分するのがベストか考える。


 あのネズミのように結界に閉じ込めて処分するか、メラニアのように魔力を奪うのでもいい。聖女の魔力はミカエルに想像以上の力を与えてくれる。


(ああ、そうだ。カレンと親しくしていたな。ふむ、いいことを思いついたぞ)


 カレンが聖教会へ戻ると確信したミカエルは、天使のように穏やかな笑みを浮かべた。




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