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第13話 攻勢に転じる悪女

「――私が正教会で不正を働いていた? なにその噂」


 そんな噂が流れているとカレンが聞いたのは、サイラスの証拠を集めはじめて三カ月が経った頃だった。


 ファウストが眉間に皺を寄せながら詳しく聞かせてくれる。


「それだけでなく仕事もせずに毎日怠けてばかりで、女神に祈りも捧げず教皇の不興を買い、聖教会を追い出され……婚約者がいるのに他の異性をたぶらかしていると、貴族たちや王都の住民たちの間で流れている。今回は勢いがあって広まるのが早かった」


 前回の噂はサイラスが主導で、高位貴族を中心に広められたものだからじわじわと周知されていった。しかし、今回は噂が出始めてから一カ月ほどで王都の住民にまで知れ渡っている。


「他の異性って……よく話すのはファウストくらいだけど」

「うん、どうやら僕はカレンに誑かされているらしい」

「なんていう誤解なの」


 カレンは愕然がくぜんとした。

 よりにもよって賢者であるファウストを、ただの辺境伯令嬢が誑かすなんてできるわけがないだろう。特にファウストは真面目で倫理観もしっかりしているのだ。


 うっかり誘惑したところで、今夜っく者のいるカレンと間違いが起きることなんてない。


「いっそのこと僕を誘惑してみる?」


 ファウストが妙に艶っぽい視線をカレンに向ける。キラキラと輝く金色の瞳の奥には熱がくすぶり、あまりにも蠱惑的こわくてきだ。


 しかし、カレンには現時点で婚約者がいるし、大親友との関係を壊したくない。


「面白そうだけど、やめておく」

「それは残念」


 名残惜しそうに視線を逸らすファウストに心臓がドキドキと音を立てはじめる。

 学生と時は幼かったこともあり大親友に異性を感じなかったが、大人となったファウストは相応の魅力を持つようになった。視線ひとつでカレンを翻弄するのだからタチが悪い。


 カレンはそんな自分をごまかすように話題を変えた。


「それにしても悔しいわ。聖教会にいたら噂通りに振る舞ったのに」

「ふはっ……それはそれで楽しそうだな。まあ、カレンを聖教会に戻す気はないけど」

「大丈夫よ。私も戻る気はゼロだから。でもいつも後手に回っているのが悔しいわね」


 しかし敵が先手を打ち、カレンたちが後手に回っている状況も気になる。毎度やり返してはいるが、こちらからなにかできないものかとカレンは考えた。


「じゃあ、そろそろこちらから仕掛けてみる?」


 ファウストはそう言って、まるで悪魔のように微笑んだ。




 それから十日後、カレンとファウストはグレハース侯爵が開催する夜会に参加していた。


 賢者となったファウストにはさまざまな招待状が送られてくるらしい。その中でもある人物がかかわる夜会を選んだ。


 会場に入ってすぐにファウストはうっとりと囁く。


「今日のドレスもよく似合っている。他の男に見せるのが惜しいな」


 薔薇ばらの飾りがついたマーメイドラインの真紅のドレスは、カレンの美しさを際立たせていた。ホルダーネックの首元は黒いレースになっていて、そろいの黒いレースのグローブにも小粒のダイヤモンドが散りばめられている。


 耳元で揺れるしずく型のダイヤモンドのイヤリングは、キラキラと反射してカレンをさらに美しく見せていた。


「お世辞なんて言わないでよ」

「僕は嘘なんてつかない」


(ファウストはそう言うけど、バチバチに嫉妬にまみれた視線を感じるわ……!)


 正装を身にまとったファウストは颯爽さっそうとカレンをエスコートしている。


 漆黒のジャケットに真紅のポケットチーフを飾り、適度に鍛えたファウストの上半身はカレンのドレスと同じ赤いベストを合わせていた。

 スリムなパンツは長い足を際立たせて、セットした髪が後ろに流し端正な顔立ちを披露している。


 貴族女性たちはチラチラと熱い視線をファウストへ向け、ギラギラとした刺すような視線はカレンに向けてきた。


「やっぱりファウストといると注目を集めてしまうわね」

「前にも言ったけど、注目を集めているのはカレンだよ」

「でも、貴族男性に視線を向けてもすぐに目を逸らされるから、それは気のせいだと思うわ」


 カレンが異性へ視線を向けると最初はパッと微笑んでくれるのに、すぐに青い顔で横をむいてどこかへ行ってしまうのだ。きっと噂の悪女だと気が付いて、関わり合いたくないのだとカレンは思う。


「……それは僕が羽虫どもに圧力をかけているから」

「え?」


 ファウストの言った言葉がよく聞き取れなかったが、次の言葉にカレンの意識が逸れた。


「カレン、目的の人物がいた」


 カレンたちが夜会に参加した目的は、社交界に絶大な影響を及ぼすグレハース侯爵夫人だ。王妃の実妹で発言力が強く、夫の浮気で苦しんでいた彼女は不貞を許さない。


 サイラスとメラニアの不貞の話をグレハース侯爵夫人の耳に入れて、真実を明かした時の追い風にしたいと考えた。


 信じてもらえる可能性は低いが波紋が広がれば十分だ。もしカレンの元へ調査員が来たら、証拠を渡してサイラスの有責で婚約破棄をしてもいい。


 どちらに転んでもカレンに損はないのだ。


「直接訴えるのも芸がないわね。あちらのご令嬢たちを使いましょうか」

「じゃあ、僕はカレンの悪女っぷりを特等席で見てるよ」


 カレンは入場した時から嫉妬だらけの視線を向ける令嬢たちの元へと向かい、しれっと声をかけた。


「ごきげんよう」

「ご、ごきげんよう」

「……ごきげんよう」

「…………っ!」


 カレンから話しかけられると思っていなかったのか、令嬢たちは狼狽うろたえている。そこで噂通りの悪女に見えるよう、腕を組んで喧嘩けんか腰で言葉を続けた。


「貴女たち、先ほどから私を見つめているけど、なにか言いたいことでもあるの?」

「別に、見つめてなんていないわよ!」

「そうよ、ただファウスト様には釣り合わないと思って……!」


 それぞれの反応を示した令嬢たちを見て、カレンはニヤリと笑う。


「ファウスト様、このような悪い噂のある女性をエスコートされるなんておやめになった方がよろしいですわ!」

「……は?」


 三人目の令嬢が発した言葉でファウストの声色が変わったので、慌ててカレンは口を挟んだ。


「悪い噂? ふふふ、それがなに? 私の質問の答えになっていないわ。受け答えも碌にできないなんて、どんな教育を受けてきたのかしら」

「なっ! なんですって!?  あんたみたいなあばずれの悪女がファウスト様のパートナーだなんて、許せないわ!!」


 ここまで喧嘩腰で返してくれてむしろありがたいが、親友思いのファウストはあまりあおらないでもらいたい。怒りを抑えるファウストから冷気が漏れ出している気がする。


 親友を落ち着かせるためにも、令嬢たちの神経を逆撫でするためにも、カレンは妖艶に微笑みファウストの腕に絡みつくようにしなだれかかった。


「あら、頭だけじゃなくて、目も悪いのね」

「ちょっと! いい加減にしなさいよ!!」


 ひとりの令嬢が顔を真っ赤にして、手を振りかざす。

 カレンは避ける気もなかったが、令嬢の後ろから待ち望んだ人物が現れた。


「この騒ぎはなんなの?」

「グレハース侯爵夫人……!」


 カレンたちを囲むように人だかりができて、その中からグレハース侯爵夫人が歩み出てくる。


 目的の人物を誘い出し、注目を集めることができたカレンは口角を上げた。



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