◇ ◇ ◇
貴族学園に入学したばかりのファウストは、いつもひとりで過ごしていた。
周りに興味がなくいつも無表情でほとんど話さない。でも大好きな魔法については誰よりも情熱的に語る少し変わった存在だ。
『うわっ! 魔法オタクが来た』
『あいつがいるとこっちまで暗くなるんだよなあ……』
『あんなのが公爵家令息なんてずるいよな。オレだったらもっと評価されてるのにな』
『本当、エヴァリット公爵家の汚点と呼ばれるだけある』
そんなファウストは周りの生徒たちに頭のおかしい根暗な魔法オタクと言って嘲笑されていた。さらにファウストがなにも言い返さないので、ますます当たりはきつくなる。
『おーい、ファウスト!』
『え……っ!』
振り返ったファウストの顔に初級魔法のウォーターボールが当たった。制服は水浸しになり、よろけて尻餅をついてしまう。
まさか学園の通路で攻撃魔法を放つとは思わず、不意打ちをくらい防御魔法を展開するのが間に合わなかった。
『ギャハハッ! クリーンヒットォォ!』
『えー、ちょっとやめなさいよ。面白すぎるから!』
『ねえ、次は泥団子でも当てたら楽しそうじゃない?』
『お、それいいな! 誰か土属性が得意なヤツ呼んでこようぜ!』
『…………』
ファウストはギュッと拳を握って転移魔法で消える。
すでに魔導士になれるほどの実力を身につけていたファウストは、すぐに清浄魔法で身だしなみを整えた。それから毎日身の回りに結界を張って、魔法攻撃を防ぐようになる。
それが面白くなかったのか、今度はいじめっ子たちに取り囲まれて進路を阻まれることが増えた。
『おい、この結界を解けよ!』
『そうだぞ、卑怯者!』
『あんたは泥まみれがお似合いなのに!』
男子生徒がバンッと強く結界を
(黙らせるのは簡単だけど、後処理が面倒だな……)
ファウストの実力があれば、ムカつく奴らなど一瞬で吹き飛ばすことができる。
(でも、こういう奴らに限って攻撃されたらうるさいんだよな。そうなったら父様と兄様に
いくらファウストが公爵令息だと言ってもまだ十歳の子供だ。相手が騒げば父や兄の耳に入るので仕方なくおとなしくしている。
兄たちは優秀で父から愛されていたが、ファウストは魔法しか取り柄のない出来損ないと言われ、貴族として失敗するたびに
(早く僕に飽きてくれないかな……)
ファウストは感情のない瞳で、目の前の名前もわからない同級生たちを見つめた。
ところがある日、ひとりの女生徒が割って入ってくる。
『ねえ、ここにもうすぐへラ先生が来るわよ』
『げっ! あいつが来たら怒られる!』
『ここで見つかったら単位もらえないじゃん』
『わたし、用事があるからまたね〜!』
その女生徒のひと声で学生たちが散り散りに逃げていった。ホッとした様子の女生徒はなぜかファウストに近づいてきて、ニコッと笑いかける。
『ふう、うまく追い払えてよかったです!』
『……なにか用?』
『ファウスト・エヴァリット様。貴方の弟子にしてください!』
『…………は?』
突然の申し出に思わず素で返してしまう。しかしそんなことは気にならないのか、女生徒はキラキラしたアメジストのような瞳でファウストを見つめた。
『貴方に魔法を教えてもらいたいのです。あ、ファウスト様に意地悪する人たちは邪魔だったので排除しました』
『邪魔……』
ファウストはようやく目の前の女生徒がクラスメイトであることを思い出す。辺境伯の令嬢で、いつも真摯に授業を受けていた。まさかこんな面白い思考の持ち主だとは思ってもいなかったが。
『ファウスト様も同じ気持ちだったと感じたのですが、違いますか?』
『まあ、たしかにうんざりしてた。……それにクラスメイトだから、弟子じゃなくて友人になるのが先じゃないのか?』
『友人……! ありがとうございます! 私は――』
『カレン・オルティスだろ? 真面目な生徒はちゃんと覚えてる』
花がほころぶように少女が笑う。
その瞬間、ファウストはカレンの笑顔が脳裏に焼きついた。
それからファウストはカレンを目で追うようになった。
カレンは決して気が強くないけれど、周りをよく見ていてさりげなく気遣いをする。その場の空気を和ませ、みんなが楽しく過ごせるように誘導するのがうまかった。
そんな繊細な優しさが好きで、いつもジッと見つめてしまう。
だから、カレンが誰を見つめているかなんて、嫌でもわかった。
でも、ファウストが語る魔法の話をいつでも熱心に聞いてくれるのがたまらなく嬉しくて、意見交換する時のキラキラしたアメジストの瞳から目が逸らせない。
『ファウスト様はこんなこともできるのですか!? すごいです! やり方を教えてください!』
『ああー! この魔法も使えるんですか! 見せてください! 今すぐ!!』
『はあ、ファウスト様の魔法は綺麗ですね。無駄がなくて優しくて、ずっと見ていたいです』
(父様も兄様も出来損ないだって言うのに、カレンだけは違う……僕の魔法を褒めてくれる)
否定されないことが、認めてもらえることが、こんなにも嬉しいことだとは知らなかった。
教師たちは父からきつく
(ふたりでいる時は、僕だけを見てほしいな……)
放課後の図書室では、誰にも邪魔されないようにこっそり席の周りに遮音と不可視の結界を張った。
敬語を使われるのが嫌で、親友だと伝えて名前で呼び合うようにした。
ファウストにとって、カレンと過ごす時間はいつの間にか特別なものになっていた。
おかげで結界の腕はみるみる上達して、カレンまでいじめられないようファウストは密かに行動する。
ある日の放課後、いじめっ子たちを遮音と不可視の結界に閉じ込めて、その中でファウストは魔法で炎の矢を放った。
いじめっ子たちは逃げ惑うが、外に出られず叫び声も届かない。
『きゃあああっ! いや! 来ないでよ!』
『誰かっ……誰か、助けてくれー!!』
『こ、殺される……わああああああ!!』
炎の矢はジリジリと、しかし確実にいじめっ子たちを追い詰める。最後に腰を抜かしたいじめっ子の股ぐらに炎の矢を突き刺してこう言った。
『この先、カレンと僕に手を出したらお前たちを殺す。他言しても殺す。僕が本気を出したらどうなるか……わかるな?』
ほんの少し脅したら、いじめっ子たちは泣きながら何度も頷いていた。うまくいってよかったと思う。
その後の学園生活はすこぶる快適になった。
カレンはたまに目が合うとふんわりと微笑んでくれて、その瞬間は心臓がギュッと締め付けられる。
それがなんなのか当時のファウストはわからなかったが、どんな時でも頭の中にカレンが浮かぶようになっていた。
『カレン、どうか僕と踊ってくれませんか?』
『はい、喜んで! ファウスト、誘ってくれてありがとう!』
十五歳になり、卒業パーティーでものすごく勇気を振り絞ってダンスに誘い、カレンと踊れたのは今も胸の中で
たとえ自分に気持ちが向くことがないとわかっていても、ずっとカレンのことが気になっていた。
卒業後すぐに婚約を結んで聖女になったことを知り、その時は胸にぽっかりと穴が空いたようだった。
とてつもない喪失感に襲われたが、魔法しか取り柄のない自分がどうこうできるわけもない。カレンが幸せになるならいいとファウストは思っていた。
◇ ◇ ◇
(だから、僕は)
ファウストの脳裏に記憶の断片が浮かびあがる。
厳かな空気の大聖堂。サイラスと口付けをして倒れるカレン。輝きを失ったアメジストの瞳。王座を手にした邪悪な男。血に染まる城内。炎に包まれる王都。
(今度こそ――)
決意を秘めた金色の瞳は、頬を染めるカレンの姿を映していた。