ファウストの
真面目な顔で言うその言葉が心からのものだとわかる。ファウストはよく話すタイプではないけれど、カレンに嘘をついたことはない。
魔法のこと以外は口下手だけど懸命に言葉を尽くし、いつでも正直に語ってくれた。
思えばサイラスの言葉はどこか薄っぺらかった。いつも穏やかに微笑んではいたけれど、決して気持ちがこもっていない。
「カレンはあの男を……王太子を、今も愛している?」
わずかに震える声でファウストが問いかけた。
しかし、カレンはその問いかけに答えることができない。
「愛……」
今もサイラスを愛しているのか。その返答に言葉が詰まった。
「ごめんなさい、今は、考えられない……」
「わかった。一旦部屋まで送る」
そっと抱きしめられるようにして、ファウストの転移魔法で宿舎の部屋に戻った。
「ファウスト、ありがとう。おやすみなさい」
「……今夜はそばにいる」
「大丈夫よ、ひとりで平気だから」
「絶対に平気じゃないだろ。カレンをひとりにしておけない」
親友の優しさがカレンの傷だらけの心に染み渡る。でも、これ以上甘えてはいけない。カレンは婚約者がいる身だから、親友とはいえ異性と一緒にいるところを見られたらファウストに迷惑がかかってしまう。
カレンはファウストに頼りたい気持ちをグッと抑えた。
「それじゃあ、私がファウストを呼んだら、その時はすぐ来てくれる?」
「……わかった」
ファウストがカレンの額に手をかざし、なにかを呟くとホワンと温かな魔力が流れ込んでくる。
「通信魔法をかけたから、僕の名前を言えば駆けつけられる。世界を変えたくなったら必ず呼んで」
「ありがとう」
しんと静まり返った部屋で、先ほどのファウストの言葉が甦る。
『君はあの男を……王太子を、今も愛している?』
愛していたことは事実だ。結婚式の時は本当に世界一幸せな花嫁だと感じていた。
サイラスは魔力が足りないだけで素晴らしい王子だとも思っていたから、すぐに心奪われた。この婚約は父も兄も喜んでくれたし、領地のためになるとも思った。
なによりも愛するサイラスの期待に応えたくて頑張ってきたのだ。
サイラスの笑顔が、喜んだ顔が見たかった。サイラスに必要だと言ってもらえて、愛されているのだと信じていて、それが本当に嬉しくて幸せだった。
(どうして……こんなことになったのかな……)
ひとりになって、
王城ではショックの方が大きくて、
「ふっ……ううっ……」
ボロボロの心が悲鳴をあげる。
ボタボタと大粒の涙があふれ、枕を
「信じてたのに……! 必要だって、言ってくれたじゃない……! サイラス様を本気で愛していたのに……!!」
サイラスに求められたことが嬉しかった。必要なんだと言ってもらえて、自分の存在価値を認めてもらえた気がした。
「ううっ……ゔゔゔっ……!」
でも、それが全部まやかしだった。
裏切りを知り、胸に鉛が落とされたように心が沈む。
身を切り裂くような悲しみがあふれて止められない。
「うあああああああっ……!!」
なにも知らなかった頃の純真な愛がゆっくりと死んでいく。
カレンはこの夜、感情がなくなるまで泣き続けた。
その後、カレンは一週間ほど部屋から出られなかった。
泣いて泣いて、泣き疲れて眠り、思い出しては涙で頬を濡らした。ケイティが
聖教会にはケイティがうまく伝えてくれたのか、教皇からゆっくりと休むようにと手紙が届いた。
四日過ぎた頃には涙が枯れ果てて、廃人のように窓の外を眺めた。
突き抜けるような青い空に真っ白な雲がゆっくりと流れていく。そんな景色を眺めながら、カレンはジッと考えていた。
いつからメラニアと不貞を重ねていたか知らないが、あの様子では今回が初めてではないだろう。カレンはずっとあのふたりに裏切られてきたことは容易に理解できる。
しかもメラニアは筆頭聖女の立場を使って、カレンに過酷な聖女の役割を押し付けていた。そもそも王太子の婚約者と同時に聖女に任命されるなんておかしくないだろうか?
霧が晴れていくように、カレンの思考も明瞭になっていく。
気が付けば八月の最終日となっていた。
(私もお父様もお兄様も、サイラス様から婚約の打診をもらって舞い上がっていたから、おかしなことに気が付かなかったわ)
カレンの母が幼い頃に病で亡くなってから、父と兄は不器用ながらも愛情たっぷりに育ててくれた。辺境伯として武術には長けていたが、政治にはからっきしな父を恨む気持ちなど
カレンを心から愛してくれる父と兄がいる。聖女の宿舎にはケイティもいるし、学園時代の親友だったファウストがここまで来てくれた。
(裏切られて本当にショックだったけど……私を大切にしてくれる人もいる)
必死の努力が嘲笑われていたこと、ずっと
ようやく、サイラスへの愛は粉々に砕けてしまったのだと思えた。
「ファウスト」
心が決まったカレンは親友の名を呼ぶ。
シュンッという音と共に空気が大きく揺れて、ふわりと頬を
「カレン」
「ふふっ、一瞬で来てくれるとは思わなかったわ」
「うん、呼んでくれるのを待っていた」
髪はボサボサで頬がこけ目の下にはひどいくまができたカレンを見て、ファウストは切なそうに金色の瞳を細める。
カレンはカサカサの唇でニッと笑い、ファウストにはっきりと伝えた。
「私はもうサイラス様を愛せない」
「そうか……」
ホッとしたようなファウストの声に、随分と心配をかけてしまったと反省する。
しっかりとファウストの金色の瞳を見据え、カレンは心の叫びを伝えた。
「それに
この瞬間から、カレンの人生が大きく動き出した――。