カレンはケイティの言葉を聞いて、ありえない現実に思考が空回りする。
婚約を結んだのは七九四年の初夏だから、サイラスと婚約を結んで三年が経った頃だ。
「サイラス様……サイラス様は……?」
カレンを認めてくれた唯一の人。彼は今どうしている?
「サイラス様なら、昨日カレンと面会していたじゃない。疲れすぎて記憶が飛んでしまったの?」
「昨日、来たのね……」
サイラスは王太子として忙しくしている。カレンに会うため聖教会にも来てくれるが、月に一度か二度だ。
(次に来るのは二週間後かひと月後……そんな悠長に待っていられないわ)
「ケイティ、ごめんね。今日は頭が痛くて、午前中はお休みするわ」
「え、大丈夫? 後で薬を持ってこようか?」
聖教会ではケイティの存在に、何度救われてきたかわからない。
カレンがつらい時に寄り添い、魔力が回復しきらず朝起きられない時は、こうして部屋まで来て朝食に遅れないよう助けてくれていた。
「ありがとう。でも大丈夫よ。魔力が回復しきっていないだけだから。午後からはいつも通りお役目をこなせるわ。それより食堂に行かないと朝食の時間が終わってしまうわよ」
「うん……無理しないで、ゆっくり休んでいてね」
心配そうにしながらも食堂へ向かうケイティを見て、カレンは懐かしさと嬉しさが込み上げる。
泣きそうになるのをこらえて、そっと扉を閉じた。
カレンはひとりになった部屋で、改めて思考を巡らす。
(どうしよう、時間が戻ったなんて無闇に言えないわ。サイラス様なら信じてくれるかしら……?)
サイラスとはすでに婚約を結んでいて、結婚式まで挙げた相手だ。彼ならわかることがあるかもしれないし、王族だから調べられることもあるかもしれない。
信じてもらえるかどうかはともかく、話してみる価値はある。
午前中はまだまだ混乱している頭を整理するために使い、午後から結界に魔力を注いで、サイラスが就寝する前に会いに行けるだろうか。
「あ、そうだわ。この時期は結界に魔力を注いでよく倒れたっけ……」
何度も魔力切れを起こしているうちに、魔力の総量がじわじわと増えて倒れなくなったのは結婚式の二年前くらいからだ。
もし倒れてしまったら先ぶれを出しても行けない。そうなったらサイラスの貴重な時間を無駄にしてしまうことになる。
「必ず先ぶれを出せと言われていたけれど……仕方ない、行けそうな時に行くしかないわね」
午後になり、カレンは結界へ魔力を込めるべく
祈祷室は聖教会の最奥にある一室で、初代聖女が結界を張った神聖な部屋として厳重に管理されていた。
一般公開されている礼拝堂から教会関係者の区域を通り過ぎ、さらに渡り廊下を進むとドーム型の屋根の建物が立っている。
ドーム型の建物には聖魔法を使わないと開けられない鍵がかけられていて、聖女や神官、教皇以外は入室ができない。万が一にも王都を覆う結界が破られないようにする措置だ。
いつものようにカレンは祈祷室へ入った。
ドーム型の天井はガラス張りになっていて、午後の日差しが室内に差し込み穏やかな空間を作り出している。
カレンは迷いなく中央にある女神像の前に立ち、両手をかざして魔力を流し込んだ。
結界を維持できるくらい魔力を流し込むと、女神像が淡い光に包まれる。カレンは女神像を見上げながら、魔力を注ぎ続けた。
しばらくすると、カレンの魔力の半分ほどで女神像が光を放つ。
「
時間が戻る前でも、こんなに余裕を持って結界を維持できたことはない。いつもならもっと時間がかかっていたし、もっと疲労感が押し寄せていた。夕日が沈む前に終わることはなかったのだ。
もしかしたら意識を失った時になにかがあったのかもしれないと、カレンは考えた。
「サイラス様がなにかご存じならいいけど……」
よぎる不安から目を逸らして、カレンは夕食後に王城へと向かうことにした。
東の空から月が上る頃にカレンは王城へ到着した。
聖女でもあり、婚約者でもあるカレンは王城へは許可がなくとも入ることができる。こんな遅い時間に来ることはなかったが、王城の扉はすんなり開かれた。
城内を歩いていると、前方から門番から知らせを受けた文官が息を切らしてやってくる。
「聖女様、サイラス殿下は執務室にいらっしゃいます。ご案内いたしましょう」
「ありがとうございます。ですが今回は先ぶれもなく来ましたし、貴方の仕事の邪魔をしたくありません。案内は結構です」
「そうですか……承知いたしました。なにかありましたら、騎士が巡回しておりますのでお申し付けください」
カレンは申し訳なく思うのと、相談内容が特殊なので人を介したくないのもあり丁重に案内を断った。妃教育で学んだ作法とも異なるが今回ばかりは仕方ない。
すでに日勤の勤務者が帰った後の場内は静まり返っていて、カレンの小さな足音がするだけだ。聖女は華美な服装を身につけないので、ヒールのないショートブーツに全身を覆うような白いローブを衣装としている。
カレンは難なくサイラスの執務室までやってきて、扉をノックしようとして僅かに扉が開いていることに気が付いた。
(どなたか女性の先客がいらっしゃるのかしら……?)
王族や貴族は貞淑さが求められるため、婚約者や伴侶以外の異性と密室でふたりきりならないよう扉を開ける習慣がある。それは王太子の執務室でも同様だ。
「もう、こんなところじゃダメです」
「そうか? 身体は嫌がっていないようだが?」
「あっ! 待って、誰か来たら……」
「こんな時間に俺の執務室へ来る者はいないさ」
聞こえてきた会話に、カレンは石のように固まって動けない。
その声は間違いなく、サイラスのものだ。
「せめて扉を閉めてください! もし聞かれたらわたくし恥ずかしくて……」
「メラニアは恥ずかしい方がいいだろう?」
「待って、まっ……ああっ!」
(嘘、どういうこと……? メラニアって、この声は筆頭聖女メラニア様……!?)
扉の隙間から漏れ出すメラニアの