カレン・オルティスはこの日を迎えるのが待ち遠しかった。
純白のドレスに身を包み、長いベールを揺らしながら、一歩一歩レッドカーペットを進んでいく。
正面にはこの世界を創造した女神グレアの像と教皇、これから生涯を共にする伴侶が待っていた。
ゴーンゴーンと大聖堂の鐘が鳴り響き、参列者たちは静かにカレンを見つめている。
この日、結婚式を挙げるのはこの国の聖女カレンと王太子サイラス・リグルトだ。聖女と王太子の結婚式は特別らしく、参列者は王族と教皇、それから高位神官たちだけだとサイラスに説明された。
本当は父にエスコートされヴァージンロードを歩むのが夢だったけれど、聖女と王太子の結婚式なのだから仕方ないとあきらめたのだ。
真紅のカーペットを進みながら、これまでの過去を振り返る。
カレンは十五歳の時に、貴族学園の魔力検査で膨大な魔力があると診断された。
その結果は瞬く間に貴族や王族、聖女を管理する聖教会へ流れ、さまざまな手紙が送られてきた。
その中でも辺境伯令嬢であるカレンが無視できなかったのは、当時第一王子だったサイラスからの婚約の打診と、聖教会の最高責任者の教皇から送られてきた聖女への勧誘の手紙だ。
なんでもサイラス王子は他の王族よりも魔力が少なく、伴侶に魔力の多い女性が求められるのだという。剣の腕は優秀なサイラス王子は赤髪の
カレンが婚約者になれば、立太子も間違いなしと言われるほど、魔力以外は非のない王子だった。さらに結婚するまでは聖教会に身を寄せて、聖女として国に尽くすことも推奨されたことがオルティス辺境伯の決断を後押しした。
国への忠誠心からオルティス辺境伯はこれらを受け入れ、サイラスは学生だったカレンの卒業を待って婚約し立太子したのだ。
こうしてカレンは王都にある聖教会の宿舎で過ごすことになった。妃教育をこなしながら、聖女として王都の結界に魔力を注く生活は、忙しくも充実した毎日で、月日が経つのはあっという間だった。
しかしカレンが慣れてくると、ひとりで王都の巨大な結界を維持することを筆頭聖女のメラニアから命じられる。
いくら魔力が膨大だといっても、通常十人ほどで維持する結界をひとりでまかなうのは厳しかった。
それでもカレンは回復薬も使用しながら役目をこなそうと必死に努力した。
魔力は人体に欠かせないもので、極度に不足すると生命の危機にもつながる。途中、何度も魔力不足になって倒れたが、決して投げ出すことはなかった。
それはサイラスのこんな言葉があったからだ。
『カレンのおかげで王都は安全な場所になっている。結婚式までは聖女として励んでほしい』
『お褒めいただき光栄です。これからも精進してまいります』
『俺にはカレンが必要だ。これからもよろしく頼む』
『はい、誠心誠意尽力いたします』
カレンを支えていたのは、国のために、またサイラスのために役立つことができて
だからこの結婚が最高の幸せをもたらすのだと信じて疑わなかった。
カレンは希望があふれる未来を想像しながら、サイラスの隣に立つ。
これから人生を共にする伴侶と見つめ合い、教皇の前へとさらに進んだ。
「王太子サイラス・リトルトン。
「はい、誓います」
「聖女カレン・オルティス。汝は夫サイラスを敬い、すべてを
「はい。誓います」
この世界を創造したと伝えられる神グレアに誓い、ふたりは書類にサインをする。完成した書類は青白い光を放ち、これで夫婦として認められたのだとカレンは喜びを
最後に夫婦となった証である誓いのキスを交わすため、カレンとサイラスが向き合う。
サイラスによってベールを上げられると、誰もが振り向くようなカレンの美貌があらわになった。
カレンがこれほどまでに美しいことを知らない参列者たちはわずかに騒めく。
サイラスの海のような
吸い込まれそうなほど深い青に写っているのは、この日のために着飾ったカレンだけ。
(これからは、サイラス様と共に――)
カレンが瞳を閉じると、サイラスの熱い唇がカレンの柔らかな唇に触れた。
――だがその瞬間、カレンの運命は静かに最後の時に向かって進みはじめる。
「……っ!?」
触れるだけの誓いのキスなのに、身に覚えのある感覚がカレンを襲う。
(どうして……!? 魔力が身体から抜けていく……!)
まるで結界に魔力を注ぐ時のように、カレンの身体から急速に魔力が失われていった。
何度も経験してきたことだから間違いない。今この瞬間もカレンの身体から魔力が奪われている。
突然の出来事に驚き、思わず両目を見開いた。
(サイラス様……! ダメだわ……力が抜けて、立っていられない……)
膝から崩れ落ちそうになるカレンを、サイラスの
ついさっき女神に誓った通りに、苦しい状況に置かれたカレンを強く抱き寄せ、さらに深く口付けをしてくる。
チラリと視線を横へ向けると、教皇も穏やかな笑みを浮かべてカレンたちを見守っている。
(教皇様、助けて……!)
カレンはこの結婚式に参列している王族や高位神官へ必死に助けを求めようともがいたが、すでに抵抗できるだけの力が残っておらず魔力は奪われるばかりだ。
(このままでは、魔力が尽きてしまう……!)
ツーッとカレンの血の気の失せた頬を涙が伝った。
悲しみからなのか、悔しさからなのか、それともただの生体的反応なのか。
そうして絶望の中でカレンの命は
「カレン……お前の命は俺が有益に使ってやる」
(え……? どういう――)
それが最後に聞いたサイラスの言葉で、カレンの意識は途絶えた。
* * *
ふと、深い深い闇の底からカレンの意識が浮上する。
こんなにも深く眠っていたことがあっただろうかと、カレンは思った。
最近は結婚式の準備もあって忙しかったから、いつもより深い眠りだったのかもしれない。
そこで最後の記憶が結婚式だったことを思い出し、勢いよく飛び起きた。
周りを見渡すと、今まで使用していた聖女の宿舎の一室だ。
「たしか、結婚式の途中で……」
魔力不足になり倒れてしまったから私室に戻されたのかと考えたが、結婚式後であれば戻されるのは王城ではないかと思う。
いったい結婚式でカレンになにが起こっていたのか、まったくわからない。
(とにかく、サイラス様ならなにか知っているかもしれないわ……)
ベッドから下りて着替えを済ませ部屋を出ようとしたところでノックの音が響き、扉が開かれた。
「カレン、起きてる? そろそろ食堂に行かないと、メラニア様に叱られるわよ」
目の前に現れたのは予想外の人物だった。
茶色のふわふわの髪をポニーテールにして、夕陽色の瞳が朝日を浴びてキラキラと輝いている。
「え……ケイティ?」
「そうだけど、どうしたの? そんな不思議そうな顔をして。ほら、起きてるなら食堂に行こう」
ケイティは一年前に突然魔力が少なくなり、聖魔法が使えなくなったことで聖教会から追われるように去った。唯一、カレンと対等に接してくれて、親友のような存在だったから、あの時は悲しくてたまらなかったのだ。
「ケイティ、今は
「星冠歴? 七九六年の八月だけど……ねえ、本当にどうしたの?」
「七九六年……」
ケイティが聖教会を去ったのは七九八年だった。サイラスとの結婚式はその翌年、七九九年で間違いない。
(時間が、戻っている――!?)